第1話 侘しく願う
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大学4年ともなれば授業はほとんどない。バイトも派遣の仕事をしているが、たくさん入れた所で使い道がない。友達のいない人間にはこれと言って金の使いどころがないのだ。
「よりによって必修か…」
重い体を起こし、遮光カーテンで閉め切った暗い部屋で大きく伸びをする。また今日も生きていることに絶望を感じるのはいつものことだ。
テレビをつければ見慣れたニュースが報道されていた。誰が殺されようが、どんな災害が起きようが、パンダが生まれようがもう何度も見てきたことだった。
しかし最近になって新聞やニュースの類を真剣に見るようになったのは、この人生では予想の出来ないことが起こりがちだからだろう。特にこれと言った変わったことがないのを確認してほっとささやかな安堵が生まれる。
おいしくもない遅めの朝ごはんを食べていたが、吐き気がしたからほどほどで止め、微妙な時間に家を出た。できる限り人と会わないように、授業前などの学生が多く出入りする時間は避けていた。おかげで学生アパートではあるが、滅多に人とすれ違うことはない。
重い足取りで大学へ向かいながら、俺も大概真面目な人間だなと思う。
「浅香…?」
「……」
裏門をくぐったあたりで、人見らしい後ろ姿は見えていた。イヤホンをつけ、わざわざウザいくらいゆっくり歩いてかち合わないように配慮してやったというのにエレベーター前で呼び止められる。これを見越して俺は階段を使おうと思っていたのに、これじゃあ意味がないじゃんか。
目も合わせないように下を向いていたのに、わざわざ顔を覗き込んでくる人見は相変わらず空気の読めない馬鹿だった。こんなにも話しかけるなオーラを出しているのに何の空気も読まない。気を使われるよりは幾分マシだが最悪だ。
「ちょうどよかったー!連絡先交換してくれない?」
「は?嫌だし別にお前の連絡先なんていらねえんだけど」
「そんなこと言うなよぉ…」
大袈裟に肩を落とした人見はアホ臭いほどしょげて見せた。周りの視線がちくちく刺さる。なぜこんなただでさえデカくて目立つ男が全身でへこんでますオーラを出すんだ。俺が悪いみたいじゃん。
「俺、浅香と実習先も一緒じゃん?」
「……」
「なんでそんな嫌そうな顔すんだよ。俺、説明会のときだって同じ学科の人いるなーと思ったんだけど。だいたい全体で自己紹介もしたじゃんかよ」
周りに興味を持っていないどころかことごとく関係を絶ってるからな。教育実習の事前説明会では確かに同じ大学の奴がいるなとは思ったが、俺が人見の存在を認識したのは昨日が初めてだ。
「科目も一緒だし情報交換用に持っておいたほうがいいって、これ昨日の講義でも言ってたけど」
「……あ、そう」
スマホを握りしめて懇願するように俺を見つめる人見から目を逸らした。
なんというか、直視できない。ただの業務的な付き合いであることは分かっている。それが最低限必要なことで避けられないことも分かっている。それでも人見の無駄に社交的なところは、それ以上に踏み込んできそうで怖かった。
嫌われるのもダメ、でも好かれるのもリスキーだ。俺は人見にとって何でもない存在でいなければならない。
数秒の内に何通りもの未来を想像した。
諦めてスマホを取り出すと人見が驚いたような顔をしている。
「…なに?」
「いや…そんな素直に交換してくれるとは思ってなくて」
「うん、まあ消すけどね」
「ちょっとおおお!」
「いや用が済んだらの話」
むすっと頬を膨らませる成人済みの男を前に連絡先をだしたらまたびっくりされる。いちいち表情豊かな奴と言えば聞こえはいいが、要するに顔がうるさい。
「電話番号にメアド…面倒じゃない?他にSNSとかやってないの?」
「だから見ればわかんだろ。そんなんやっても相手がいねーんだよ」
「そんな悲しいこと言うなよー」
悲しいんじゃなくてこれはただの自衛だ。好きでこうなんだから自分の価値観を押し付けるんじゃない。
俺の連絡先をぽちぽちと打ち込んでる人見を見ながら溜息を吐く。
あとちょっとだったのに。一人の人間と関わることは、同時に何人もの思惑に放り込まれるようなものだ。この人生、これ以上ないくらい影の薄い生活をしていたのに。
登録し終わったらしい人見を確認してようやく講義室へ入る。まだ前のコマが終わっていない時間だからあまり人はいない。そう言えばなんで人見はこんな微妙な時間に来ていたのだろう。一瞬気になったが、すぐ後ろからバタバタと追いかけてきた人見が狭い机にガンガン当たる音にかき消された。
俺が定位置に座ると、当たり前のように前に座ってきて後ろを振り向く。
「今の内に確認しといたほうがいいだろ。今空メール送ったから確認してな」
「はぁ…来ないけど…」
「えぇ!?送ったよ!」
「…あ、迷惑メールに入ってる」
「どんな設定にしてるんだよ。それ解除して?」
驚いた表情を浮かべたと思ったら安心したような顔になって、かと思ったら怒ったような視線を向ける。鬱陶しい。
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