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「怪我は」

「え、無いよ、私は大丈

「脱げ」

「....は?」

「上着だ」

「あ、あぁ...そういう事ね」



公安局ビル、刑事課フロアの休憩室

私の言葉が信用できないのか、ワイシャツの上から目視で確認する伸兄

横や後ろを向かされたりと、まるで人形にでもなった気分だ




「あれは狡噛さんが自分でガラスを割ったの。私は何もされてない」


全く本当に心配性だ










「退勤したらデバイスのサイレントモードを切れ。何度も言ってるだろ」

「....ご、ごめん、忘れちゃうの」

「....それで、あいつに呼ばれたのか?」

「あ、いや....」

「....自分から行ったのか」



明らかに声のトーンを落とした伸兄
それに冷や汗が出る




「あいつは潜在犯だぞ」

「....だから?狡噛さんは狡噛さんでしょ」

「何のために潜在犯が隔離されてると思ってるんだ!」

「....でも執行官と付き合ってる人だって」

「....青柳か、全く余計な事を吹き込んでくれたな」



メガネを外して両手で額を抱える姿に、少し申し訳無さが生まれる




「青柳は監視官だ。お前と違って強い色相を持っている。それでも潜在犯とつるむのは良くない。お前の濁りやすい体質なら尚更だ。そもそも監視官ですらないお前は、本来ならば執行官と触れ合う事も無いはずなんだぞ」



....全くの正論に言葉が失くなる



「....でもせめて前みたいに戻りたい、また普通に狡噛さんと接したい」

「あいつじゃなきゃダメなのか」

「....どういう意味?」

「俺もお前も今まで多くの人を失って来た。狡噛が一人お前の世界から消えるのがそんなに嫌なのか」





確かに両親を亡くしても、佐々山さんが亡くなっても私はそこまで固執しなかった

でもそれとこれは別問題だ

狡噛さんは生きている、それにこれまでの日々が大好きだった
そんな日々が急に終わっただけでなく、寧ろ悪化した日常を過ごしているのだ

好きな人に好きになってもらえないのは別にいい
好きな人に避けられるのは苦しい





「なぜそこまで狡噛にこだわる。なぜそんなに心を痛めてまで、あいつに関わろうとする。お前が悲しむ姿など俺は見たくない。だが俺が何を言おうと聞いてくれない。俺は邪魔なのか?」

「....ごめん」




今まで口煩い伸兄に振り回されてるのは私だと思っていた
これじゃ真逆だ

私の勝手な身体の要求にも付き合ってくれて、濁りやすい私をいつも気遣ってくれて
さっきだって、狡噛さんを殴らなかったのは私のためだ

もしかして伸兄のサイコパスを悪化させてるのは私なんじゃないか





「と、とりあえず帰ろう?ダイムも待ってるよ」

「名前」

「え、ちょっと伸兄...」





休憩室を出ようとドアに向かうと、背後から柔らかな温もりに包まれる




「ねぇ誰かに見られ

「お前だけは失えない。それ程、大切だ」


右の耳に直接掛かる声
部屋の静けさとのコントラストが際立つ


こんなに弱った伸兄は初めてだ

ガラス張りのドアに映る互いのスーツ姿が、ここは職場だという事実を突き付ける








静寂が支配する空間の中、突如鳴り響く着信音に驚いたのは私だけだった


抱きしめられたまま目の前に持ってこられたデバイスに表示されていたのは、公安局局長の名前だった




「はい、宜野座です」

『突然ですまないが、執務室まで来るように』

「何か問題がありましたか」

『君の所の執行官が書いた報告書についてだ。少し聞きたい事がある』



私の肩越しに繰り広げられる監視官と局長の会話
通話している本人よりも私の方がデバイスに近い為、呼吸さえ拾われてしまいそうで息を止める



「分かりました、すぐに向かいます」

『ご苦労』




大きく溜息を吐きながら下された左腕は、またもや私腰辺りで交差する





「確実に縢だ。あいつは適当過ぎる」

「....行かないの?」

「少しだけ構わない」

「でも“すぐ向かいます”って...」








何も答えない伸兄の表情はガラスにも映らない






「ねぇ、顔見たい」




無言で腕の力が緩められたのを感じ取って、体を回転させるも私の目的は達成されなかった







まるで壊れ物を扱う様に優しい、それでもって苦悩が伝わるくらい苦しい交わり


口いっぱいに広がるミントの味

....メンタルケアサプリ









体温が離れると途端に寒く感じた


「名前、一つだけ約束しろ」

「....なに?」

「俺を裏切るな、絶対に」


....つまり潜在犯には成るなという事


「分かってるよ、伸兄も私を一人にしないでよね」







濁りやすい体質の私と、濁りやすい職の伸兄
そんな私達が一生濁らないでいられるのだろうか





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