3.純白に滲む


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 隣を見ると、悟利くんの澄んだ夜のような黒い瞳がじっと俺を見つめている。吸い込まれそうなほどまっすぐな視線だった。よく微笑をたたえている口元は今ばかりは薄く開いただけで、優しく緩んでいることの多い目元は無表情に俺だけを映す。

 食い入るような視線に戸惑った。喧騒が遠のき、悟利くんの囁くような声だけが耳に入った。

「ようちゃん、子ども欲しい?」
「え……、は?」

 唐突にそんなことを大真面目に聞くもんだから、上ずった声が漏れた。

「や、えぇ〜? どうだろうなぁ……」

 目を逸らそうにも、悟利くんのその瞳から視線を背けることはどうにもできなかった。
 おもむろに悟利くんが俺の手を握る。汗ばんだ俺の手を冷たい水滴で濡れた悟利くんの手が包む。

 悟利くんが俺の顔を覗き込むように顔を寄せた。仄かに香る汗の匂いに混じって、香水の残り香が香る。気まぐれでつけているように見えるパルファムには、何か規則性があるのだろうか。栞里が昔買ってあげてたものをまだ使っているのかな。

 悟利くんの濡れた唇が僅かに動く。掠れた声は俺にだけ聞こえた。

「……ようちゃんの妹に俺の精子提供しようか?」
「……は? い、いや……な、何言ってんのお前」
「そしたらできるよ」

 できるって、何が。

 ぞわぞわと鳥肌とも言えない何かが全身をびりびりと駆け巡る。電流が流れたようだった。意識が遠くなりそうなほど、凄まじい速さで頭に血が上る。

――何を言ってるんだ、こいつは。

「赤ちゃんほしいの?」
「さ、悟利くん」
「女の子だったらきっと俺みたいに可愛いし、男の子だったらきっと俺みたいにかっこよくなるよ」
「いや、顔面に対する圧倒的自信が清々しい……」

 俺の言葉を遮るように、悟利くんは淡々と無表情で続けた。髪の色は脱色しているのに瞳だけが飲み込まれるような黒で、それが唯一の栞里との共通点だった。

 ああ、そうだ。これ、栞里の目だ。

 底の見えない澄んだ湖のような瞳が俺だけを映している。悟利くんはいつになく真面目な顔をしているのに、どこか心ここに在らずなその表情は正直不気味ですらあった。

「ようちゃん、」

 もし、もし栞里がいれば。俺にも女の子でも男の子でも、子どもがいたのかな。これから先、そういうことはあるのかな……?

 いや、何を考えてる? 栞里が帰ってくればそんな未来は何通りもあるのだ。いま考えるまでもなく。

「は、はは……何言ってんの、悟利くん。お前もうちょい健全に楽しもうぜ。そんな、真昼間の遊園地で話すような内容じゃねぇだろ。ほら、もう大丈夫か? 次はもうちょい控えめな乗り物行こう。あれとかどうよ? ボート乗って景色楽しんでればいいやつ。あれなら酔わないし、振り回されもしねぇぞ」

 悟利くんの手を握りなおして立ちあがる。俺を見上げて悟利くんはうっすらと笑った。どこか苦さを感じる笑みは、あどけなさの残る彼の容姿にしては妙に大人びていた。

 収まらない動悸に手に汗が浮き、握った義弟の手を湿らせていく。手のひらにこもる熱は振り払いたくなるほどだった。何も言わない悟利くんに、次第に焦燥感が募っていく。堪えていたのに呼吸が乱れそうになった。

 さっきのは冗談だろ? 笑って冗談にしろよ。いつもみたいにへらへら笑ってくれ。なんでそんな、何かを堪えてるみたいに笑うんだ?

「……っさ、とりくん」
「じゃあ、それで最後ね。あれ乗ったら帰る」

 にぱっと悟利くんが笑った。何もかもわかっているぞ、とでも言うように。俺のことを安心させるみたいに。

 体重を感じさせないほど軽やかに立ち上がった悟利くんが、緩く握っていただけの俺の手に指を絡める。いつもはやんわりと振りほどくその手を、今日は離せなかった。そうしていないと、地面が揺れているような感じがした。進む道は義弟が先導してくれる。この手を握っている限りは、進める道がある。

「ようちゃん、今日はうちでご飯食べて行きなよ。明日も休みなんでしょ?」
「んあ? あー、うん」

 肩越しに振り返った悟利くんが、さっきまでとは打って変わって嬉しそうに笑う。夜の闇のような黒の瞳が薄く細められた。


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