4.憂いと太陽
← 21/31 →
日によって“設定”は異なった。
栞里は短期の出張に行っている。栞里は学生時代の友達と旅行している。今日は帰りが遅いと連絡があったよ。
何もいない空間に話しかけるときもあった。突然会話が始まる。俺のことが見えてない。彼の中では立派な会話が成立している。
どうすればいいのか分からなかった。何て言えばいいのか分からなかった。
怖くて、怖くて、ただでさえ不眠気味だったのに一層眠れなくなった。大学には行かなくなった。
今日はきっと普通に戻ってるはずだ。ちゃんとしたようちゃんになってるって願って訪ねる。
でも途中で思う。普通ってなんだ? 俺は絶望してるようちゃんを見て安心したいの? 今のようちゃんは普通じゃない。でも、現実に叩き落してそれでどうなる? 俺が幻想を打ち砕いて、その先には幸福があるのか?
不安と焦燥に駆られて家に行けば入れさせてもらえない時もあった。日頃のようちゃんからは考えられない態度で、邪険に乱暴に追い返される。今日のようちゃんは姉ちゃんの死をきっと認めてた。でもひどいやつれようで何日も食べてなさそうだった。死ぬのかな。このままようちゃんもいなくなっちゃうのかな。
俺は、俺はどうすれはいいの?
家に帰れば目元を赤くした母がテーブルに突っ伏して、火をかけたままの鍋が吹きこぼれている。縁側から見える百合の花は灰色だった。
蝉を殺した。うるさくて、むしゃくしゃしてやった。
蟻を石でつぶす。春先に花を咲かせる亡き祖母が植えた海棠の枝を折った。折ってしまってから我に返って、花も咲いてないのに花瓶に生けた。
落ち着かなくてもうずっと放置していた離れにふらりと入る。嗅ぎ慣れたガソリンとよく似た匂いが熱気とともにむわりと広がった。描きかけの花が目に入る。モデルとして側においていた大輪のダリアは、悲しく首を曲げしなびていた。たっぷりと入っていた花瓶の水も暑さでとっくに蒸発している。水分を失いくしゃくしゃになってしまった花弁は、褪せた灰色になり悲壮感を漂わせている。全然綺麗じゃない。臭いな。鬱陶しいな。
喚き散らしたい。蝉だってうるさいじゃん。思う存分、叫ばせてよ。それで全部なかったことにしてよ。もう嫌だ。
汗なのか涙なのか、体液という体液にまみれた汚い体で日々を過ごす。この夏が一生終わらないかのような錯覚を覚えていた。
ようちゃんが倒れた。
死んでるのかと思ってびっくりした。身体が熱くて、心臓が動いてて、安心して泣きながら母に電話した。救急車で運ばれたようちゃんは熱中症や栄養失調だけじゃなく、軽い肺炎までこじらせていたことがわかった。
俺はようちゃんに他にも悪いところがあるって知ってる。
← 21/31 →