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午前3時
チャイムが鳴り響く
こんな時間に誰だと思いながらも扉を開けると、予想外の人物に俺は動揺した


「名前....?っ!どうした!」

息を切らしながら、いきなり胸に飛び込んで来る状況に全く理解ができない

昂る感情に急いで身体を引き離した


「こ、狡噛さん....」


外は雨が降っていたのか、濡れたワイシャツが透けている


「っ、とりあえず風呂に入って来い。タオルと着替えは俺が用意しといてやるから」

「...すみません....ありがとうございます」



シャワールームに案内するとすぐに聞こえて来た水の音

...なんなんだ突然

ギノに連絡した方がいいのかとも考えたが、その方が都合が悪いと気付く俺は最低だ



寝室に入り、名前に着せられそうなものを探すが俺が持っているのはスーツとトレーニング用のウェアのみだ

仕方なくトレーニング時に着るシャツとスウェットパンツを取り出して、バスタオルと共に洗面所に置く




絶えず水が流れている間、俺は読んでいた本の続きをと思ったが脳がそれを拒否した

何度読んでも上手く理解出来ない


...仕方ない

俺は部屋を出て休憩室へと向かった




さすがに静かだ
自分の足音以外の音がしない

そのためか自動販売機で買った缶の落ちてくる音が、異様にうるさく感じた

名前が好きなリンゴジュースと、自分用にコーヒーを一つずつ



名前は泣いていた
それが誰の為に流されていたのかは明白だ

近頃のあいつはどこかおかしかった
変に落ち着いていたというか
だが名前は、「特に何も無い」と答えていた

それが今になって突然この事態だ
全く....あいつは何をやってる

と苛立つ感情が半分、俺を頼ってくれた事に嬉しい感情がもう半分















部屋に戻ると、俺が用意した着替えを律儀に着てソファにただ座っていた


俺は買って来た缶を差し出した

「...ありがとうございます」

「隣いいか?」

「あ、はい...」


この部屋は前の使用者が佐々山で、そのまま引き継いだため、俺らに必要無いドライヤーは無い

髪から滴る水がシャツを少しずつ濡らして行く様子が、名前の心情を映しているようだった


「....すみません、こんな夜遅くに突然...」

「気にするな、迎え入れたのは俺だ」

「....狡噛さんは優しいですね」

「好きな女に優しくない男がいるのか?」


そう言うと急に手元のジュースを飲み始める姿も愛おしい





「....何があったか聞いてもいいか」

「.....」

「ギノか?」

「....はい」

「何かされたのか?」

「....いえ、そういうわけじゃ....ないんですけど....」


言葉を濁し核心をつかない様子に、話したくないのだろうと察する


「....無理に言わなくていいさ。明日...と言ってももう今日だが仕事だろ、休んだらどうだ?」


立ち上がり寝室に向かおうとするも服が引っ掛かった感覚に足を止める


「名前...?」

「....狡噛さんはどうするんですか?」

「俺は...もう少しここに居る」


実際寝室を譲り、ソファで休むつもりでいた


「私が居たら邪魔ですか?」


そう俺を見上げる視線にどうにかなってしまいそうだ
思わず目を逸らして息を吐いた


「....お前は俺の気持ちを分かった上で言っているんだろうな」

「ご、ごめんなさいっ...」

「謝ってどうする」

「いや、その....」





「....吸ってもいいか?」


佐々山と同じ銘柄のタバコ
せめてもの弔いと、マキシマを忘れない為に



「....佐々山さんが亡くなってからですか?」

「ん?」

「前はタバコ吸ってませんでしたよね」

「あぁ....」



上り行く煙を見つめる潤いを含んだ瞳

その心理にあいつがいる事は分かってる
なんだかんだ言って、名前にとってギノの存在は大きいんだろう

それは俺が何をしても超えられない壁だ
家族でもあり家族ではない
兄妹でもあり兄妹ではない
幼少期に孤独になった共通の過去を持つ
そんな二人にしか分からない物は多い


それでも、目の前で他の男を思って泣かれる以上に辛い事はない









俺はそんな雑念を押し潰すように、煙を吐いた








「....あの、」


突然発せられた声に咥えようとしたタバコを離す


「....聞いてもいいですか」

「なんだ」

「どうして...私なんですか....?」


その質問に俺は名前を見つめた
部屋に全く不釣り合いなか弱い表情
全く似合っていない大き過ぎるシャツ


「....理由が必要か?」

「いえ、その....気になって....」


目元に溜まった涙が今にも溢れそうだった
それを拭おうと手を伸ばす


「お前が泣けば俺も苦しい。お前が笑ってくれるなら俺は悪にでもなろう。俺は潜在犯だ、失う物はもう無い」


触れた頬は驚く程に冷たかった


「笑え、名前。言っただろ、お前にはその方が似合うと」


俺の言葉とは裏腹に次から次へと落ちる滴

これは俺のせいか?




「狡噛さん、」







忘れかけていたタバコを灰皿に押し付ける








「ずっと側に、居てくれますか」





そう紡いだ唇は、どうしようも無く俺を溺れさせた





その吐息も、その表情も、その肌も、
今まであいつに何度見せた

これから俺が見聞き触る全てを、あいつも知ってるのか


そんな嫉妬に今更駆られ、奥深くにはもうあいつが刻まれてるんじゃないかと暴走しそうになる


いくらそれが俺のせいだったと分かっていても、自業自得な事だったとしても


もう止められない





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