4.憂いと太陽


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 重たい空気が目に見えるようだった。誰一人はっきりとしゃべらない。そりゃそうだ。こんなの夢であればいいのに。ようちゃんの中ではきっと夢なんだ。

 大人たちはいまだ話し合いを続けている。
 明日ようちゃんは一先ず退院する予定だ。けど、点滴で治るものなど栄養失調くらいだろう。

 明日ようちゃんは精神科に連れていかれる。

 それが最善なんてわかっている。ちゃんとした専門の先生に診てもらうほうが、俺一人が困惑して泣いているよりずっといい。

 音を立てずに静かに席を立った。廊下は暗くて肌寒かった。一週間前には聞こえていた蝉の鳴き声は遠のき、日も沈んだ今はコオロギと鈴虫の音が目立った。風情も感じない死んだ感性に溜息を吐き出す。

 この調子がずっと続くのかな。無理だよ。俺の世界を彩っていたものをこれ以上奪おうとしないでよ。連れてかないでよ。これまで通りなんて言わないから、せめて一緒に歩いてほしい。俺たちの時間は嫌でも進む。そう願わなくとも進み続ける。だから、嫌だ嫌だと目を背けようが、叫びながらでもしがみついて生きていくしかないんだよ。

 仏間の前で立ち止まる。襖を開ければ線香の匂いが香った。時を止めてしまった姉ちゃんと目を合わせようとするも、その目は俺を見つめ返してくれはしない。最近のようちゃんもこんな感じだ。同じ次元を生きているはずなのに、ようちゃんは現実世界に重なった別の層に焦点を合わせている。それは生と死の狭間であったり、空想と現実の境界であったり、不安定でゆらゆらした場所だ。

「悟利くん」

 ぎし、と木の床が軋む音と共に控えめに囁くような声がかかった。

「……環奈さん」

 振り返れば薄暗い廊下にこざっぱりした顔立ちのお姉さんが立っている。ようちゃんの妹の環奈さんだ。出ていった俺を追ってきたらしい。困ったように笑みを見せるが、笑いきれていないのが見え透いている。環奈さんはようちゃんみたいに明るく、女性にしては豪快に笑う人だった。今だけは笑い方を忘れたように、口元が微かに震えていた。

 何を見ていたのかなんて隠さなくても知られているのに、俺は静かに襖を閉めた。環奈さんは俺のそんな不自然とも言える行動を気にすることなく、目の前まで歩いてくると手を伸ばしてきた。柔和な香りはようちゃんと一緒で、縁側に当たる春の陽射しみたいに温かい。

「ありがとうね。お兄ちゃんのこと、気にかけてくれて」

 柔らかい手のひらが一瞬頭を撫で、肩を抱いた。

「……辛かったね」

 掠れた声が囁くままに、干からびていたはずの何かがせりあがってくるのを感じた。

「っ……」

 よしよし、と温かい手のひらが規則的に背中を撫でる。熱い涙がぱたぱたこぼれていく。止める暇もなく嗚咽が漏れた。

「……っ……ねぇちゃん…っ、よう、ちゃん」
「うん」

 しゃんとしないと、とかそんなの知らない。故人の分も、とか腹が立つ。生きてるんだから命を大事にとか、そんなの知らないよ。大事なものってどこにあるの? どうやったら守れるの? 全部全部、壊れていくばっかだよ。

「っようちゃん…! 姉ちゃあん…!」

 大好きだった。ただ、幸せを祈っていた。

「ひっ……うっ、おねいちゃん…っ!」

 命と同じくらい大事な人に、気づけばもう手は届かない。



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