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扉の前

前までは佐々山さんが使っていた部屋


ここで皆で集まってご飯食べたっけ

まだ監視官だった狡噛さん
まだ生きていた佐々山さん

シビュラシステムを疑うわけじゃないけど、潜在犯って一体何なのだろうか
一係の人達を知れば知るほど、犯罪を犯しそうな人達とは思えない

道端ですれ違う適当な人よりよっぽど人間味があって心優しい人達なのに
























静か過ぎる廊下に一人



一か八か宿舎に戻って来ると踏んだのに間違ってたかな





ドアの前にしゃがみ込んで、膝の上に組んだ腕に顔を埋める


狡噛さん、怒ってたかな
怒ってたよね



立ち向かうと決めてから、何度話しかけても疎まれるか無視されるだけだったのに

いつも優しかった狡噛さんが、初めて見せた顔

さすがに、どんなに決意をした心でも少し折れた気がした


先ほどの声と表情が頭の中で蘇る



するとじわりと目に熱が集まって、嗅ぎ慣れた柔軟剤の匂いが徐々に分からなくなっていった

唇も少しずつ閉まらなくなり、スーツの袖が濡れていく




....こんな公共の場で泣くなんて、もう私子供じゃないのに


































それからどれくらい経ったかも分からないが、きっと数分



「....くそ」



囁くように降って来た声に顔を上げたのが先か、強引に腕を引かれて立たされたのが先か


そのまま開かれたドアの向こう側に引き摺り込まれた







「痛っ...」


ソファに放られると軽く尻餅をついた


「名前、お前は何がしたいんだ!」








真っ直ぐ射抜くような瞳と、肺を満たすタバコの匂い

互いの荒い呼吸が交互に混じり合う









「最近おかしいぞ!執拗に俺に付き纏って、挙げ句の果てには部屋の前で泣くのか!?何度も“もう関わるな”と言っただろ!どれだけ俺を困らせたら気が済むんだ!」

「うぅ...怒らな、いでくだ、さい.....」



息をするだけで精一杯の私に容赦無く向けられる憤怒



「何度突き離したらいいんだ!それとも、言葉じゃ分からないのか!」

「っ!」



振り上げられた拳に反射的に体を背ける

もう終わった

....そう思った



聞こえて来たのはガラスが割れた音で、目を開けると粉々になったグラスと赤く染まった破片










さすがに痛むのか苦しそうな表情

















「.....名前、どうしてもお前を傷つける事はできない。だからお願いだ、もうやめてくれ」

「どうして....どうしてですか!そんなに私が嫌いならいっそ殴って下さい!」

「出来るわけないだろ!」

「それは、伸兄が狡噛さんの上司だからですか!?」

「違う!....如何なる理由も、男が女を傷付けていい理由にはならない」

「そんな普遍的な理由なら、どうして私にだけ冷たく当たるんですか!?狡噛さんが潜在犯になってから今この瞬間まで、私がどれだけ苦しんで来たか分かりますか!私の事を傷付けられないって言いましたけど、もう充分以上に傷付いてます!」


何も言い返そうとしない様子に、私は止まらなくなった


「何があったのかは知りませんけど、この頃伸兄にも当たりが強いじゃないですか!狡噛さんが濁っていく中、伸兄は必死に止めようとしましたし、それからはたった一人監視官として頑張ってるんですよ!監視官という職の厳しさ、伸兄の潜在犯に対する嫌悪は狡噛さんが一番よく分かってるんじゃないんですか!?」

「....やめろ、名前」

「私が狡噛さんの事で散々傷付いていた時に支えになってくれていたのも伸兄ですよ、何がそんなに憎いんですか!」

「.....」

「狡噛さんが居なくなって、私はもう二度と会えないと思っていました。それで執行官と言えど、狡噛さんが戻って来た時どれほど嬉しかったか。でも狡噛さんは最初から冷たかったですよね。」

「それは...」

「居なかった間も、戻って来てから冷たくあしらわれた時も、ずっと辛かったんですよ!....唐之社さんに聞いたんですよね?狡噛さん、あなたが理由ですよ」

「.....なんでだ、俺は....」

「初めて会う日より前から憧れの狡噛先輩。知れば知る程カッコよくて優しい狡噛さんへの想いは膨れ上がっていきました。叶わない物だと分かっ

「そこまでだ名前!」





突然の第三者の声に場が凍り付く

グシャグシャな顔の私と、手から血を流す狡噛さん
床には無数に散らばったガラスの破片


















「....狡噛!」

「ちょっと、伸兄やめて!」



狡噛さんのシャツを掴み上げる様子に慌てて立ち上がる



「貴様ついに手をあげたか!?」

「待って!違うの!」

「やはり貴様も正真正銘の潜在犯という事か」

「伸兄!離してあげて!ちゃんと説明す

「お前は黙っていろ!」




私の方を見もせずに放たれた言葉に肩が震える

焦りと怒りが入り乱れた横顔





「狡噛!自分の立場を分かっているのか!」

「....ギノ、殴ってくれ。しっかり潜在犯だという事を分らせてくれ」

「なっ、ダメ!やめて!!」



狡噛さんの驚くべき要求に私は危機を感じた
今の伸兄なら本当にやりかねない
私は全力で伸兄の腕にしがみ付いた


「お願い!落ち着いて!」


































「....できない」

「ギノ!頼む」

「....出来るわけないだろ!しかも名前の前で....濁りやすい名前に暴力を見せつけるのか!」




胸を撫で下ろす私とは反対に、ハッと目を見開く狡噛さん

力無く座り込む様子をただ見つめることしかできなかった






狡噛さんを離した代わりに私の腕が引かれる

「あ、ちょっと....」



ただ黙々と歩みを進める姿に有無を言わせない雰囲気


それに連られて部屋の扉が私の後ろで閉まっても、部屋に残った人物が動く事は無かった





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