第4話 連れ去って、逝って


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「………彼女じゃ、ない」
「それじゃもっとヤバイでしょ」
「……人じゃない」
「そんな顔で今さら冗談言わないでくれる?」

 クスクスと笑う人見の顔を見上げれば、その目はまったくもって笑っていなかった。まるで表情のないその目に背筋が凍る。やけに静かな部屋のなかに、外の雨音が思い出したように聞こえてきた。
 
「人見…?」
「うん?」

 恐る恐る窺うように呼べば、いつものようににっこりと目尻を下げて笑い人見は小首をかしげた。もうさっきのような冷たさはない、いつもの人懐っこさに溢れた目だった。その目を見てほっと安心する。
 
「……帰れよ」
「えぇ〜実習終わってからまったく浅香としゃべれなかったし、冷たいなぁ」

 部屋を見回した人見が散らかった本を見て呆れたように溜息を吐いた。この3週間で実習後に必要のなくなった書類などでさらに荒れている。前に人見が整えてくれた本も新しく増えたり読み返したりでバラバラに積み上げられていた。
 
「じゃあ俺はこの本整理しとくから、浅香は寝てていいよ」
「………」

 こんな環境で寝れるかよ。

 つい三週間前までは毎日人見がここにいて朝目が覚めるなんて日常だったのに、今思えばそれがどれだけ普通じゃなかったのかが分かる。
 
「少しは懐かれたと思ってたんだけどな」

 自分の部屋だというのにどこにいればいいのか分からず、ただぽつんとベッドに座りテキパキと動く人見を眺める。電気もつけていない部屋は夜明け前のように暗かった。
 
「浅香は本当、全然気を許してくれない」

 寂しそうにそう言うのだ。そんなことない、と思う。誰とも関わりたくなかった。それはいまでも変わらない。それでも人見なら、と自分の全てをさらけ出したくなってしまう。

 見限られたくないと思うが、忘れてほしいとも思う。俺のことなんてさっぱり忘れてくれたら、きっと俺もそれだけのものだったんだって諦められるのに、こうして懲りずに俺に構うのは人見だ。

 間違っているのだろうか。特別な誰かができれば未来は見えるのだろうか。でも間違えたのはきっとはるか昔。何十回と間違いを繰り返し続けた。もう今更俺ができることなんて、疑い続けることしかない。

 何度殺されようが、俺にとってのバッドエンドも彼女たちにとってはハッピーエンドに過ぎないのだ。そうして何度繰り返したハッピーエンドも利己的でしかなかった。自分で自分を救うことなんて出来ず、ただ蜘蛛の糸にしがみついて被害者面して生きている。

「俺にはお前が分からないよ」

 何にそんなに怯えている?とそう聞かれた。宥めるような口調に腹が立つ。とっくに悟られていたことにも。

「殺されるからだよ」

 無意識にこぼれ出た真実に、人見がポカンと口を開けた。その情けない表情に苦笑がもれる。

「どうせお前も殺すんだ。どれだけ信じたって最後にはみんな俺を裏切って殺すんだ」

 どんな妄想だ、とそう思うだろう。まったく馬鹿馬鹿しい。

「なんでそんなことが言えるんだよ。未来から来たとでも言うのか?」

 呆れたように言った人見の背後のカレンダーが目に入った。

「……教えてやるよ」

 もうどうにでもなればいい。どうせ壊れるのなら壊れてしまえ。今そうなるほうが、ずっと傷が浅くて済む。

 こんな試すようなことで人見の俺に対する信頼を知ろうとしている自分が情けなかった。もし笑いとばされたとしても、だから言ったじゃないかと逃げ道を用意して。本当にこざかしい。俺に構うんだったらその意気を見せてくれ。俺を救えるのなら救ってくれ。

「再来週の7月14日、通り魔事件が起きる。発生時刻は午後二時過ぎ、死亡者は8人」

 さっきまで呆れていた男の顔が少しずつ固まっていくのは見物であった。こんなことならもっと早くにばらしてしまえばよかったのかもしれない。人見に顔を近づけ、そっと耳元で囁く。

「場所は――」

 化け物でも見るかのような顔を鼻で笑った。

 もうこの場にいるのも嫌で、人見を置いて財布と携帯を掴み玄関に向かった。雨音が聞こえる。正直外に出るのも億劫だ。それでも、こんな淀んだ重い部屋にいるよりマシかもしれない。

 後ろからは物音一つ聞こえなかった。玄関で人見を振り返る。

「わかったら…わかったら、絶対に行くなよ」

 いまだに目を見開きポカンと口を開けている人見にそれだけ言うと、俺はアパートを後にした。


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