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それはあまりにも突然で残酷だった


「んっ..ん...ふぁ...」


どうして彼が

やっと一歩近付いたかなと思ったのに


今私の唇に蘇る温もりは、どっちのもの?


「....はっ...はぁ...」


暗闇の中、月の光に照らされた表情は見た事もないもので、静かに艶めかしい吐息を漏らしている


「ね、ねぇ....んっ、もう....」


私を抱きしめる身体は、普段の様子からは想像出来ない程逞しく男らしい


「....また、あいつの事を考えてるのか」


ようやく止まったかと思えば、苦しそうにそう聞かれる

それにどう答えればいいのか、考えても答えは見つからなかった



「....もういい」

「え、んあっ...!」



全身が強く激しく揺さぶられる度に思考が鈍っていく
痛みさえ忘れてずっと堕ちて行く感覚が、妙に心地良くて




「はっ...はぁ....名前....」




私を呼ぶ声に、無意識に涙が出た



































標本事件

それが全ての始まりであり元凶だった




























































時は遡る


「お疲れ様.....」

退勤時間を迎え、刑事課フロアに来たけど、一係のオフィスで私に返事してくれる者は居なかった

伸兄によると、“標本事件”と呼ばれる事件が今、一係が頭を抱える理由となっているらしい

それに危機を感じているのか、忙しいのにも関わらず私を1人では帰らせてくれない

だから毎日こうして、夜遅くまで局内で伸兄を待つ羽目になっている

ちなみに相変わらず狡噛さんには送らせない頑固ぶりだけど、ここで待つ分同じ空間により長く居られる

狡噛さんを好きなだけ見ていられる、それだけで私は嬉しかった




「名前、休憩室一緒に来るか?」

そう立ち上がりながらスーツのジャケットを羽織る仕草も様になっている

「は、はい!行きます!」

伸兄も今は分析室に居るそうで、いちいち邪魔して来ない
まさか狡噛さんもそれを見計らって?






公安局内で狡噛さんと並んで歩く
それだけで自分が監視官にでもなった様な気がした

「いつものか?」
「はい、コーヒーは飲めないので....」

渡されたのはリンゴジュースの缶
...子供っぽいって思われてるかな

隣で狡噛さんは、相も変わらず缶コーヒーをすする
それだけで大人に見えて、先程の心配がより一層深くなる


「....試してみるか?」
「えっ、で、でも....」
「飲んだことすらないんだろ?試してみれば案外いけるかもしれないぞ」


そんな事より間接キスを気にしていた自分が恥ずかしい



「....苦っ!うぇ!」
「ハハハ!やっぱり無理か」


あまりの苦さに急いでリンゴジュースを流し込むが、自分の唇に罪悪感も残った

狡噛さんには好きな人がいる
最近その相手が誰だか分かった気がする
伸兄とこの間話していた女性の監視官
あとで聞くと、伸兄と狡噛さんの同期、青柳さんだそう

そう思うと狡噛さんにはもう届かない気がした


でも、近くに居てはいけないわけじゃない
そう自分を甘やかしては、狡噛さんへの思いを消すことは出来なかった





「わ、冷たっ!」

私の頬に当たったのは先程の缶コーヒー

「何しけた顔してるんだ。何か悩み事か?」

「あ、いえ...なんでもないです...」

「なんでもないなら笑ってろ。名前はその方が似合う」


その言葉に明らかに心臓が大きく波打つ


「....ただでさえ、今刑事課は皆大変な時なんだ。お前の笑顔だけが拠り所だ」


それがお世辞でも嬉しかった
上辺だけだとしても嬉しかった
他に好きな人がいるとか関係なく、嬉しかった





































しかし事件はより一層悪化した


「佐々山さんが....死んだ....?」


私が知ったのは3日後だった
伸兄は私に誤魔化していたが、何日も刑事課オフィスで見かけない事に疑問を感じて、唐之社さんに聞いた


「えぇ....例の標本事件に巻き込まれてね....」

「そんな...」


信じられなかった
つい数週間前には部屋にお邪魔だってしたのに


「それでね、今慎也くんが危ないの」

「狡噛さんが...?さっきオフィスに居ましたけど...?」

「そうじゃなくてね....佐々山の死に相当ショックを受けたみたいで、犯人を捕まえる事に躍起になってる。セラピーを受けろって皆説得してるんだけど、聞かなくてね....」


タバコの煙を吐く唐之社さんが、いつになく暗い表情をしてる
それがより一層私の不安を煽った


「彼の色相、着実に濁ってきてるわ。名前ちゃんからも何か言ってあげて。彼、あなたの言う事なら聞くと思うから。手遅れになる前に、ね」


手遅れ
....狡噛さんが潜在犯に



そんなの絶対嫌だ
絶対私が止めてみせる


そう誓ったのに





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