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「は!?取り逃した!?」


霜月さんからの連絡で現場に駆けつけると、まず第一声として聞こえたのはそんな言葉だった
それを向けられている二人は申し訳無さそうに俯いてる


「対象までたったの5メートルだったのにパラライザーを当てられなかったって言うの!?」

「...すまない...」

「それで!」

「.....」

「雛河!」

「ま、窓から飛び降りて!...見失い、ました...」


そんな....
雛河君はともかく、宜野座さんまで居て失敗するなんて

あの時は私も"それくらいいいじゃないですか"と名前さんの肩を持ち翌日外出に付き添った
相手の総務の男性との事情は聞いていたけど、純粋に素敵な人で久々の再会となった女性二人に空間を譲っていた

一人は大きくなったお腹に新たな生命を抱えた妊婦さん
もう一人は無償の愛を一心に注がれ続ける私の部下
やっぱり無意識にも劣等感を感じてしまっていた
そんな時にふと"煙"を感じたくなって、他人である私が邪魔をしたら悪いと誤魔化して外に出た事が報われるはずもない

....というのは余計な話で、冷戦状態の名前さん側から聞いたのは確かに酷い話だった
心配するのは分かるけど、明らかに宜野座さんの言い過ぎ
自分の知人や友人を悪く言われたりするのは気分の良い物じゃない

でも


「夫婦喧嘩だか兄妹喧嘩だか知りませんけど、最近の勤務態度はどうなってるんですか!?名前さんは上手くやってるのに。勝手な事情を仕事に持ち込まないで下さい!」


そう霜月さんが怒るのも納得出来る
本来こんな"無能な"人じゃないと分かってるから尚更....
悔しさ、苛立ち、申し訳なさが何層にも入り混じったようにただ顔を背けたその様子に、私も溜息が漏れてしまいそう


「まぁ、霜月さんもそれくらいにして。廃棄区画に逃げ込まれた以上無闇に探しても効率が良くありません。一度本部に戻って計画を立て直しましょう」

「先輩も甘過ぎるんですよ!どうして何も言わないんですか!?このままじゃこっちも仕事に

「そう言えば局長が霜月さんを探してたかな。とても急いでる様子だったけど、何か頼まれてる事ある?」

「え...?....っ!」


途端に顔を引き攣らせてデバイスで日時を確認した仕草に、まだまだ後輩だなと感じる
私も人の事が言えない事象は多々あるけど


「き、急用を思い出したので先に戻ります!」


慌てて車に乗り込もうとした霜月さんは、最後に監視官らしい凛々しい声色で


「執行官二人は先輩に従って下さい」


と言い残していった
あくまで上司である立場を崩さない姿勢は私も尊敬する

車の音が去って刑事課として保たれていた空気に町並みが流れ込んで来る
廃棄区間とシステムの守備範囲の境界線


「じゃあ私達も行きましょう」















雛河君は後部座席の真ん中で落ち着かなさそうにキョロキョロとしている
助手席には今話題の中心にいる人物
さっきの失敗に余程責任を感じているのか、負の感覚が滲み出てる
ただ俯いてどこを見つめているのかも分からない

オートドライブに設定してある車内で、手持ち無沙汰な三人が作り出す沈黙は重量を増して行くのみ

実際霜月さんの言う通りで、宜野座さんには何とか頑張ってもらわないと困る状況にまで来てしまっている
そこまで一人の人物に大きく頼ってしまっていた一係にも問題はあるけど、こればかりはどうしようもない


もちろん名前さん側から説得もした


『サイコパスもここ数日で急激に悪化しているみたいです。顔色もあまり良くないですし、食事や睡眠を満足には出来ていないのかもしれません....話だけでも聞いてあげて貰えませんか...?』

『....自分が悪いなんて絶対思ってないですよ、伸兄は。今この状況が嫌なだけで、あの時私に言った事は全部何も間違ってはいないって考えているんです』

『どうして、そう思うんですか?』

『そういう人ですから。昔から伸兄が間違う事なんて無いですし、度が過ぎてたとしても悪にはならない。よく聞きませんか?"何かあってからじゃ遅い"って』

『....確かに印象はありますね』

『私が相馬君の誘いに乗らないデメリットはありませんけど、その逆はあり得ます。伸兄が言うように変にまだ好意を寄せられていたり、潜在犯と善良な市民との壁だったり。"何か"あったらそれが降りかかるのは私。分かってはいるんですけど....』

『それでも確かに宜野座さんは過保護が過ぎていると思います。私の両親ですらこんなには心配しませんよ。唐之杜さん達が言うように、私も名前さんの味方です。宜野座さんにはしっかり謝ってもらう為にも

『違うんです』













「何か食べに行きますか?せっかくですから」

「まだ勤務中だぞ」

「メンタルケアに休息は必須ですよ。雛河君もいいかな?」

「は、はい...」

「はぁ...」


最近ニュースで話題のなった新しくオープンレストランに行き先を定め直す

重苦しい空気
少しでも快適さを求めるように私は膝を抱えた


「そんなに気にしなくても、」


窓の外を見ているのかもどうかも分からない横顔
元々色白な肌に陰りが見える気がする


「彼、良い人ですよ。いつも何かスイーツを用意してくれますし、奥様と一緒にマンションの下まで私達を見送ってくれたり。名前さんとも二人きりになろうとする素振りすらありません。良き友人が出来たとは喜べないんですか?」

「....俺達は潜在犯だ。そんなに気安くクリアカラーを持つ人間と関わるべきじゃない」


"同じ人間だと思うな"
もう懐かしくすら感じるその台詞
当時の日々を思い出しては複雑な感情が心をよぎる

本当に今頃どうしているんだろう
タバコの吸い過ぎで肺に穴を開けてたりしたら、雑賀先生に言いつけますよ

なんて


「確かに今でも潜在犯に対する意識が誤っていることは多くあります。それは特にお二人には重々承知の事でしょう。だからこそ、さすがに言ってはいけなかったんじゃないんですか?」

「....俺は、あの時と同じ思いをあいつには絶対にさせたくないだけだ。潜在犯という肩書きで受け得る扱いの痛みはよく分かっている。それを防げるならこんな些細な喧嘩はいくらでもする」


潜在犯でも無ければ差別を受けた事も無い私
現実相手の男性がどんなに誠実な人間であると分かっていても、それを盾に口を出す勇気を持てない

ただ一番信頼を置いている人に潜在犯である危険性を諭されるなんて、私ならかなりショックを受けると思う
でもそれが名前さんにとって最も引っかかっている部分かどうかは....







『違うんです』

『....何が違うんですか?』

『...その、....常守さんは....こ、狡噛さんのどんな所に惹かれたんですか?』

『...え?』

『やっぱり頭もいいし運動も出来て、なんというか自分と比べて同等以上の魅力を持つ人だから、とかありますか?』

『えっと....狡噛さんは私にとって尊敬する刑事で

『じゃあ伸兄は尊敬する刑事じゃないんですか?』

『そんな!昔も今も一係が最も成果を上げているのは宜野座さんのおかげですよ』

『....それなら









「私って叶わない恋を抱けるような人間だと思いますか?」

「....突然何の話だ?」


目的地到着まで1kmを切った事を告げる音声が流れた
バックミラーで後部座席を見ても、まるで誰かに押し込まれているかのように縮こまっている雛河君


「"あいつ"の事か?」


眉尻を下げた表情を、義手を下に隠した左手から離して向けられた視線
ベージュのコートに擦れる程に伸びた髪はいつか結ぶのだろうか


「魅力的な男性って本当に競争率高いですよね。惑わされる身にもなって欲しいって、世の中の女性は嘆いてますよ」

「勝手に一人で逃げていったあいつに言え」

「そういう宜野座さんの方が私よりよっぽど心配してるんじゃないですか?どこかでのたれ死んでないか、とか」

「....今はあいつの心配なんかしてる場合じゃないだろ、全く....誰の為だと思って....」


そう呟きながら吐かれた重い溜息には、ただただ溢れ出す愛情
公私混同を嫌う宜野座さんが、こんなにも"私"を丸出しにしているのは珍しい

それ程までに誰かに思い狂わられる名前さんに羨望を抱いたり


『目的地に到着しました』


普段あまり外出出来ない執行官との外食

こんな事してるから名前さんに余計な思いを抱かせちゃってるのかな

"一人暮らしで独立したエリート監視官"という身分に壁を感じている名前さんと、
複雑な事情はあったとは言え、誰もが羨むような男性二人に深く深く大切にされている光景に自身の価値を見失う私

だからこそより仕事に心身を費やして、時々振り切れそうになったら煙に包まったり、元先輩監視官に頼ったり


「本当に行くのか....?」


混雑した店内は若々しいエネルギーで満ち溢れてる
中には若さの象徴のような制服姿の子も


「ここデザートが美味しいって、特に女性の間で人気なんです」





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