▼ Gift
「え!?北村先輩が結婚!?」
「あぁ」
「しかも菜摘先輩と!?」
ネクタイを緩めながら、披露宴の招待状をリビングのテーブルに置く伸兄
今時、まだこうして紙で出来た招待状を送ってくるなんて珍しい
夫婦になるのは、伸兄の中学時代の同級生
私も校舎内で時々見かけた事がある
確か高校に入ってから、シビュラに相性抜群だと診断され付き合っていた
そんな二人がもう結婚か...
毎日公安局で働いては帰るだけの私と伸兄には、全く縁の無い話だ
招待状に示された日付は....
「.....ちょっと、明日の夜だよ!?」
今は金曜の夜
いや、土曜の始まりとも言える
「1ヶ月前には届いていたんだが、お前に言うのを忘れていた」
「え、あ、知ってたの?そっか。じゃあ、行ってらっしゃい」
「お前もだ」
その至ってシンプルな返答をいまいち飲み込めず、変な間が続く
「.....え?」
「だから、明日は一緒に来い」
「で、でも私ドレスとか持ってないよ?」
「買えばいい」
「買えばいいって....あ、ホロコスダウンロードする?」
「人のめでたい日にパジャマでも着て行く気か。ホロでも所詮は偽物だ、失礼だろ」
「で、でも、披露宴は明日の夕方からだよ?間に合わないよ!」
寝室へと向かう背中を追いながら言葉をぶつける
「問題無い、予約してある」
「予約?」
「いいから、今日はもう寝ろ。明日12時には家を出る」
スーツのジャケットをハンガーに掛けて、部屋着を取り出したのを見てシャワーを浴びに行く事を察する
共に部屋を出て、伸兄は洗面所に、私は自室に戻る
そういえば披露宴なんてもってのほか、パーティーに行った事なんて無かった
そのため、特別に着飾った事もなかった
開始時刻まで24時間を切っているのにも関わらず、何の準備もしていなくて不安ではあるけど、正直楽しみ
本当に眠る前に、好きな音楽を一回だけ聴く
これが私の習慣
太陽が眩しい東京の街並み
夜はネオンで照らされるのだから、東京に休みなど無い
「....ねぇ、そろそろどこに行くか教えてよ」
「知ってどうする」
隣で運転する伸兄からの返事は、私を満足させない
高速を降りて一般道を走ると、またガラッと風景が変わる
それを堪能しようと左側に視線を移すが、そのタイミングで車が徐行する
駐車を始める様子に、どうやら目的地に着いたようだと、停車したのを確認してからドアノブに手をかける
「えっ...」
自動で開いたのかと思ったが、にこやかな男性が目に入る
「お待ちしておりました」
「ど、どうも....」
差し伸べられた手を取って車を降りると、ようやく今居る場所が分かる
私と伸兄のスーツの製造元だ
数百年と続く、数少ない老舗高級ブランド
起源はヨーロッパらしいけど...
私のスーツも伸兄がオーダーした物だから、実際ここに来た事は無かった
そんな私とは相対的に、建物に入って行く伸兄を慌てて追いかける
「宜野座様、当ブランドをご贔屓にしていただきまして誠にありがとうございます。準備は出来ておりますのでこちらへどうぞ」
高級感ある店内は、無闇に見て回ってはいけない気がして、伸兄の後ろに隠れる
「名字様、本日担当をさせていただきます佐々木と申します」
突然横から現れた女性は、そう私に頭を下げた
それを見て私も慌てて真似をした
「では、こちらへ」
“行って来い”と諭す伸兄を置いて、佐々木さんに着いて行く
案内された部屋は私の寝室よりも大きかった
「今着ているものをこちらでお脱ぎください。下のお下着だけそのままで、上はこちらにお着替えください。私はすぐこちらに居ますので、何かございましたら遠慮無く申し付けください」
そう言って渡されたのはストラップレスのブラジャー
いきなり何が何だか分からないが、とりあえず指示に従って仕切りの反対側で服を脱ぐ
「....で、出来ました、佐々木さん」
今日初対面の人に下着姿を見られるのは、同じ女性と言えど恥ずかしい
「では、こちらへのお着替えをお手伝させていただきます。」
そう言う佐々木さんの視線の先にあるのは、胴のみのマニキンに着せられた深い真紅のドレス
「.....え、これですか!?」
「はい、オートクチュールですよ」
「お、オート...何ですか?」
無知な自分が恥ずかしい
「名字様のために、我々が一からデザインさせていただきました。以前スーツをオーダーされた時のサイズを参考にしてお作りさせて頂きましたが、万が一お体に合わない部分がございましたら、すぐにお直し致します。」
開いた口が塞がらないとは、まさにこう言う事だ
スーツですら1着ウン十万するのに、このドレスの値段なんて想像がつかない
....監視官ってそんなに稼げるのか
私だって厚生省所属なのに....
「楽にしていただいて大丈夫ですよ」
シンプルで上品なシルクが気持ちいい
ドレスは膝が隠れるレングスで、肘までのフリル袖を含めた胸より上は黒のレースで出来た襟付きの物だった
レースが複雑なデザインの分、胸以下のシンプルな暗い真紅のシルク素材が際立つ
目の前の大きな鏡が私と、後ろで着付けてくれている佐々木さんを写す
「いかかですか?」
「....綺麗です、本当に素敵です」
「デザインには宜野座様のご意見が強く反映されているんですよ」
「え、伸兄が....」
....言われてみれば監視官として忙しい中、ここ最近貴重な休みにいつもどこかへ出掛けていたような
「サイズは大丈夫そうですね。シューズはこちらを」
渡されたのはヒール部分に金の装飾が施された黒のヒールパンプス
7cmのヒールが私に自分はスタイルが良いのだと錯覚させる
「お化粧とへアメイクをさせて頂きますのでどうぞ、おかけください」
そう促されて座るのと同時に、3人ほど別のスタッフが部屋に入って来る
あぁ、いわゆるメイクさんかな
そこからは1時間ほど、言われるがままに目を瞑ったり、顔を動かしたりしていた
鏡の中の自分がどんどん別人になって行くのを見るのは楽しかった
ハーフアップにされた髪には、本物の花飾り
胸元には可愛いらしい小ぶりなダイヤのネックレス
人って本当に、変わろうと思えば変わるもんなんだ....
「以上で終了です、お疲れ様でした。今夜は披露宴にご参加されるそうですね。楽しんで来てくださいね」
端末で時間を確認すると、午後3時過ぎ
パーティーの開場まであと1時間
なかなかちょうどいい時間だ
来た道を辿るように店内を歩いていると、出入り口付近で壁に背中を預ける見慣れない姿が目に入る
いや、人自体は知り過ぎている程だけど、黒のスーツにグレーのベスト、それにシルバーのネクタイがすごくよく似合っている
ドキドキしてしまっている心臓をどうしたら止められるのか
「遅れて悪かったな、バレンタインのお返しだ」
旧時代にあったと言うバレンタイン
そう言えば今年の2月、チョコでは無いものの、新しいパジャマをプレゼントした
そんなバレンタインのお返しは、確か1ヶ月後だったはず
「え、もう5月だよ!?それに高かったんじゃ....わっ!」
急に腰にかかった引く力に、慣れないヒールでつまずきそうになる
「....綺麗だ、名前」
真っ直ぐ上から降り注ぐ声が、私の全身の熱を顔に持っていく
厚い胸板から少し体を離して、その端正な顔に手を伸ばす
「なっ、名前、返
「今日はいいでしょ?結婚式だよ、色相が曇るわけない」
レンズを取り払った瞳に一層鼓動が速くなる
「....これくらいは許してくれ」
額に一瞬だけ感じた柔らかい感触
....おかしくなりそうだ