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「....私の分は」

「第一声がそれなのか」


まさかもう復帰してたなんて思わなくて
ぼやけた視界越しに見えた驚いた表情から一目散で逃げた

名前を呼ぶ声が追いかけて来たけど、振り返らずに真っ直ぐ寝室の布団の中に逃げ込み自分を隠した

案外そっとしておいてくれた事に漬け込んでひとしきり泣いて
ひとしきり落ち込んで
ひとしきり自暴自棄になって
蒸し暑くなった空間から帰るように布団を押しのけると、もう外は真っ暗だった


「用意してくれてないの?」

「聞いて無視したのはお前だろ」


お腹を鳴らしながら寝室のドアを開けたら、そこには久々の日常
いつの間にかスーツじゃなくて部屋着に変わってる伸兄
そう言えば泣いてた間に隣で何かガチャガチャやってたっけ


「何が食べたい?」

「....何でもいい、温かいもの」

「分かった、まずは着替えて来い」




その言葉に再度寝室に戻ってまずは明かりをつけた
姿見にゆっくり自分を映す


「うわ....酷い」


泣き腫らしたのが分かりやすい顔に、しわくちゃになったスーツ
どんなに良いスーツでもこんな見っともない感じになるんだとか、至極当然の事を考えながら一つずつボタンを外して行く

ふとデバイスを気になって開いてみると、常守さんとか、唐之杜さん達から心配の声が
返信する気力すら湧かない
大丈夫かと言われれば大丈夫だけど、まだ平気じゃない

こんなに沢山の人が気にしてくれていると言う現実が今の私には少し酷
そんな人達を私は"友達ではない"みたいな心づもりで....馬鹿みたい
そして、最も身近にいる人物が今の今まで何も聞いて来ないのが、こんなにも心地良く感じている状況にもはや感嘆する
相変わらず....嫌味なくらいに分かってくれるの
ずるい





リビングに戻ると既に充満していた美味しそうな匂い
それに引き寄せられるように目の前の椅子に腰を下ろす

自分では明確なイメージは無くて"温かいもの"って答えたけど、これだ
クイズなら正解の音を鳴らしたい程に今の私の食欲をそそっているクリームシチューとパン


「いつも思うんだけどさ、伸兄がいつも当たりを引いてるのは伸兄がすごいの?それとも私の当たりが多過ぎるの?」

「伊達に25年過ごして来たわけじゃない、だからいい加減に言う事を聞け」

「....聞いてるよ」


そんな嫌味のような台詞を吐いて口元に寄せたスプーンが熱くて、反射的に肩が揺れた
先にパンをちぎって食べよ


「それで、...何があったか気にならないの?」

「話したくなければそれでいい。昔はお前も、怪我して帰って来た俺にわざわざ何があったのかは聞かなかっただろ」

「そうだけど、なんか意外かも。何が何でも口を割らせて知りたいと思ったのに」

「悪口と取るぞ」

「知りたいくせに」


こうやって顔を合わせて話すのはしばらくぶりだと言う事を忘れちゃうくらい、嫌な感じはしてない
あんなに避けてたのに、聞きたい事言いたい事沢山ある


「話すよ、何があったか。その上で伸兄の意見も聞きたい」


結局一番参考にするべきみたいだし
今更知った訳でもないそんな事実をそろそろ心に刻もう
....それでもいざとなったらカッとなって、またいつもと同じようになりそうだけど

何も言わずに横隣の椅子に移動して来てくれたのを見て、私もスプーンを置いて体の向きを変えた
これから話す内容から自分を支える為に、その肩に倒れ掛かるようにして額を預ける
グッと近付いた胸元から香る慣れ親しんだ柔軟剤の匂いとか、頭をゆっくり撫でてくれている手つきにまた涙が出そう

本当に信じて良い人がこんなに近くに居たのに


「....私は潜在犯だから、赤ちゃんに近付いちゃいけないんだって」

「.....」

「潜在犯はいつ何をするか分からないし、その存在自体がまだ脆弱な子供には強い悪影響を与えるとか....ネットの記事で有名になってるって言ってた。....子を持つ親なら子供の為にどんな危険性も回避したいのは分かるけど、それなら最初から、そう....言ってくれれば....」

「....無理するな、話したいならまたいつでも

「いい、大丈夫。....今ちゃんと話す。最初はね、私だけじゃなくて家族以外には誰にも会わせてないって言ってたの。でも、なんとなく嫌な予感がして....気のせいならそれで良いって思って常守さんにデバイスを借りたの。人事課の友達のSNSを見る為に....」

「....あったのか」

「うん....女子会みたいに皆で集まって、部屋も風船とかで飾り付けて、一人ずつ赤ちゃんも抱っこしてた。
それにその写真が投稿された次の日に、私その子達と食堂でお昼一緒に食べたのに、....それで分かった。
皆私がハブられたのを知ってて、赤ちゃんに会いに行った事隠してたの。
刑事課じゃないにしても皆公安局の職員で普通の人よりは潜在犯の事分かってるはずだし、私とも何年も一緒にほぼ毎日顔を合わせてたのに。
現実の私よりインターネットの記事を優先した上に、誰一人声を上げなかった。
皆、私は赤ちゃんに近付くべきじゃないって、そう判断した事は嘘をついてでも本人には言わなくて良いって同意したんだよ。
しかもそれで、これからも友達で居たいって....子供がもう少し大きくなったらまた皆で女子会しようとか....
もうその口から出る言葉の何が本心で何が嘘かも分からないのに。
それに、最後なっちゃん何て言ったと思う?」


複雑な感情で見上げる触れそうな距離の顔
"苛立つか悲しむかどっちかにしたら?"と言葉をかけたくなるような表情もやっぱり端正


「"今度そっちの旦那も連れて来てダブルデートしようよ"だって。数時間くらいならお母さんが赤ちゃんの面倒見れるからってね。
素直に"何それ"って言っちゃった。
さすがになっちゃんが伸兄を好いてたのは覚えてるし、こんなタイミングで言うなんて、何か狙ってるのかなって考えちゃうよ。
私が潜在犯でもまだ会ってくれたり、友達で居たいって言うのは人の夫が目的なの?
....まぁ多分純粋に遊びに行こうって意味だったと思うんだけど....なんだろう....私友達なんてそもそも居なかったのかなって…」

「もういい、そんな人間はいつか俺達がドミネーターを向ける事になる。時間や心労を費やす価値も無い」

「....でも、このまま急に縁切る訳にもいかないし....明日だってお昼食堂で会う約束あって....」

「どうせもう話は全員に回っているだろ、どうしても行きたいなら笑って自分の幸福を見せつけてやれ。そう言う奴らに限って心のどこかでは潜在犯を可哀想だと見下す」


....怒ってるの、見え見えなのに
全くそれを感じさせない言動


「....なんか、優しくない?もっとこう"自業自得だ"とか言わないの?」

「はぁ....あの時は悪かった。もう少し落ち着いて話せていればこんな事も防げたかもしれない」

「え、謝るの?伸兄が?何かあった?」

「こっちは真剣に心配してるんだぞ、何度も言うがお前にはもう苦しい思いはさせたくない」

「....そうは言っても一回も会いに来てくれなかったくせに」

「行くだけお前に意地を張らせる機会を増やすだけだ。その度に益々自分を追い込んでより一層の拒否反応をするだろ」

「.....」


思いっきり図星かも
あの時点でかなり無視を徹底してたし、急にやっぱり話聞くとか、急に許すとか
余計なプライドが固まって出来なくなってた

そうやって全部見抜かれてたと思うと恥ずかしいし、


「疲れていなければ今日は朝まで付き合っても良い。明日の勤務も午後からにしてもらうよう連絡して

「ちょ、ちょっと待って!....そんなに溜まってる?」

「何の....っ、違う!そういう話じゃない!映画やゲームでも、好きな事を一緒に

「私はいいけど?」


気付けば落ち込んでいた気持ちも、一時的ではあるかもしれないけどどこかへ行ってしまっていた


「....随分と雑な誘いだな」





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