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「もう12時だぞ、そろそろ風呂に入って来い」

「うん....ちょっと....待って」


上の空にも程があるような返事
夕飯から帰って来てからもずっとこの調子だ

一緒にテレビを見ても
明日の予定を話しても
送られて来たダイムの写真を見せても
その瞳にはデバイスの画面が映されていた

軽く覗いた時にはチャットのように見えたが、誰とそんなに懸命に話をしているのかさっぱり見当が付かない
"何かあったのか?"と聞いても、"まぁ"ととぼけるだけ


「着替えは?」

「入っている間に用意しておくから早く行け」


手に持った端末に釘付けなまま体を起こし、スリッパに足を通した名前
それをスーツケースの整理をしながら目で追っているとすぐに


「っ、名前!」

「え?痛っ!」


扉に思い切り肩からぶつかって行った


「どこ見て歩いているんだ!」

「ぅっ、大丈夫だから。....ちょっとあざになるかもだけど」

「....デバイスは置いて行け、風呂まで持って行くな」

「でも今忙し

「なら早く入って来い」


不満そうに眉を顰めたのに構わず端末を取り上げると、堪忍したように浴室へゆっくりと吸い込まれて行った背中

全く....何なんだ
30手前にもなって今更依存症か?
とりあえず一度それをテーブルに置き、約束した通りタオルやら着替えやらを取りに備え付けのクローゼットを開ける
この中身も今夜中にはある程度片付けておかなくてはならないな

帰りの航空便は明日朝9時だ
東京には昼頃に着く
その翌日からは常守と千葉の実家へ向かう
そしてその前には常守と"設定"の話をしっかりと....

そうこれから先の予定を整理していた俺の思考に強引に割り込んで来たのは点灯したタブレットの画面

....こういうものはあまり見るべきじゃないとは思うんだが....

何か変な事に巻き込まれていないか
確認するだけだ

軽く息を吐きながら意を決して手を伸ばした先で見たもの


「....なんだこれは」


....また余計な事を
























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「ねぇ!パジャマは!?」


びしょ濡れのまま浴室のドアから顔だけ出して叫ぶ
だけどいくら待てど返されるには静寂


「え...?伸兄?返事してよ!」


....いないの?
恐る恐るベッドエリアに出て見渡すも確かに誰もいない
出て来るなら何か一言言ってくれればいいのに

らしくないと思いつつ、備え付けのバスローブを羽織って引き続きメッセージの返信を....

....って
あれ?
無い
なんで?
え?

わざわざどこかに仕舞ったりはしないと思うんだけど
そこまで広くはない部屋でいくら見渡してもタブレットが無い

まさか持って行かれた?


























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「今すぐアカウントを消せ」

「ちょっと、人の部屋入って来て挨拶もしないの?せっかく弥生と楽しんでた所だったのに」

「人の妻に出会いを勧める方がどうかと思うがな」

「アカウントを作るくらいいいじゃない、実際に会うわけでもないんだし」

「良いわけないだろ、おかげでまともに会話も出来やしない」

「え?」


ベビードール姿の私に目の色も変えず、ただタブレットを押し付けて来た男
奥では"だから言ったでしょ"と呆れる弥生

もうあの子が気の毒だわ
いくら顔が良くても面倒見が良過ぎる旦那は考え物ね


「会話も出来ないってどうしたのよ、まさか名前ちゃん本当にいい男見つけちゃった?」

「あいつの審美眼はそこまで腐っていない」

「あら、よっぽど自分に自信があるのね?」

「....いいからさっさと消してくれ、このままだと夜も寝ないつもりだぞ」


どういう事?
こういうサイトにのめり込むような子じゃないと思ってたけど....
案外人と話すのが楽しかったのかしら

それくらい別にいいじゃないと思いながら、渡されたタブレットでアプリを開いてみると


「....これ....まさか」


名前ちゃんたら....


「....あの子らしいわね」


覗きに来た弥生ですらこの反応

一人一人にメッセージを返してるなんて、どこまで真面目で優しい子なのよ
呆れちゃうくらい可愛いところがあの子の魅力なのかしらね
そういう変に抜けてるところが夫婦そっくりだわ


「....なぜ俺を見るんだ」

「あなたには可愛げなんか微塵も無いのに、名前ちゃんはどこで身につけたのか考えてるのよ」

「教わって来るべきね」

「....とにかくそんな物消してくれ。あいつに言ってもどうせ全部返信し切るまで聞かない」


それくらい設定画面から"退会"を押せば済むのに
そんな常識も知らないなんて本当にコミュニティ系サイトに手を出した事が無いのね....
そういえば昔コミュフィールドの事件でも、全く操作が分からなくて大変だったっけ?


「いくらあなたのお願いでもそれは聞けないわ。これは個人情報よ、本人の同意が無くっちゃ犯罪も同然よ」

「良い子に育て過ぎたが故ね」





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