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「おい!引き離せ!」

「いいじゃんそれくらい!」

「良くないから言ってるんだろ!」

「もう、私も支度してるんだから」


まだまだ慣れたとは言えない化粧をしている中で聞こえて来るのは、可愛らしい猫の鳴き声と騒ぎ立てている伸兄の声


「早くしてくれ!」

「ちょっと待ってよ!」


実はあの子猫、伸兄が好きなようで嫌いらしくもある
触ろうとすればすぐ引っ掻くのに、時によっては今みたいにくっ付いて離れない
引き剥がそうとすればまた引っ掻いたり、着ている服に爪をかけたり
でも私には全くして来ないから


「はいはい、良い子だからおいでー」


こうやって抱え上げに来ないといけない
既にスーツに着替えてしまっている体に近付けるわけにもいかなく、そっとベッドに下ろしてあげる
その視界の隅で伸兄は"コロコロ"を身体中に転がしている


「何かしたんじゃないの?ご飯あげ忘れたとか」

「心当たりは全く無い!」

「そんな怒んないで、ダイムですら上手くやってるのに」


そう
あの日興奮して吠えてしまったダイムは、今ではまるでパパみたいになってる
猫ちゃんも一緒にいる方が暖かいのか、せっかく買ってあげたベッドはあまり使わないでダイムと寝る事が多い


「髪結び直してあげるから」


なんだろう
猫でも髪が長い男性は物珍しいのかな
伸兄に引っ付いている間はよく頭を目掛けてる
それが私は可笑しくて笑いながら見てるけど、当の本人はしっかりと躾がされたダイムと比べたがる
子供だとか、野良だとかじゃなくて犬と猫ってだけでも全然違うのに

また猫ちゃんに襲われてもしょうがないから、まずは一度宿舎を出る
エレベーターホールでボタンを押して、それを待っている間にカバンから櫛を取り出す

ちょっと屈んでもらいながら
ちょっと踵を上げながら
唇に加えたゴムをまた丁寧に絡み付けて行く


「どれくらいの間ここにいさせるつもりなんだ」

「獣医さんは完治を目指すなら、環境の変化もあるし1ヶ月は余裕を持つべきだって」

「はぁ....」


開いた扉に一緒に乗り込んで
少しずつ数字が落ちて行くパネルを見る
もう何回目なのかな
悪く言えば退屈、良く言えば平穏
もうきっと一生変わる事の無い日常
....でも変わってほしくも無い

だってそうだとしたら、
それは私達に何かが起きてしまった時だから


「ずっと"猫ちゃん"って呼ぶのも可哀想だから、名前を決めたいんだけど」

「やめておけ、あまり情を移すとその時が辛くなるだけだぞ」

「現実的すぎる事言わないでよ」


もうすぐ
その左側の数字が2になれば、それはもうすぐだって


「とにかくお前の為だ、やめておけ」

「2回も言うの?」

「大事な事だからだ」


頬に手袋の布地と僅かに触れる金属の冷たさを感じたら、私はその胸元に手を軽く添える
そっと確かめ合うだけの口付け
いつの間にか習慣になっていた

この為に口紅も落ちづらいものに変えた
当初は気付いて手の甲で拭っていたうちにエレベーターのドアが開いて、バッタリそこで霜月さんに会ってしまった、なんて事もあったから
霜月さんも"見てはいけないものを見てしまった"かのように逃げて行ったし、伸兄もその日はずっと"まだついてるんじゃ無いか"と何度も何度も気にして
最後には見事に唇を荒らしてしまった

距離が縮まれば香る清潔で優しい良い匂い
お互いよく飽きないなと思う
むしろその体温と共にこのまま強く埋もれたいと感じる程だけど、メイクをし始めた今高価なスーツにそんな事できない


「じゃあ今日も頑張って」


でもこれは同じ当直で一緒に出勤する時だけ
それ以外は、止められなくてももっと自由だから































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「え?結婚式?」

「あぁ、行ってもいいそうだ」


外出の予定を立てる為に、恐れ多く常守に聞くと"次の休暇は予定が入っているんです"と

『どこか行きたい場所があるんですか?』

『いや、ただ外食をしようと思ったくらいだ。ずっとオートサーバーの食事だけなのも味気が無いからな』

『って、名前さんに言われたんですね?』

『....どうして分かるんだ』

『宜野座さん、自分の為に何かをしている時と名前を思っている時とでは顔つきが全然違いますよ。多分刑事課なら皆分かると思います』

それで提案されたのがその"次の休暇の予定"である友人の披露宴に一緒に行く事だった
潜在犯は執行官だとは絶対に分からないようにするからその点は安心して欲しいと付け加えて


「どこのホテル?」

「レストランだと言っていた。新郎がイタリアンのシェフでオーナーだそうだ」


とまだ言い終わっていない頃には、"何着よう"とタブレットを開いていた名前に、俺は恐らくもう満足だ
近頃の不満と言えば


「猫ちゃんは連れて行けないよね?」


俺の事はそっちのけで猫ばかりだという事くらいだ





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