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「続いてはゲストの皆様よりご祝辞を頂きたいと思います。まずは新婦の幼少期からの親友である....」


頭が痛い
落ち着かない
整理が付かない

俺は確実に間違った事を言ってしまった

隣に座る名前はずっと下を向いている
外食をしたいと、そもそもここに来ている理由は名前の為であったというのに
その本人が運ばれて来るコース料理を目の前に、強ばった笑顔で"お腹が空いてない"とカトラリーを持ち上げては汚さずに戻している

だがそれがまた俺の苛立ちを刺激した

名前は何も間違っていない
全く、何も
弱っていた猫を拾って来て可愛がる事の何が悪い?
自分の身を投げ出してまで救ってくれる仕事仲間と適度に良好な関係を築いて何が悪い?

だからこそ、そこに身勝手な欲と空虚感を抱き、更には実際に手まで伸ばしてしまった事実に自分で失望して仕方がない
そして今日も
そのただひたすら目に毒な姿を、"目に毒だ"と思えてしまっている
まるでそこら辺にいる卑劣な人間にでもなったようで、素直に綺麗だとも言ってやれず、変な気を起こす事を恐れてまともに顔も見れない

代わりに時々睨んで来る唐之杜の表情はよく見える
同時に説教めいたメッセージもデバイスに送られて来るが

『あなた何したのよ!?名前ちゃん泣きそうじゃない!』

こう見えてそれに一番焦っているのは俺だ
膝の上に揃えられた微かに震えている指先を見ては、刃物で胸を引き裂かれでもしているかのように息が詰まる

それでも"場所が場所だ"という言い訳を盾にして


「失礼致します。子羊のステーキになります」


歯を食いしばっている


「名前ちゃんも飲み物お代わりいる?」

「あ....いえ、大丈夫です」


そう名前が消え入りそうな声で返答したのは唐之杜、六合塚、そして霜月の女性陣
常守は相変わらず新郎新婦の周りで忙しく回り、霜月には会場に到着し顔を合わせた瞬間から"ハーフアップとか女みたい"と嫌味を刺されたきりだ

髪型くらい他人に褒められる為にやっているわけじゃない
ただ一人が満足してくれればそれでいい


「続きまして新郎のご兄弟であります....」


同じテーブルに残っているのは須郷と雛河
二人ともただ静かに運ばれて来た料理を丁寧に捌いている
俺もフォークとナイフを一度は手に持ってみるが....


「....食べるか?」


手元を見つめて首を下げている妻の肩に、出来るだけ優しく語りかけるように
この期に及んで名前の反応が怖いなどと思っているのはもう救いようが無いな


「.....」

「....無理はするな、食べたいならまた今度来よう」


念の為にと、自身の前に置かれたステーキを一口サイズに切り分け、まだ触れられていない名前の皿と交換する

....がそれでも全く動かない様子に益々罪悪感が重なって行く
頭ではこんなにも"悪かった、何でもするから笑ってくれ"と繰り返しているのに声に出せない
その理由がプライバシーの無い公な場だからなのかは、もうもはや分からない
意気地が無いだけだと言われればそれ


「ちょっと....寒い」

「っ、さ、寒いか。上着はどうした?」

「常守さんの車に置いて来たじゃん....」

「あ、あぁ....」


そんな事にも気付かないとは俺は一体何をしていたんだ
とりあえず素早くジャケットを脱いで肩にかけてやると、両手で内側から襟を掴んだのを見守る

....もう気がおかしくなりそうだ
言いたい事は言えず、見当違いの事ばかり口にして
名前と同時に自らをも追い込んで行く
そんな状況下にも関わらず、未だ解消されていない文字通りの"劣情"を抱く己が信じられない
信じたくもない


「はい名前ちゃんお待たせ、ジンジャーエール」

「ありがとうございます」


寒いならやめておけと口を開こうとしたが、そんな時間も与えずに迷わず一口ストローから飲み込んだのは"せっかく持って来てくれて飲まないのは申し訳ない"という心遣いだろう

散々子供扱いなどして来たが、今の名前は俺よりずっと大人だ
感情的にもならず、最低限のマナーは貫いている
その横で俺は惨めさと苛立ちに溺れて
本当に自己本位にも程がある





いつの間にか照明が落とされた会場の熱気と、新郎新婦含め着飾った人間が全く頭に入って来ない
流れ来る優雅な音楽も今は雑音だ

もういっそこのまま退場して、せめて車内に戻れれば落ち着いて話が出来ると思うんだが


「名前....っ?」


そうようやく意を決して振り向いた隣席には、丁寧に畳まれたジャケットが置いてあるだけだった



































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「お金も払ったんだから落とすのは勿体無いだろって....」

「あの男!そんな事言ったの!?」


ゲストが立ち上がり囲む中心では、新郎新婦がスポットライト浴びてスローテンポな音楽に身を委ねている
綺麗だなって思いながら、体の前で重ねた手はしきりに左手薬指の指輪を弄って
くるくると回してみたり


「有り得ない!私がしっかり躾けて来て

「いいんです!別に、気にしてません」



気にしてないわけじゃない
でもあれが伸兄が本当に言いたかった事じゃないのは分かってるから
これは私達二人の問題だし、きっと他人が手伝ってくれても解決しない


「....名前ちゃん....」

「ありがとうございました!ではゲストの皆さんも自由に踊って下さい!」


響いて来たのは新郎の声
引き続き流されているのはクラシックのゆったりとした音楽
この店内も落ち着いたややアンティーク調だし、きっと新郎の趣味や好みなのかな

少しずつ何組かカップルらしき人達がライトの下に入って、幸せそうに体を揺らし始めてる
唐之杜さんと六合塚さんも行こうとしてるみたいだし、私は席に戻....


「ねぇ、君!」


180度後ろを振り向いたばかりの腕が、人並みの体温に掴まれた感覚


「あ、さっきの....」


トイレの前で会った人


「お、覚えててくれてる?」

「うわマジだ!めっちゃ可愛いじゃん!」

「でもイケメン彼氏がいるんじゃなかったのかよ?」


と二人お友達かな


「お前ちょっと黙ってろよ!ごめんね、騒がしい奴らで」

「い、いえ....」

「彼氏君はどうしたの?」

「あ、いや、彼氏じゃなくて....」

「あれ?結婚してんの?」

「まぁ、はい....」


三人に次から次へと話しかけられてどこを見ればいいのか分からない


「それじゃ無理か....もし良かったら一緒に一曲どうかなって思ったんだんだけど」


唐之杜さん達はもう行っちゃったか....


「....いいですよ、お礼も出来ませんでしたから」

「え!?本当!?」


いいよ
踊って何か減るものじゃないし
実際あの時せっかく手伝ってくれようとしてたのに


「でも私踊れないですけど....」

「俺も踊れないから!適当で大丈夫だよ!」


元気な人だなって、手を引かれて近付いて行く明るみに徐々に思考が曇って行く
自分が今何を考えているのかも分からなくなって来た
後で怒られるのかな
怒られるのは嫌だな
でも"怒ってない"って無理に濁らせるよりは


「っ!」

「名前さん、どちらへ行かれるおつもりですか」

「.....」


私の左手に二人の男の人の右手


「は?誰だよおま

「少し踊って来るだけです....」

「宜野座さんはご存知なのですか」

「.....」

「名前さん、どうかお考え直し下さい。せめてご主人には一言お伝えになるべきかと自分は思います。きっとご心配されて

「大丈夫です!この方には先程お世話になったんです。そのお礼をしたいだけ....なので....」


目が見れない
須郷さんってこんな人だったっけ...?
重苦しい圧を感じて手が震える

涙が出そう

須郷さんが怖くて?
自分のしている事の愚かさに?


「....分かりました」


そっと離してくれたのを合図にまた光の中に誘われる


「今の誰?」

「....夫の友人です」


指が絡んで、腰に手が添えられる


「あ、そうだ!名前ちゃんって呼んでいい?」

「ど、どうぞ....」


あぁどうしよう....
気色が悪い


「あの....一つ聞いてもいいですか?」

「いいよ」

「私、普段はあまりこういうメイクはしないんですけど、やっぱり似合わないですか?」

「そんな事無いよ!めっちゃ似合ってるし今日ここにいる誰よりも綺麗だよ」

「.....」

「名前ちゃん?どうしたの?え、泣いてる?」





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