第3話 紛れ、惑う


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「帰れ」
「夕飯くらい一緒に食べようよ!一人なんて物寂しいじゃん」

 玄関の扉を10センチちょっと開けたところで人見が顔を出す。いまとなっては俺の部屋のチャイムを鳴らすのは人見くらいしかいない。帰ってくるやいなや、人の家に押しかけて飯を食おうと強制する。しかも今は実習期間だ。まだ最初の方でそこまで忙しさを極めてないとはいえ、やることはたくさんあるはずだ。
 なんて即刻寝ようをしている俺が言うセリフではないが。

「浅香ちゃんとご飯食べてる?」
「………食べてるし」
「ほら見ろ食べてないだろ。俺が冷食買ってきてやったから」
「冷食かよ」
「わがまま言うな。開けなさい」

 もう何分ここで言いあっているかわからない。退きそうにないのでしぶしぶ玄関の扉を開けると、すぐさまリビングまで入った人見が、机の上に広げられたノートや教科書の類を見て驚いたような顔をした。

「わぁ本当にちゃんとやってる」
「そりゃそうだろ」

 おおかた片付いてもういいだろうと思ったところだ。机の上を片付け、人見の持ってきた冷食のチャーハンを温めている隙に、待ってましたとばかりに机が占領される。人見はパソコンを広げ、指導案の書き直しをしているようだった。わざわざ人の家でやるな、家でやれと背中に蹴りを入れてやりたい。

「浅香いろいろ仕事がはやくない?」
「普通」

 単純にお前らと経験値が違うんだよ。かかる時間もそりゃ違うだろ。
 思わず言ってやりたくなったがぐっと言葉を飲み込む。

「俺、赤の量とかもすごいんだけど。わりとへこんでるよ」
「そんな語尾に音符マーク付きで言われても説得力ねぇよ」
「いや、マジマジ。…黒木先生けっこう言うからなぁ。授業実習が怖い」

 人見でも弱音を吐くのか、なんて思ってその背中を見つめた。ぼそりと呟いた声はいつもよりも低くて、あの底抜けのアホさは微塵もなかった。

 こんな時かけるべき言葉がわからない。そもそもどうしてほしくてわざわざ俺にそんなことを漏らしてるのかも分からない。

 無言を誤魔化すようにチャーハンを掻き込み、この間人見が整理した本から一番近いところにあった宇宙物理学の本を引き抜いて、ぺらぺらと眺める。四次元という単語に線が引いてあった。

 人の家でパソコンに向かい必死に指導案を書く人見を眺めながら、ベッドに横になってその横顔を眺める。
 自分が何者なのか忘れてしまいそうだった。つい最近まで人との関わりを拒絶してきたのに、今だってそうなのに。ずかずかと無遠慮に踏み込んできた人見を俺はどうして許してしまっているのだろう。波風立てたくないにせよ、ここまで仲良しごっこをすることないだろうに。

「人見」
「うん?」

 いつもは自分からなんて話しかけようとも思わないのに、自分の隣に人見がいることに俺は慣れすぎてしまったのかもしれない。

「四次元ってどう思う?」

 視線を手元に落としたまま人見がふっと笑った。俺は人見の滑らかに動く手元を意味もなく見つめていた。

「唐突だなぁ。好きなの?けっこうそれ関連の本多いよね」
「いいから答えろよ」
「怒んなよ。質問も質問だろ。四次元空間が実在したらってこと?」
「なんでもいいよ」
「だからなんで怒ってんだよ。…まぁ、俺も高校生の頃なんかは、俺たちのこの三次元を四次元空間に存在する何かが覗き込んでいるのかもしれない、とか考えて楽しんでたよ」
「その四次元には何が存在してると思う」
「さあ…授業のネタにすんの?ベクトル範囲じゃなくね」
「……ただの興味」

 後ろを振り向いて首を傾げた人見から顔を逸らそうと寝返りを打った。
人が見ることの出来ない世界に何かは存在しているのか。俺たちがアリやカタツムリを見るように人間を見ているものはあるのか。

 あのピエロは何者なのか。今も俺を見ているのか。クスクスと笑うあのお面の向こうは、誰なのか。そこに何かは存在しているのか。

 目をつむり考える。掴めることなど皆無だった。

 部屋には依然と他人の気配がある。落ち着かないその空気は近いようで、一定の距離を保たれていた。いっそのこと踏み込んでほしいなんて思うと同時に、これ以上関わりたくないと矛盾した思いがせめぎ合う。
 どうせ誰でもいいのだ。この人恋しさを満たせたら。

「浅香、これさ」

 パソコンの画面を見せてきた人見にテキトーな相槌を打つ。気づいた範囲で注意されそうな箇所を指摘しベランダへ逃げた。

 外の空気は冷たくもないが、暑くもない。気持ち悪い風が肌にまとわりつく。久々に煙草を吸いたい気分になっった。


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