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しばらく沈黙に包まれた車内では、常守さんの啜り泣く声だけが響いていた
次第に落ち着いて行った呼吸音の後に


「....まだ遺体は見つかってません。相手がお婆ちゃんを私への脅しとして使うなら、殺してはいないはずです。死んでしまっては人質として機能しなくなりますから」

「....そうだな」


....その言葉の通りではある
焼死体の中に常守葵の名前は無かったし、今のところ見つかっているのは片耳だけ
それだけで亡くなったとは言えない
けど....

ここにいる全員がきっと心のどこかでそう願いたいだけ

特に常守さんはその気持ちが強いんじゃないかって
大切な人を失う時はいつだって最後まで諦められないものだから


「ハンカチ....洗って返しますね」


たった今夜の街と切り離されて、公安局の駐車場に変わった窓の外
依然として自分本位な感情から抜け出せていないのは私の幼稚さ

....いつになるかな
お出掛け
今年中は厳しいかもしれない
楽しみだったのに....
あの"あと1週間"って希望が無ければここまで失望しなかった
でも誰のせいでも無い
誰のせいでも
"しょうがないでしょ"と幾度も自分に言い聞かせて、停車が完了したドアを開く


「お二人は先に戻って下さい、私もすぐに行きますから」

「....タバコも程々にしておけ」

「宜野座さんはもう"保護者"の資質が染み付いちゃってますね」


そうコートを伸兄に返しながらやや微笑んだ表情は、私にはいつもと変わらないように見えて
....すごいな
本当に強い人
サイコパスが濁りにくいってこういう事なのかな....と自分の弱さが尚更際立つ


「鬱陶しくてすまないな」

「ふふ、名前さんに何度も言われたんですね」


その突然の自分の名に


「え、あ....」


一度顔を上げるも、すぐにまたコンクリートの地面に目線を下げた

....そりゃ鬱陶しいでしょ
思春期の女の子に、あれもダメこれもダメって言う兄がいたら
"普通の親"を経験した時間があまりにも少ないから比べようが無いけど、学生の頃友達に引かれた事が何度かあったからそういう事だと思う

高校最終学年の時、仕事に忙しかった伸兄に多少の寂しさは感じても、その分自由度が高くなったことの方が私には大きかった

ある日、確か何かの打ち上げだったかな
クラスメイトの男女数人で放課後から渋谷に制服のまま遊びに出ていた
伸兄が午後の当直なのは知ってたし、それより前に帰ればバレないとファミレスご飯を食べていたら、"遅くなる"と連絡が来た
ちょうどその時私達の方ではカラオケに行こうという話が出てて、もちろんその誘いに乗った....のが間違った決断だった
22時になる直前にカラオケを出て、地下鉄に向かって歩き出した直後に背後から腕を掴まれて
不審者かと声を上げようとしたら真逆の"警察官"だった
具体的に何を言われたかは覚えてないけどその場で、一緒に居たクラスメイトの目の前で、問答無用に怒鳴られてどれだけ恥ずかしかったか
要は事前に連絡もしなかった事、22時は遅過ぎる事、二人きりじゃないとは言え男と一緒にカラオケに行った事が論点だった気がする
結局狡噛さんが"もういいだろ、まだ補導の時間でもない"と間に入ってくれて、私はそのまま車に放り込まれた

それ以外にも何度も、帰りが遅いとか外出する連絡も無いとかで揉めた
今思えばそういった事に関する伸兄の要求は規格外に厳し過ぎる物じゃなかったけど、学生の頃はやっぱり....
いくらそこに悪意どころか完全なる善意しか無いと分かってても、面倒な事には変わりない

....なんて事を思い出して、過去には目の前で友人を殺されて今度は祖母の耳を渡された常守さんと、後部座席のドアを何故か開けたと思ったら危うく忘れ物になるところだった私のマフラーを手にして出て来た伸兄の"大人二人"には笑われるんだろうなって

事件現場から続く憂鬱さに益々蝕まれていく

今一番辛いはずの常守さんの前で、というのが殊更に


「....ダイムの世話をして来たいんだが、少し時間を貰ってもいいか?」


....え?


「構いませんよ、霜月さんには私から連絡しておきます」


"行くぞ"と革靴の足音を鳴らし始めた背中を他に選択肢が無く追いかけてパンプスのヒール音が重なる

短く振り返った先には、ポケットから水色のパッケージを取り出した常守さんの姿
....狡噛さんの事思い出すのかな
恋人を作らないのはそういう理由だったりして


「名前」

「あ、ごめん....」


慌てて足を踏み入れたエレベーターの中は相変わらず飾り気が無い





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