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「....あれ?」

朝だ


自分の部屋のベッドで迎えた日曜日の日差し
時間を確認するともう昼前


昨日は夕方頃に渋谷から帰って来た

お風呂に入って、
一人でご飯を食べて、
ダイムの散歩をして


伸兄ともう一度ちゃんと話したくて、帰りを待つためにソファで溜まっていたドラマを見ていた気がする

そこから実際帰って来た記憶が無い



起き上がって部屋を出ると、リビングでダイムが迎えてくれる

「おはよう....じゃないか、こんにちは、ダイム」



部屋にも居ないし、玄関にはいつもの革靴が無いし、まるでそもそも帰って来てないみたいだ

電話もメッセージも来ていない

でもきっと寝室まで運んでくれたんだろうから、また出掛けたか仕事に行ったのかな



ぼんやりする頭を切り替えようとシャワーを浴びようとする

浴室に入った瞬間香って来たシャンプーの匂いと、僅かに残った温かさに少し安心した

....ちょっと前まで家に居たんだ



雨のように降り注ぐお湯を頭から浴びる



自分で色相を管理するとは言ったものの、不安が無いわけじゃない

今の日本はシビュラシステムが全てだし、その上濁りやすいとなると、リスクのある行為は避けるべきだ

今一時の幸せのために万が一潜在犯落ちするようなことがあれば、それこそもう全てが終わる

そうならない自信はあるのか


仮に本当に承諾して結果濁ってしまっても、選択権を私にくれた狡噛さんにも、諦めた様子ではあるものの反対してくれた伸兄にも助けを求める資格は無くなる


でもせっかくのチャンスを無駄にしたくない
それに、断ったら狡噛さんを傷つけてしまうかもしれない
狡噛さんだって元は監視官。私が濁らないように気を付けてくれるはず
それなら、自分を甘やかしてもいいんじゃ....



....あぁでも、もし濁ったら伸兄を裏切る事になってしまう
あんなに憧れていたお父さんが潜在犯になって、周りから偏見を持たれて、お母さんも今では沖縄でほぼ寝たきり
おまけに親友で同僚の狡噛さんを止める事が出来なかった
ここで私もが伸兄を裏切ったら、きっと自分で後悔する事になる


「....あぁもう!」

























































「....はぁ...」

月曜の朝、電車の中は心無しか気分の低そうな人達で満たされている

そんな私も例外ではなかった



昨夜やっと帰ってきた伸兄に、時間からして午後の当直なのかと思っていたら私服だった

『どこ行ってたの?メッセージも返信してくれな...ってちょっと待っ....て』

そのまま自室に直行したのを追いかけて行ったが、締め出されてしまった
少しして再び扉が開くと仕事着のスーツに着替えていた

『え、今日夜勤?』

『見れば分かるだろ』

『だ、大丈夫なの?昼間出かけてて寝てないでしょ?...わっ!』

出勤の準備に忙しなく歩き回る背について回っていたため、急に立ち止まってこちらを向いた胸に鼻をぶつけそうになった

『....お前には関係ない。それより自分の心配をしたらどうだ。潜在犯と関係を結んでも色相を濁らせない方法でも探るべきじゃないのか』


この時の、私を見下ろす端正な顔が脳裏から離れない

20年近く毎日のように見てきた母親譲りの整った顔立ちに、これほど大きく鼓動が波打った事は無かった

でもそれは所謂恋愛的な胸の高鳴りではなく、緊張から来るものだった


『....反対なんじゃないの?』

『....好きにしろ』






....って言われても、それは余計私を困らせるだけだった


つり革を持って立つ私の目の前に座る男性は、コクリと頷くように眠っている
それを見て平和だなと思ってしまう












職員証をかざせば開かれるゲート

その足で人事課に向かう


出勤時間5分前に自分のデスクに着く
鞄の中からヘアピンを取り出して耳上に留める
そんな自分の動きを置き鏡を通して見つめる




「おはよう名前!」

「あ、おはよう」

「良かった、土曜よりは顔色良いね」

「そう?心配かけてごめんね」


顔に出てないだけ良かったかもしれない


「もう、友達なんだから当たり前でしょ!それよりさ...」

「え、な、なに!?」


いきなり私の体に顔を近づけられ、反射的に後に退けぞった


「なんか...匂いが....」

「え!臭い!?」


私はすかさず自分のスーツの袖を嗅いだ


「あいや、そうじゃなくて!普段名前、香水か何か付けてるよね?」

「うん」


....あっ
そこまで言われて気付く



「その香水変えたの?....好きな匂いだけど、なんとなく名前に合ってない気がする...いや、ごめんね!嫌いとかそうじゃなくて!」

「....間違えた」

「え?」



嗅ぎ慣れすぎて言われるまで気付かなかった



「....これ私のじゃない」

「まさか...それ」

「....やっちゃった」


伸兄が使ってるのは私が以前プレゼントしたもの
それは私が自分で使ってるものと同じメーカーで、男性用でもパッケージが似ていた
私のは玄関に、伸兄は自分の部屋に置いてるはずだけど、昨夜急いで出勤してたから多分その時に...?



「ええ!ちょっと、もっと嗅がせて!」

「なっ!嫌だよ!変態みたいだよ!」

「お兄さんの香水付けて来る方が変態だと思うけど?」

「もう言わないで....」

「どこのやつ?私も買おうかな!」

「えぇ本気?男物だよ?」

「いいからいいか

「失礼します」


突然聞こえた人事課に響き渡る声に、皆そっちを向いた


「広報課です。来週からの公安局ビル見学の担当スタッフになっている方は至急39階の大会議室に集合してください」





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