▼ 88

「お疲れー」

「この後皆でカラオケ行くんだけど、名前も来る?」

「あー....今日はちょっと無理かな....ごめん」

「お兄ちゃんとデートかなぁ?」

「なっ!だからそんな関係じゃないって!」

「いやいや、思いっきりブラコンじゃん」



例の合コン以来そう言われ続けている
まぁ茶化されてるくらいだけど

あの日は本当に伸兄に迷惑をかけた

次の土曜日起きたらもう昼を過ぎてて、デジャブな頭痛と気持ち悪さに、前にもお酒を飲んだことがあったんだっけ?と考えた

スーツが1着無くなっていた事に、伸兄のスーツまで濡らした事は思い出したけど、その先の記憶がほぼ無い

.....なんとなくビールを飲んだような気がするんだけど

すごく気持ち良く眠った気はした


私酔うと記憶無くすタイプなのかな



「とにかく違うから!」

「ハハ、ごめんごめん。まぁほら、上りのエレベーター来たよ」

「あ、ありがと、じゃお疲れ」
















一人の密室の中、狡噛さんの言葉を思い出す


“優しさで決めるな”って、つまり“断ったら悪いとか思うな”って事だよね....?

.....それは思ってしまった

確かに狡噛さんの事は好きだ
でもそれに責任を負えるのかと言われれば別問題

もう付き合うとかそういう次元じゃない話になると、もっと難しい

あの時散々悩んで、結局私を動かしたのは伸兄が居なくなったからだった
またそんな事が起きるとは思えない

あんなに下せなかった決断が、より厳しいものとなってまた帰って来た


結婚なんて....
お父さんのアドバイスを思い出す



伸兄は特に意見を言わなかった
ダメとも、好きにしろとも、何も言わなかった

ただ
“お前がどうしたいのかは分かる”
とだけ

お互いが一番の理解者である私達は、度々互いに向けて同じ事を考え思う

そういう意味で、私自身も知らない答えを伸兄は見抜いているのかもしれない

でもそれを教えてもらうのもおかしいし、聞く勇気も無い


そして何より、狡噛さんは“今はまだこのままでいい”と言ってくれた
それに甘えたいのがやっぱり正直なところ





41Fで開いたエレベーターを降りると、そのまま一係を目指した



廊下を進んで行くと




「俺は本気だ!そんな甘い気持ちで言ってるんじゃない!」




そう響いて来た声に足音を殺した


その声は紛れもなく、大好きな狡噛さんの声





「その考えが甘いと言っているんだ」



....伸兄?



身を屈めてそのガラス張りのオフィスを外から覗く


静かな廊下と、2係3係オフィスが空な状況が二人の声を明確にさせた原因だった


向かい合って立つ二つの黒いスーツ姿





「お前は潜在犯がもたらす影響を考えた事がないのか?そんな簡単な事じゃない。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと言う。征陸から歴史の授業でも受けたらどうだ」

「あぁ、今まであいつを守ってくれて感謝する。これからは俺の番だ、何よりも大切にすると誓う。もう二度と傷付けない」

「言ったはずだ、お前は必ずまた.....っ、はぁ.....どけ」



ガラス越しに合った視線が近付いてくる光景に慌てて立ち上がった







「何をしている」

「い、いや.....お取り込み中みたいだったから.....邪魔しない方がいいかなって」



その背後の狡噛さんに軽く会釈をした



「帰るか」

「あ、狡噛さんの部屋に行きたいんだけど.....いいですか?狡噛さん」

「当たり前だろ」

「どれくらいかかる、名前」

「.....20分、いい?」

「車で待ってる」












エレベーターホールにて、下りが先に来て伸兄はそれに乗って行った


「....何か取りに行くのか?」

「まぁ、それもあります」

「....もう一つの理由を聞いてもいいか」


そこで開いた扉に一緒に乗り込んで、50Fを押す




「....好きな人に会いたい、からです」

「....全く本当にお前には敵わないな」

















私の前でロックが解除されたドアが、今度は私の後ろで閉まる


それと同時に視界が揺れた


一瞬にして包まれた男らしい匂いに胸が弾んだ


「名前.....本当にすまなかった」

「....怒ってませんから、自分を責めないでください。ただちょっと怖かっただけなので....」

「もう、もうそんな思いはさせない、絶対に、約束する」




より力が込められた腕に、厚い胸板を軽く押すとすぐに緩めてくれる優しさに少し申し訳なく感じてしまう




「.....あの、この間のはもう少し考えさせてください.....ちゃんと後悔しな

「分かってる、それでいいさ。それより20分しかないんだろ?」

「えっ、わっ!こ、狡噛さん!」



突然宙に浮いた身体に驚いて、すかさず逞しい首元に捕まった




「それだけあればお前を悦ばす事は出来る。いいか?」

「そ、そんな事聞かないでくださいって何度も言




「.....やっぱりお前の唇は柔らかいな」



恥ずかし過ぎてどうにかなってしまいそうで、思わず目を逸らし.....



「っ!」

「逸らすな、俺を見ろ。今までは“聞かないで”というお前にどうすればいいのか分からなかった。だがその恥じらった表情、俺は好きだ。もっと見せて欲しい」




最中に広がるソファの感触、まだ覚えてる




「名前、今は俺の事だけを考えてくれ」





[ Back to contents ]