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50階、つまり宿舎フロアを目指して扉が閉まった密閉空間ですぐさま疑問をぶつけてみる

"ダイムの世話をしたい"って


「....なんで嘘ついたの?散歩もご飯も現場行く前に終わらせたじゃん」


今回の出動は元々時間が分かっていて、警報などによる緊急のものじゃなかった
でも帰りはいつになるか分からないからって、少し早いけど夕方頃に二人で済ませたのに

ズル休みでもしたいのかと、ありもしない疑惑の念を送るように見上げると少し息を深めに吐きながら


「顔に出し過ぎだ」


という言葉と共に絡まる視線


「....でも常守さんは、何も....」

「常守が気付かなくとも俺が気付く」


その優しかったお母さんを思い出させるような柔らかな表情も、昔の伸兄じゃほぼあり得なかったな....

まだ完全には回復していない関係性が窮屈で、こんな当たり前の事ですら気まずく感じる
コートの袖の中に潜らせた手を軽く握り締めながら見つめた先は、黒い襟の隙間から光を反射させたネクタイピン
それがまた恥ずかしかったり、気まずかったり....


「なに、責めないでやれとか言うの?」

「戻ったら何か食べよう」

「.....」

「サンドイッチでどうだ?」

「...べ、別に...」

「具はハムがいいか?」


....絶対わざとだ
押し迫るような"理解"と上昇していくエレベーターの中で、隠れられる場所も逃げ場も無い

私が素直になりきれないのを分かっていて


「果物も

「もう分かってるなら聞かないでよ!」


優しい顔をする
その余裕そうな様子が更に私を追い込むような気がしながら、コートを脱いで押しつけた

私だけなの?
身勝手だって分かってるけど、その感情を持っているのは私だけ?
常守さんの祖母の事だけを純粋に悲しめないのは私だけの落ち度?

そんな時にちょうどよく開いた扉から先に踏み出して、早足で近づいて行く目的地
後ろから追いかける足音のリズムは私のより遅い

惨めさや哀しさに覆われて、冷静さが失われつつあるのは気付いていてもどうしようも出来ない
私もいつまでわがまま言ってるんだろ
常守さんには感謝してもしきれない程にお世話になってるのに
期待していた外出が先延ばしになりそうだからと言う理由だけで、家族を失くした事まで気が及ばない
及ばせたくないわけじゃない
私だって、例えば...."まだきっと生きてますよ"とか....
最近霜月さんの事で揉めて、風邪も引いていたなんて言い訳にならない
分かってるよ
分かって


「どこまで行くんだ」

「っ....ご、ゴミが落ちてたから....」

「それで?拾わないのか?」

「.....」


....嘘だ
ゴミなんて落ちてない
馬鹿みたいに"自分の家"を通り過ぎていたのが恥ずかしくて咄嗟に吐いた虚偽
それを明らかに見破っているような声色に振り向けなくて、目一杯鼻から息を吸い込んでみる

どうする...?
しゃがむふりだけでもする?

曲げられない意地で腰を落とそうとした時だった


「....なっ、ちょっと!」

「全く、期待していたのは俺も同じだ」

「待っ

「食べる時間が無くなるぞ」


そう引きずられるように連れ込まれた先は、ダイムが出迎えた暖かな空間


































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「お兄さん、一晩どう?」


こういった路地では身体でしか生きる道が無い女が多く、通りかかる男に精一杯の色目を使う

日本を出てから二度目の12月か....
何もかも捨てて来たはずなのに、大した親孝行も出来ず残して来た母親や、短い時間ではあったが散々迷惑を掛けた常守が今頃どうしているかふと気になる事がある
一係の司令塔として元気にやっていればいいんだがな....


「今夜一緒に楽しまない?」


名前との"あの別れ"から、正直そういう気分にはなれた事が無い
勝手に触って来る女達にいちいち断りを言うのも億劫で、ただ軽く会釈をする

....名前は....今幸せだろうか
紹介したキャバクラに行っていようが何でもいいが、ただもし可能なら笑っていて欲しい
もう二度とその笑顔が見れないとしても、願うのは俺の自由だろ

薄汚れた水溜りに踏み込んだブーツに、濁った液体が掛かる
この俺がスリーピースのスーツを着込んでいた時期があったとは、もう考えられ


「あ、あの!」

「はぁ、悪いが俺は....っ」

「お願いします!絶対に後悔させません!私をあなたの好きにして下さい!」


白い肌とここでは少し珍しい東アジア系の顔
くたびれた衣服が見窄らしく、必死そうな姿を放って置けない







....というのは、俺の理性が作り出した言い訳に過ぎなかった


「え....?私、脱がなくていいんですか...?」

「あぁ。シャワーやベッドは好きに使ってくれていい。そこに置いてあるものも遠慮しないで食べろ」

「....あなたは?」

「....俺は向こうのソファで寝るから心配するな」


いつか愛した女に似ている
....ただそれだけだと言ってしまえばそこまでだが、揺り動かされた俺も全く忘れられていない
持ち合わせている金の半分近くを渡し、明日は服でも買ってやろうかと思ってしまっている

....もうすぐ2年だぞ





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