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「....あ、家着いた...?」

「なっ、おい!」


玄関に入り突如目を覚ました名前が雑に脱ぎ捨てた靴を揃える


「シャワー浴びるー...」

「待て!無理だ!」


おぼつかない足取りで中に入って行くのを仕方なく追いかけるも、ダイムに遮られ急いでドッグフードを準備し、浴室に向かった





すでに水の音がする扉を開けると、衣服を着たまま床に座り、頭からシャワーを被る様子に思わず溜息が出た


「名前!出ろ!」

「やだよー、冷たくて気持ちいいんだもん....」


まさか冷水かと呆れて、とりあえずジャケットを脱いで中に入った



「え、止めないでよ!」

「馬鹿か、風邪引くぞ」

「だって暑いよー」



酒を飲んで体温が上がっているのだろう
名前のポケットを探りホロコスを切ると、濡れ切ったスーツが現れる


「ほら、立て」

「やーだー」

「名前!....っ!おい!」



いきなり降り出した水を共に全身に浴びる
....いくらジャケットは脱いだと言えど俺もスーツだ

名前のも含めて2着もクリーニングに出さなきゃいけない事に頭を抱えた



「いい加減にし







そう再びシャワーを切ろうと腕を伸ばすも、首に働いた引力と唇に触れた柔らかな感触







「.....お前、酔いすぎだぞ」

「ネクタイってこのまま引っ張れば解ける?」



まるで会話が成り立っていないまま、尚も俺のネクタイを掴んで離さない名前にもどかしくなる




「....あれ、お湯になっ、んっ」

「.....そのまま少し浴びてろ、タオルを持って来る」

「はーい....」















肌に張り付いて気持ちが悪いシャツを脱ぎ、濡れたスーツをとりあえずハンガーにかけた

部屋着に着替え、湯気に曇ってしまうメガネを外してバスタオルを抱えて名前の元に戻る




「ほら、出て来い」


大量の水分を含みずっしり重くなったジャケットを受け取り、下着が透けて見える体にタオルを掛けた


「.....ごめん、ちょっと覚めて来たんだけど.....私あの場で何かやらかしたっけ....?」

「それは今度友達に聞け」

「.....なんか嫌な予感する」


“着替えて来る”と自室に戻って行くのを見送って、俺はリビングへ出た








最近の郵便物や今月の決済を確認する

食事を終えたダイムはソファで寛いでいる


やはり一番金額が大きいのは母さんの介護費用だ
それでも施設に送るわけには行かない

最近医者には“良くない状態だ”と言われた

俺に支払える能力がある限りは、母さんには生家で過ごして欲しい




ふと一枚のメッセージカードを見つける

今時電子以外での情報伝達は珍しい


“一人じゃないの?”


....どういう意味だ









「伸兄ー!」


そう大声で呼ばれて、メッセージカードを廃棄してから名前の部屋に向かった








「なんだ」

「髪乾かして」

「....それくらい自分でしろ」

「疲れた」

「....俺はお前と違って明日も仕事なんだぞ」

「なら早くしよ」



パソコン前のチェアに座り、ドライヤーを俺に手渡す

....拒否権は無いのか






「ねぇ、」



指と指の間を抜けて行く黒髪
風に煽られ踊るように舞うそれは、徐々に水気が無くなっていく



「私、伸兄を好きになれば良かったのかな」

「....なんだいきなり」

「普通に考えてさ、こんなに気にしてくれる人居ないよ」

「それは褒めてるのか」

「うーん....まぁ褒めてるかな?」

「....狡噛が聞いたら泣くぞ」

「好きなのは狡噛さんだよ」




それを言われている狡噛も、それを聞かされている俺の身にもなって欲しいものだ
逆に、こう本音を話してくれるのが俺の立ち位置なのかもしれない






「....俺と狡噛の違いはなんだ」

「.....伸兄は落ち着く、狡噛さんはドキドキする」




どう捉えていいのか分からない発言に、どう反応すればいいのかも分からない




「いやでも.....伸元も、.....やっぱりなんでもない」

「なんだ、言いかけてやめるな」



ドライヤーの電源を切りコンセントを抜く



「何でもないってば」

「名前」



俺はどうしても気になった
いくら名前の事はよく分かっていると言えど、それには限界があり、その限界を出来るだけ遠い物にしたかった


チェアを回転させ、俺に体を向けた名前は、気恥ずかしそうに俺を見上げる






「じゃあ.....キスして」

「....は?」

「いいから!」

「意味が分からない!そもそも、して欲しいと言われてする物じゃないだろ」

「流れが無いとダメって事?」

「ならお前は俺がしろと言ったらするのか?」

「.....いや、考える.....けど!私が何を言おうとしたのか知りたいんでしょ?」

「だからそこの関連性が分からないと言っているんだ」

「じゃあいいよ別に。私も教えなくて済






俺は毎回結局名前の策略に負ける
頬を包んで持ち上げても低過ぎるその位置に、身を少し屈めた




「.....い、今のは反則だよ!」

「何が反則なんだ。とにかく、約束は守ってもらうぞ」

「.....そ、その....」



そう口籠る名前を俺は待った
何を言うのかやや不安ではあったが....









「伸兄でも....こういう時は......ドキドキする」







思いもしなかった発言に、衝動が込み上げて来る






「.....名前、そういう事はよく考えてから言え」

「え、だから、んっ.....」

「.....その感情は、この先の行為にも含まれているのか」

「んぁ、当たり前で....」

「名前、俺達はどちらがどちらに似たのだと思う」

「.....え?.....あ、ちょっ」

「一応言っておくが、誘ったのはお前だからな」





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