3.純白に滲む
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夏も終わりに近づいていた。蝉の声は日ごと薄くなり、今日も玄関の前では蝉の死体がひっくり返っている。
とはいえ暑さはまだまだ続くわけで。早朝というのにこの暑さだ。
「おっはー、ようちゃん半目だね」
「おはー悟利くん、出待ちっスか」
しゃがみこんで蝉の死体を入念に観察している悟利くんは、いつもと変わらない部屋着みたいなテキトーな恰好に薄手のパーカーを羽織っただけのスタイルだ。俺なら近所のコンビニくらいまでしか許されないような恰好で、悟利くんはどこにでも行く。そんな恰好なのに相変わらずお美しいことで。
「うわ、まっぶ。目がつぶれそう」
寝起きには少々刺激が強い。
悟利くんは蝉と適度に距離を取った状態で俺を見上げていた。今日が約束の日である。何がって、某遊園地のね。俺にとっちゃ3割くらい苦行だけど。
まあ悟利くんはずいぶん楽しみにしてたみたいだし、期待に応えるためにお兄さんも休日に頑張って早起きした。まだパジャマだけど。
「蝉って近くで見るとけっこうかっこいいんだね。この羽透明だ」
蝉を指さす手は若干震えている。あーあるよね。苦手なんだけど怖いもの見たさの興味ってやつ。
悟利くんの指さす蝉を間近に見て、そのまま起き上がる。
「これまだ生きてんだろ」
え、という顔で悟利くんが俺を見上げた。にやりと笑って足先でツンと蝉をつつけば、びびびと鳴き、ばちばち言わせながら不格好に飛んでいく。
「ぅひょわぁあああ」
飛び上がって叫んだ悟利くんが物凄い勢いで俺の腕に抱きついてきた。
「ちょっと! 俺しゃがんでたじゃん! 顔にぶつかったらどうしてくれんの!?」
「別に蝉がぶつかっても悟利くんは綺麗だよ」
「今そういう話してない」
わお。これはけっこうご立腹だ。俺も思わず口説いてるみたいなこと言っちゃったじゃん。
ぷく、と頬を膨らませた成人男性にあるまじき仕草をする悟利くんは、庭の花が目に入ったようであ、と呟いた。眉をひそめていた顔から瞬間すっと感情が消える。少しふっくらした頬が朝日に当たって真っ白に輝く。熟れたように赤い唇がうっすらと開いていた。
「百合植えてたの?」
思わず漏れた、というような声だった。悟利くんの視線を追って、俺も庭の百合の花に目をやる。朝日が反射してひどく眩しかった。
「栞里がな」
「ほおずきもあるんだ」
「去年の盆に栞里が買ってきた」
夏の草木はちょうど時期を迎えていた。春先には牡丹も咲いた。嫁が丹精込めて育てていた草花は、今年も綺麗に花を咲かせてくれた。ガーデニング本片手にえっさほっさと頑張ったかいあったものだ。
百合の花に悟利くんが手を伸ばす。その真っ白い肌はまさに純白のカサブランカのようだった。強い匂いが微かな風でここまでやってくる。
悟利くんは愛おしそうな目で僅かに花に触れた。指先が触れると頷くように百合の花も揺れる。その様はとても絵になっていた。
やっぱり花、好きなのかな。よく描いてるし。
流れるようにたわやかな視線が足元のほおずきの鉢へ向く。ほおずきの花は終わり、ちょうど実が赤く色づいていた。小さな鉢に視線を落とし、しゃがんだ悟利くんはじっと黙っていたが、やがて控えめな声で言った。
「そっか、姉ちゃん植物好きだもんね」
細く短い針が刺さったようだった。一瞬頭にじわりと痛みが広がったが、俺を振り返った悟利くんの輝くような満面の笑みにそれはかき消された。
「これ、ちょっとだけ摘んで帰ってもいい? ほおずきと百合。百合はつぼみも欲しいんだけど」
「……あぁ、全然いいけど」
「やったぁ、ありがと。資料がほしかったんだあ」
はさみ、と差し出された手に玄関に置きっぱなしになっていた園芸バサミを渡す。手慣れた仕草で悟利くんは花を摘んでいった。
「俺一回家帰ってからまた来るね。朝早くからスタンバっててよかったわ、また後で! ちゃんとひげ剃っておくんだよ」
言われて思わず顎に手を当てればじょり、とした感触がする。
悟利くんのツルッツルお肌はカミソリ負けなんて知らないんだろうな。本当に同じ男と思えない。というか同じ人類と思えない。
途端になぜだか寝起きの汚らしい姿を見せてしまったことに恥ずかしくなる。
「二度手間で悪いな」
「ん〜や〜?」
にひひ、と笑うと、悟利くんは両手いっぱいに真っ白な百合と彩度の高い橙色のほおずきを抱えて軽やかに立ち上がった。
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