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「私...お婆ちゃん子なんですよ」
六合塚さんがスキャンした"人間の耳"は、常守葵
つまり常守さんの祖母だった
1時間程かかった焼けた現場の処理からはいくつもの焼死体が見つかって、五感全部で迫られる吐き気と戦い、今は公安局に戻る車の中
その処理よりも先に、"調べたい事があるので"と顔を真っ青にして去って行った霜月さんと、助手席で消沈した様子の常守さん
「....常守、すぐにカウンセリングを受けろ。こっちは霜月がいる」
「纉の聴取や、現場の解析。休んでなんかいられません」
「"その時"になってからじゃ遅いんだぞ!」
身内を殺されて見て明らかに沈んでいる常守さんに、伸兄は"現場の処理は俺達に任せろ"と空気が乾く12月の夜空の下、自分のコートを貸して休憩を強いた
本来であれば私達執行官は護送車に乗って、監視官である常守さんと霜月さんは別途車を運転する
でも霜月さんは帰っちゃったし、あんな状態の常守さんには運転させられないと伸兄がその役割を買って出た
もちろん常守さんは"大丈夫ですよ"と一度は断ったけど、二度目の拒否の代わりに監視官権限で執行官による操縦の申請を行ったところを見るとやっぱり....
辛いんだと思う
「....宜野座さんが言うと重みが違いますね」
後部座席から見える伸兄の運転姿は懐かしくて
昔は毎日のように通退勤してた事を思い出しながらも、その助手席に座っているのは伸兄のベージュのコートを羽織った常守さん
"俺が運転する"という話が出た時から、私はいろいろと耐えられる気がしないと皆と護送車に乗ろうとしていた
でも捕まらないはずが無く....
ここで嫌だと足掻いても困らせるだけ、いい加減大人にならなきゃと感情を殺して乗り込んだ
監視官として監督責任がある常守さんに助手席を譲って
「そう思うなら今日はもうこのまま帰れ、あまり重荷を背負い過ぎるな」
「家に帰ったら一人ですよ、私。慰めてくれる人も誰もいません」
そう窓に寄りかかった頭
....常守さんもまだ20代前半の女の子
親元を離れて一人で暮らしながら、監視官という重大な職をこなす
どんな時でも伸兄が世話を焼いてくれている私とは違う....
私だって人の心がないわけじゃない
きっとお婆ちゃんが大好きだったんだろうし、そんな人を事件に巻き込んで失って、それでも私達をまとめる監視官として折れられない
可哀想という簡単な言葉では片付けられないけど、同情や心配の心もある
でも....その感情の横で、外出が先延ばしになっちゃうとか、一人後部座席から見える二人の光景に寂しいと思ったり
家族をたった今失った人の前では自己中心的過ぎる思いを抑え込む
「....このまま千葉まで行くか?滞在時間含め2時間くらいなら何とかなる」
「そしたら私の彼氏だって紹介してもいいですか?」
...え...?
思わず顔を上げた先は全く変わってない景色
窓に寄りかかるベージュのコートを着た常守さんと、ハンドルを握る伸兄
何?
なんで?
どういう意味?
「はぁ....あまりからかわないでやってくれ」
「それくらい私は平気って事ですよ」
バックミラー越しに合った運転手の視線に反射的に顔を背けてしまう
いつもそうやって見透かして....
「でも確かに両親には"まだかまだか"って期待されてて....お婆ちゃんは....晴れ姿....すみません」
「常守....」
私はここで何をしたらいいんだろう
ただの同乗者として黙ってればいいのか
それとも声をかけた方がいいのか
小さく息を吐きながら俯いてスカートの裾を握る
刑事課っていつもこうなの....?
私が執行官になってからまだ1ヶ月なのに、半数以上の人が殉職や負傷をした
そして今度は監視官の身内まで
佐々山さん、未だ"行方不明"の秀君、お父さん
今までも多くの人を失くして来たのは知ってるけど、これが現実...?
事件に対する純粋な恐れと、常守さんへの憐れみ
外出が延期される失望やこの空気の寂しさ
どう処理すればいいか分からない感情で外を見つめて別の事を考える
「せめて少し休憩しろ」
お腹空いたな....
「15分だけでもいい、好きな事をして事件から離れろ」
戻ったらサンドイッチでも食べようかな
「考えておきますね」
あの広告、まだあるんだ....
「....聞かないつもりだな」
前住んでたマンションこの近くだったはず
「宜野座さんはいつも心配し過ぎなんですよ。あんまりそうしてると、相手が女の子だったら勘違いされちゃいますよ?」
あのレストラン一緒に行ったな....
「勘違いしていない人間が言っても説得力が無いな」
美味しかったから次はお婆ちゃんと来ようって、結局....
「私が勘違いしてないって、どうして言い切れるんですか?」
「....俺はただお前に同じ轍を踏んで欲しくないと....」
「冗談ですよ、そんな必死に弁明しないで下さい」
「....とにかく、無理はするな。少し休んでも誰も責めない」
「....ここだけの秘密にしてくれますか?」
そう間も無く聞こえて来た"お婆ちゃん"と呟きながら混じった静かな嗚咽に、ハンカチを差し出した伸兄
....私も居るんだけど
とは言えなくて
窓枠に肘を乗せて再び顔を向けた東京の街は、変わらずに眩しいくらいに煌びやか