第4話 連れ去って、逝って
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毎年梅雨入りははっきりとしているのに、梅雨明けとなるとやけに曖昧になる。今年も例にもれず、はっきりと梅雨明けしたとの報道はないにしろ、すっかり晴れた日が続くようになっていた。学内のキャンパスでは蝉が鳴き始め、暑さも日々加速していく。すっかり夏だった。
エアコンをガンガンに効かせた室内で、相変わらず光は遮光カーテンに遮られている。薄暗い部屋には蝉の声が薄く聞こえていた。テレビからは通り魔事件の報道が緊張感もって報道されている。カメラがスタジオに戻ったかと思うと、今入ったニュースです、とアナウンサーが原稿を読み上げる。死者がまた一人、増えていた。
シンと静まり返った部屋の中で、俺は後ろを振り返った。青い顔をした人見が突っ立ってニュースを食い入るように見つめている。ついさっき汗だくになって騒がしく人の家に入ってきて以降、一歩もその足は動いていなかった。人見の頬を汗が伝う。火照った頬はとっくに青く、乱れた息もすでに落ち着いていた。
「…、なんで…」
何に対する疑問だと言うのだ。言ったじゃないか。通り魔事件が起こると、死者が出ると、間違っても事故現場に近づくな、と。最後の警告には従ってくれたようで、駆け込んできた人見を見た時は肩の力が抜けた。
「なんでもなにも、そういうことだよ」
「そういうって……浅香は」
「未来から来たって?最初に疑ったのは人見だろ」
「でも…」
「なんだろうな。でも、おかしい」
使われた凶器に間違いはないか。死者の数は同じか。これまでと違うのは、犯人が現行犯で捕らえられていること。
まただ。またどこかしらがかみ合わなくなり狂っていく。
「おかしい…?」
人見がカスカスの声で聞き返した。酸素を求めて息を吸う音が聞こえてくる。ローテーブルに置かれた水滴の付いたグラスの中で氷がカランと音を立てた。
「俺が一浪してるの、知ってた?」
「へ?」
人見に聞けば場違いな質問にポカンとされる。それもそうだ。グラスに浮いた水滴を撫でながら聞こえるかどうかも怪しい声で俺は呟いた。
「母親が病気になったからだよ。これまでそんなこと、一度もなかったのに」
「……え?」
よく聞こえなかったようで人見が聞き返す。しかし二度も同じことは言わない。母親が病気になったのは、この人生がどこかおかしいと不安になった大きな事件でもある。
「浅香は…本当に未来から来たの…?」
「そんなこと信じてるの?…どちらかっていうと、過去から来たようなもんだけどな」
一向に進まない停滞した時間軸。いいな。いいなぁ人見には未来があって。溜息をつきたくなるのを必死に抑え込んだ。テレビに視線を戻し、見慣れたはずの報道を眺める。捕まった犯人の履歴について議論されていた。
ふと隣に熱気を感じて横に顔を向けると、さっきまで後ろで突っ立ていた人見がすぐ横に膝をついていた。いまだに汗の浮かぶ顔を俺にぐっと近づけてくる。その顔に浮かぶのは困惑だった。
「どういうこと…?浅香は…浅香は…この前の殺されるって…」
「あぁ…あれ……忘れていいから」
「そんなことできるわけないだろ!?」
もう何が何だか分からない、そんな顔で人見が落ち着きなく視線を動かす。普通未来から来ただとか、そんなこと言われても信じないだろ。何を人見はマジにしてるのだ。おかしいと思わないのかよ。それともなんだ、本当に信じてくれてるのか?俺が何度も何度も人生を繰り返していると、それを信じてくれるのか?
笑われるほうがまだよかったのかもしれない。人見は俺を信じてくれている、そんな希望は恐怖だ。小さなものでも、そうやって希望を見つければ、信じれば、それだけ落とされるときの落差が大きくなるんだ。立ち直ることが難しくなるんだ。
「……もう生きたくない」
焦ったように身を乗り出して俺に近づく人見を前に、気づけばぽつんと零していた。死にたくないけど、生きたくない。だって殺される痛みを知ってるから。
「殺されるんだ。何度も、何度も」
ぼそりと暗い部屋に落ちていく。言っていることが矛盾しているような気がした。忘れろ、と言っておきながらそんなことを言う。人見の目には、絶望したような俺の顔が映っていた。ああ、これか、と今なら分かる。人見が俺を怖がった、恐ろしく暗い目をしていたっていうのはこういうことか。
すぐ近くの人見の唇が微かに開いた。
「そんな…そんな恐怖をずっと一人で抱えてたのか…?」
苦しそうに顔を歪めた人見を見て、なんでお前がそんな顔をするんだと鼻で笑った。
「だって誰が信じてくれる?ただのキチガイだろ」
「そんなこと…!」
「言ってみなきゃわからないって?」
「……」
痛々しい顔をする人見から顔を背けた。答えは決まっている。
「そうして誰かを信じても、無駄だからだよ。それは俺を殺す人間になる」
だから俺は人見を信じてない。隣で人見がますます顔を歪めた。
笑えることに俺は心のどこかで人見ならきっと俺を救えるんじゃないか、と思っているのだろう。人見に救ってほしいと願っているのだろう。人見は俺を拒絶しない。するとしたらそれはいつも俺のほうで、人見のほうはいつでも開かれていた。
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