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「朱ちゃん達と分析室に来た時から何か様子がおかしいとは思ったけどね、最初は普通にしてたのよ。普段通り意見も言うし、ただ少し機嫌が悪いんだと思ってたわ。ほら、この間名前ちゃん"喧嘩した"とか言ってたじゃない?」
「ま、まぁ....」
「それがね、結局相変わらずあなたを溺愛してるだけだったのよ。妬けちゃうわ」
「....ゴホッ」
「本当よ?」
その伸兄と拗れてる時にそんな話を聞くのは気恥ずかしくて、やっぱり辞めようかと布団を握り締めても霜月さんに激怒したなんて
"気になる"という言葉じゃ片付けられない程興味を断ち切れない
「そもそもずっと時間を気にしててから、見たいテレビ番組でもあるのかと思ってたわ。そしたら枡嵜医師の件について話し合ってた時に、あなたの様子を見に宿舎に戻るけど数分で帰って来るって急に言い出してね。そんなの誰も止める訳ないし素直に見送ろうとしたら、美佳ちゃんが口を開いたのよ」
「....ダメだってゴホッ、言ったんですか...?」
「"人が一人殺されて大事な会議をしてるのに、休憩時間でもない時に勝手に抜けるんですか"みたいな事をね。まぁ言ってる事は間違ってないし、宜野座君も真面目な性格だし従うか改めて休憩をお願いするかと思ったら....分析室の空気が一瞬で凍りついたわ」
そう懐からタバコを取り出した唐之杜さんに、"いいですよ"という意味を込めて頷く
副流煙も体に悪いとは聞くけど、慣れたというか....
そして"朱ちゃんも引いちゃったくらい怖い声でね、"と続けられた伸兄が言い放ったらしい言葉は、
「"いつまでも甘やかされると思うな"って」
衝撃的だった
「自分の妻には砂糖の塊かと思うくらい甘いのに、皮肉のつもりかしらね?」
「....ゴホッ、と、突然怒ったんですか?」
「後から朱ちゃんに聞いたんだけどね、その前に留置所で既に一回やり合ってたらしいわよ。体調を崩した夜、美佳ちゃん何も助けてくれなかったんだって?」
「....ゴホッゴホッ!」
....まさか、それで?
そんな事で怒ったの?
あの時は確かに声を掛けたりしてくれてなかったけど、相手は霜月さんだし、私が勝手に意地を張ってコートを取りに行かなかったのが悪いんだからと特に気にしてなかった
"私が何かされたら"、とは言ってたけど別に暴言を吐かれたわけでも暴力を受けたわけでも無い
むしろ全く干渉して来なかっただけなのに
「美佳ちゃんは異変に気付いてて何もしなかったそうよ、名前ちゃんの自己責任だって。あの子もあの子であなた達夫婦を毛嫌いし過ぎだけど、執行官になってからは人が変わったように穏やかだった宜野座君をあんなに怒らせるなんて。やっぱりあなたの事になると血気盛んみたいね」
「....楽しんでます?」
「そりゃそうよ!美佳ちゃんの事は嫌いじゃないけど、特にご主人への態度はね....見てて気持ちの良い物じゃなかったから。本人が気にしてないんじゃ私達は何も言えなかったし、唖然とした美佳ちゃんの顔にはちょっとスッキリしちゃった」
「ゴホッ、そ、それでどうなったんですか?」
「少し言い争った後に顔を真っ赤にしてどっか行っちゃったわ」
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「常守、....その、ちょっといいか?」
「はい」
申し訳なさそうに声をかけて来た宜野座さんは、昨夜ついに"口を開いた"
霜月さんについては私も時々注意して来たつもりだったけど....間違ったことをしたわけじゃないから
厚生省の意思に従って私と宜野座さんを止めようとした事も、犯罪係数300オーバーを記録した名前さんを執行しようとした事も
むしろシビュラ的
そんなシステムへの尊重を悉く否定されたのだから、その元凶となった特殊事例である宜野座さんと名前さんを受け入れられないのは心理的には理解し得る
そしてそれは宜野座さんも同じだと思う
それでも昨日の夜、特に分析室での一件は、状況も表情も何もかも違っていたけど、私が名前さんをカウンセラーに連れて行った夜を彷彿とさせる"本気"だった
低く冷え切った声で
『いつまでも甘やかされると思うな』
と放たれた圧と怒りに私まで萎縮しちゃって、
『あ、甘やかして欲しいなんて頼んでません!私は
『お前がしている事は是正じゃない、ただの無責任と自己肯定だ。そんな物に名前を付き合わせられる程俺が愚かだと思うか?』
目の前で起こる争いを止めに入る勇気も出なかった
....というよりは、自分のスーツからしたSPINELの煙の匂いに足止めされたような
"あの女を一発殴れるなら行け"
出来るわけないじゃないですか....
"ならここは黙ってギノに任せろ、それが賢い立ち回りだ"
「どうしましたか?」
「....最近事件にこもりっぱなしだろ、最後に休んだのはいつだ?」
そう緊張しく私を"気遣って来た"宜野座さんの意図は見え見えで
その温かさに思わず笑ってしまう
「....な、なんだ」
「率直に話してくれていいんですよ、名前さんとお出かけしたいんですね?」