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◇
「は?」
「うん、だから俺、彼女ができた」
「まじ?」
「まじまじ」
ホクホク顔でそんな報告を聞かされた。もうお互い厚手のパーカーを羽織っている。変わらないのは、足元のサンダルだけだった。
幸せそうなその顔に、名前も知らない男がちょっとだけ遠くへ行ってしまったような気持ちになる。妙な親近感を覚えていたのは、自分だけではなかったはずだ。自分だって恋人がいるにも関わらず、なぜだか少し寂しくなった。
「もうさぁ毎日ラインの応酬よ」
めんどくせーなんて言いながら笑う男の顔は言葉に反して嬉しそうだ。よかったね、なんて大して思ってもないことを口にしたら、軽く頭を小突かれた。
「にしても大学生がこんな田舎で付き合うのって以外と大変だな。高校生まではまだ、ちょっと電車で遠くに行ってみたり地元の大きいショッピングセンターに行くくらいでよかったんだけど」
「なんもないしな。県外に旅行とかのがメジャーだろ」
「そうなん? でも俺、車運転すんの下手なんだよなぁ。しかも二人とも実家暮らしだから、日常的にできること限られるし。あとやたらバイクで2ケツしたがるんだけど、無免許の女乗せんの怖いんだよ」
幸せなのかと思ったら不満たらたら。それでもまんざらでもないのが伺えた。
よかったじゃん、ともう一度言おうと思って、心の中に留めておく。嫌味ったらしくなるのはわかりきっていた。
未だに名前も知らないけれど、こいつのふわふわと波打ち際を漂っているような自由奔放さが結構好きだったのかもしれない。友達とも、恋人とも、ほどよい距離感を保つのは難しいから。こんなふうな、何でもない関係っていうのは貴重で、そして刹那的なのかもしれない。
「ま、ちょっと大きい駅の方まで出ればホテル三昧じゃん」
「誰かと鉢合わせしたりしねぇ?」
「そこはタイミングと運じゃね?」
「そういうもんか。いやぁ、俺もリア充の仲間入りっすよ」
「オメデト」
「棒読み」
店内から出てきた客がサンダルを引きずりながら暗闇に消えていく。空いた自動ドアからおでんのセールを謳う声が流れてきた。
刹那的にしては、なかなか長い付き合いだったかもしれない。どこの誰とも知らない人間と、ここまで話し込むような関係になったのは初めてだ。田舎はあんまり好きじゃなかったけど、コンビニまでの夜道は好きだった。誰ともすれ違わないところも、店先で煙草を吸うことも。何でもない人間と何でもない会話をすることも。
ポケットからライターを取り出した。何の変哲もない、濃いブルーのプラスチックの100円ライター。洒落っ気もなにもないが、まだ十分ガスは残っている。
「あげる。彼女の前でかっこよく煙草吸う練習でもしといたら?」
「え! まじか! やったぁ! ガスが残ってるライターだ!」
こいつ、ライターあげただけでこんなに喜ぶのか。煙草よりも安いんだからさっさと買えばいいものを。呆れた目で男を見ていれば、にこにこと嬉しそうにポケットから何かを取り出した。
「じゃ、俺もやんよ」
差し出されたのは似たような100円ライターだ。黄色い本体から見えるガスはほぼほぼない。というか、ない。
「いや、持ってたのかよ。ゴミとかいらねぇし」
「処分の仕方がめんどいんだよね、俺の地区。頼むわ」
「住んでるとこ変わんねぇだろ。クズだな」
手は自然に動いていた。指先の冷えた手から差し出された黄色のライターをつかみ取る。やけに軽い。ただのゴミにしかならないものをどうして受け取ったのだろう。
どこか腑に落ちない気持ちだったが、煙草の煙をくゆらす男は心底楽しそうで嬉しそうで、そんな顔を見てしょうがないか、なんて思ってる自分に余計にわけがわからなくなった。
彼女と別れたのはそれから数日後のことだった。
単純な話、ふられたのだ。
ここ最近、連絡を怠りがちだった。最近に限ったことじゃないから、たぶん彼女のなかではそろそろ別れ時だと思っていたのだろう。今までの言動が、つもりに積もってこういう結果になっただけの話。
寮に帰ってからの他人に気を使う必要もない空間で、彼女への返信は億劫だったし気持ちに応えられてないこともわかってた。連絡を取り合うことが義務なわけではないけれど、どうしても縛られたような気持ちになってしまうのだから、仕方がない。
妙な解放感と安心感のなかに、ぽっかりと空いた空洞がある。
もう一人だ。やっと、とも言えるかもしれないけど。気兼ねすることなく一人の時間が取れるのだから。
茶化して慰める友達とは何度か飲みに行った。途中からやっぱりそれも面倒に感じてしまって、寮の戻ってからぼんやりと黄色いライターを眺めた。
聞き上手で無駄話の好きなあいつに、全部ぶちまけたい。でも、彼にももう、尽くす相手がいるわけで。尽くしてくれる相手もいるわけで。
「……もう、煙草買いに行けねぇな」
僻みなんて耳に痛い。夏の夜に飲んだビールの味を思い出した。
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