▼ 383

「何呑気に水なんか飲んでるのよ!」

「宜野座さん!奥様が....」


そうほぼ同時に浴びせられた声に思わずグラスを落としかける


「....どうした」


唐之杜はどうせ名前から俺の失言を聞いたのだろう
"分かっている事をとやかく言われたくない"というような子供じみた気分で振り返ったが、


「"どうした"じゃな

「ちょっと待て、須郷は何だ?」


その存在自体と焦りを含んだような言葉にそこでようやく気付くと、只事ではない気がして


「奥様が

「名前が何だ!」

「ちょっと!落ち着きなさい!」


須郷はあまり他人には干渉しない奴だ
だからこそ、急いで知らせに来た様子が俺には恐怖を与えた
悪いとは思っているが掴みかかる手を緩められない

何だ
名前がどうした
怪我でもしたのか?
無事なのか?


「男性の方とダンスを....」

「は....」

「え!?名前ちゃんが!?」

「はい、先程中央のステージへ

「ならどうして止めなかったんだ!お前はその場にいたんじゃないのか!」

「自分は....宜野座さんに伝えるべきだと言ったのですが、お礼がしたいからと....」

「....ふざけるな!」


限界だ
須郷に当たっても仕方が無い事を分かっていながら
全て自業自得であると分かっていながら


「すみません....」

「....もういい、どけ!」

「あ、宜野座君!」


気が狂いそうだ

"礼がしたい"だと?
そんな事の為だけに何処の馬の骨かも分からない男に身を任せるのか?
ダンスなど出来もしないくせに、何をしたわけでも無い男の為に頑張るのか?
あいつの悪意の無い底知れない鈍さと人の良さに呆れながら、こうまでされないと行動出来なかった自分にも腹が立つ

人混みを押し分けて


「あれ?お兄さんさっきの

「うるさい!邪魔だ!」


照明が照らされる場所へと

....名前はどこだ



























ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ごめんね、何かダメだったかな?」

「い、いえ....」


悔しかった
悲しかった
長かった
気持ち悪かった
泣いている事に気付きながらも"やっぱり辞めようか"とは言ってくれなかった
そして今も離れようとはしてくれない


「何か飲む?奢るよ」

「大丈夫、です....」


でも自分からは言えない
申し訳ない気がして
失礼な気がして

一度リミッターが外れた涙は止まらない
泣きたいわけじゃないのに、止まらない
背中を摩ってくれる手付きは"安心するもの"とは程遠くて、むしろ気分が悪くなりそう


「....もしかして旦那さんと喧嘩でもしてるの?話聞くよ」


同じ会場に居るって分かってるのに、"呼んで来てあげるよ"とか言ってくれないんだ
私もそこまで馬鹿じゃないし下心は丸見え
でもだからと言って正直な気持ちも言えない

逆ギレでもされたら相手は男性だし怖い


「あの....足何回も踏んでごめんなさい....」

「いいよいいよ、痛くないし」

「....ごめんなさい....」

「....じゃあさ、その代わりにもう一曲一緒にどうかな?」


え....?


「今度は必ず楽しませるから」


嫌だ
絶対嫌だ


「体を動かせば気分も楽になるだろうし」


どうして分かってくれないの?
こんなにも嫌だと思ってるのに
私は、普段すぐに伝わる事に慣れ過ぎてるの?


「俺もさ....実はもう少し君といたいんだ」

「.....」

「良かったらこの後抜けない?」

「....あの、私には夫が

「いいじゃん、たまにはさ。それに上手く行ってないんでしょ?」


周りでは祝杯をあげたり、皆で写真を撮ったり、まだ引き続き演奏され続ける音楽に自由に踊ったりしてる中で私は泣きながら見知らぬ男性に震えてる

断り方も分からない
何でこんな事に


「....分かりました」

「本当!?ありがとう!」

「.....」

「じゃあまずはもう一回踊ろっか」

「....はい」

「ほら、もう泣くなって!」

「.....」

「せっかくのお化粧なのに」

「.....」

「可愛い顔を見せ

「誰が触って良いと言った!」


っ....


「なっ、離せよ!折れる!」


滲んで見えていた光が、突如映したのは温かい暗闇


「名前ちゃんも何とか言っ

「黙れ!」


言い争う声より
良い匂いする、とか
1週間しか経ってないのにもうこの感触が久々な気がする、とか


「っていうか本当に離せよ!サツに通報するぞ!」

「すればいい、そしたら気兼ねなくドミネーターを向けてやれるな」


もうちょっと強く
痛いくらいにしてくれてもいいのにって
代わりに私がぎゅっと、まだご飯も食べてなくて残った力を全て使い果たすように、腕を回して顔を埋める


「いいか、今後出会う事も無いだろうが二度と妻に近付くな。連絡先も交換したのなら今すぐここで消せ」


"大丈夫、してない"と意を込めて首を振る
それが結果として衣服にメイクを擦りつけてる事になってるけど....
まぁいいよね


「....名前、お前もお前だ。嫌なら正直に嫌だと言え。こんな奴を調子に乗らせるな」

「え、嫌だったの....?」


今来たばかりの伸兄でさえ分かったのに、なんで気付かないの?


「....帰りたい」


言いたい事いっぱいある
私だって触れたい
でもここでじゃなくて


「....そうだな」





[ Back to contents ]