第1話 侘しく願う
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今度は追いかけてくる気配がないようで、ほっと息を吐き出し大学の裏門を出る。
独り暮らしをしているアパートは大学の裏門を出てすぐのところにあった。狭い学生アパートだ。実家を離れ、生活費も全てなんとか自分で負担をしている。親よりも何十年も長く生きてしまったせいで、どうにもどんな顔で接すればいいのか分からなくなったのだ。それにどうせ何年後かには一人息子が殺されたことを知らされる。両親にとってはそれは最初で最後のことだが、俺にしてみればもう何回もそうやって親を悲しませているわけで、それは決して気分のいいことじゃない。
俺の死んだ世界というのもきっとどこかで平行しているのではないかと思う。
俺だけがきっと何かの呪いに囚われていて、身内と関わらないに越したことはないと思っている。
それに今回の人生はどこか妙だ。
今までに起こらなかったことが、起こるはずのなかったことがすでに何度か起きている。俺が毎度別の人間と関わることで変わる事象は納得できる。しかし、変わるはずのないことが変化したのだ。
例えば、ニュースの類。どんな人生でも起こる事件に変化はなかった。それなのに今回、聞いたことのないニュースを何度か見た。
違和感は遡る。思えば一番最初にあの地元の中学生に話しかけられた時からだ。
変化は怖いがひょっとしたら俺のこの地獄も終わりつつあるんじゃないか、なんて期待もある。が、同時に大部分を占める諦めの方が大きかった。
殺してくれていいから、死なせてくれ。
「……久しぶりだったな。ちゃんと人と話したの」
ふいに人見との会話が頭をよぎる。会話と呼べる会話でもなかったが、一人になった途端急に静かに感じてしまった。
――俺だって人と話したい。
ポンと浮かんだ思いに自嘲する。
死ぬも生きるも一度だけならそれでいい。繰り返さないのならそれが救いだ。
だから、生きる道を探している。俺を殺す可能性のあるどんな人間とも関わってこなかった。
なのに。こうして人恋しくなってしまう。今まで何度失敗してきただろう。
女じゃなきゃセーフじゃないか?
そんな悪魔の囁きが聞こえる。
「…駄目だ。すでにあったじゃないか。男に逆恨みして頭殴られたこと」
それも俺を好きになったらしい女のことを好きだったという男に。友達面して近づいてくる男に警戒心をあまり持たなかった俺も俺だが。
なんだったかな。そう、確か金づちで。あれ以降美大はトラウマなんだ。あらゆる分野の学問を一通り学んだが、もう二度とあんな凶器のわんさか転がった学校へは行かない。
「ほんと弱いよな。人間なんて」
自分の言葉にうんうんと頷く。物理的にも精神的にも弱く脆い。
それなら物理的に強くなってみれば変わるのか、と思い鬼のように体を鍛えたことがあった。そんな人生は薬殺で終了。まったく不運と不幸に振り切れている。我ながら天晴れだ。
『ハッピーエンドを探せば良いのです』
ピエロの声がたったついさっき聞いたかのように思い出された。男とも女とも言えない、奇妙に震えた声。
その声に無償に苛立ってくる。聞かれてもないのになぜか必死に訴えた。
「幸せだよ。このまま生きるか本当に死ねれば、もう最高に幸せだ」
体の調子は絶妙に優れない。アドレナリンはゲームにより生産される。生身の人間との付き合いは皆無だ。
「…幸せなんだよ、これでも十分」
どうしていつも一人なの?
邪気のない男の声がふとよみがえる。何も考えてなさそうな頭の悪そうな顔も。人のよさそうな笑顔も。
「うるさいな。俺は一人が好きなんだ」
俺にはそうは見えないんだけど。
記憶の中の人見があざとく首を傾げた。
「うるさいっ!」
大声を出すと消え去った幻想にハッとする。目の前は急に暗くなっていた。ぽつんと残された俺はたったの一人。
霧のように散っていった幻想をかき集めてもう一度見せてほしい。幻覚でもいいからそばにいてほしい。いい加減一人にしないでほしい。俺だって寂しい。寂しいんだよ。それなのに、
「………一人じゃなきゃ、生きられねーんだよ」
俺は幸せだ。
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