第4話 連れ去って、逝って


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「浅香…」

 今にも泣きそうな声で名前を呼ばれた。そっと人見の手が俺の顔に伸びてくる。その延びかけた手と反対に引きつった顔を見たその時、俺は恐ろしいことに気がついた。

 俺はもしかして、人見を人殺しにしようとしているのか?
 もし人見が俺を殺したら、人見の今後の人生は俺が壊してしまう。前科のレッテルを貼り付けてしまう。俺はこいつを、人見を悪者にしてしまう。

 はっとした。

 悪いのは俺じゃないか…?
 悪人は今まで俺を殺してきた人間ではなく、人殺しを生み出し続けた俺なんじゃないのか…?

 人見の汗ばんだ大きな手が俺の頬に触れた時、思わずその手を振り払っていた。

「触るなっ!!」

 びくりと肩を震わせ、人見が目を見開いた。床に座ったまま俺は不格好に後ずさった。微妙に空いた空間と痛い沈黙に、アナウンサーが淡々とニュースを読み上げる声が流れる。

「もう俺に関わるな」
「浅香」
「怖い…お前が、怖い」

 絞り出したような声だった。自分は一体何を望んでいるのだろう。人見を見ていることができなくなって俯いた。気配までなくなったようで、俯いてしまえばこの部屋に一人になったような気分だった。そんな時間が過ぎていく。狂った時間感覚の中で秒針の音とアナウンサーの声だけが正常な時間を刻んでいた。

 ふと目の前にいるはずの人見が動く気配を感じたが、顔を上げることは出来なかった。俯いた俺の耳元に柔らかい髪の毛が触れる。

「わかった。でもね、浅香」
穏やかな声が吐息と共に耳にかかる。その生々しい熱に体が震えるのを必死にこらえた。体が疼いて疼いて仕方がない。

「俺はいつでも浅香の味方だから」

 忘れないでね、ずっと。

 そう囁いたあと、玄関の扉が静かに閉まる音が聞こえた。

 ずっと流れっぱなしになっていたテレビは気が付けばぷつりと切れていた。蝉の鳴き声が頭に響く。新鮮な空気でも吸いたいが、夏の暑い空気を肺に入れたいわけではなかった。

 顔を上げればまだまだ昼過ぎの明るい陽射しがカーテンの隙間から入り込んでいた。重い体を動かしテーブルの上に乗っていたスマホを手に取ると、連絡先から人見を削除した。もう俺は人見に関わってはいけないのだと思った。

 残ったのは両親と黒木のみだった。その残った3つの連絡先の1つを選び、着信ボタンをタップする。

「………」

 長いコールが続いた。無償に苛立ちが募っていく。怒りに任せてスマホを投げ捨てそうになった時、不愛想な声がスピーカーから聞こえてきた。

『珍しいですね』
「なぁ会いたい」
『………』

 不安定に揺れた声は自分のものじゃないみたいだった。思ってもいない言葉が駆り立てられたように口から出て行く。

「会いたい。今すぐ来て。ヤりたい感じたいお前がほしい。ねぇ!」

 でまかせが止まらない。追い詰められたように捲し立てると、電話越しに笑いを堪えるような気配を感じた。ぷつりと何かが切れるのを感じる。

「っ今すぐ来いよぉ!!」

 怒鳴り声に空気がびりびりと振動した。俺はこんな声も出せたらしい。

『……分かりました。』

 余裕の声でそう言うと黒木は即座に電話を切った。


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