4.憂いと太陽


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「友屋くん、最近は変わった色遣いをするようになったね」

 キャンバスを覗いてきた友人が興味深い調子で言った。開け放された部屋の窓からは乾燥した風が流れてくる。巻き上げられた落ち葉がカラカラと音を立てていた。キャンバスに視線を戻すが、色遣いなんてちっともわからなかった。

「うーん……そう? スランプかな」
「あれ? そうなの? 褒めたつもりだったんだけど。友屋くんの絵っていつもきらきらしてる太陽って感じだったから、こういう退廃的な絵も描くんだね。なんかいつもとは違う意味で目を惹く感じ」

 退廃。言葉を反芻する。確かに生を感じさせない絵はこれまでの自分とは真反対の位置にいるものだった。俺が描きたいものってなんだったっけ。

 まっすぐなひまわりを描いていたつもりが、萎びたひまわりとなっている。だいたいこの時期にどうして夏の花なんて描いているんだ。そういやこないだ先生にも怒られたっけ。

「なんでひまわりにしたんだっけ」
「資料もないのによくやるよ。曼殊沙華でも引っこ抜いてくれば?」
「家が火事になる」
「あーあったな、そんな話」

 花は綺麗だ。移ろいゆく姿は儚く、刹那で、どこを切り取ってもたくましく美しい生を感じさせる。でもこの花は綺麗? 俺にはわからない。
 キャンパスに向き合っていてもこれ以上進める気にはなれなかった。大学に行くだけでも、精一杯頑張ってる。そうやって自分ばかりを甘やかすのもどうかと思うけど。
 筆を洗い帰る支度を始めた俺を、周りの同級生がちらちらと見ているのがわかった。

「もう帰るの? 課題間に合いそう?」
「いいよ、別にこれでも。時間かけたって納得いくわけない」
「やっぱりスランプ? こっちの雰囲気も好きだけど」
「そう、ありがと。じゃ、頑張ってね」

 声をかけるべきかどうするか、そんな迷いをあちこちから感じた。俺ってそんなに最近調子悪そうだっただろうか。だいたい日頃からほとんどの奴が俺のこと遠巻きに見てるだけじゃん。こういうときだけなんなの。

 ぎりぎりで飛び乗ったバスで呼吸を整え息を吐く。顔を上げると、制服を来た女子高生と目があった。少しびっくりした顔で頬を赤くしている。乱れた呼吸を誤魔化すように、そんな彼女にゆるりと笑って視線を逸らした。女子高生のコソコソ話をシャットアウトするようにイヤホンを耳にはめるが、何も流すことなくただバスが路面を走る音に耳を傾ける。

 午後4時20分。可能な面会時間も残り少ない。傾き始めた陽射しに、今日も焦りが生まれた。
 元気かな。今日は会えるかな。

 向かう先は、ようちゃんの入院先の比較的小さな病院だった。面会に行ったところで、会えるとは限らない。ようちゃんは他人との交流を激しく拒絶する鬱状態と、社交的な明るい普段の精神状態をたびたび繰り返していた。そして時折、なんで自分がここにいるんだろうって顔をする。果たしてこの入院生活に終わりはあるんだろうか。これが正しい選択だったのだろうか。

 考え始めたらキリがない。だから、ただ信じるしかない、と。そう医師も環奈さんも言う。
 絆だとかそういう言葉が嫌いな俺は、そんな安っぽい陳腐な回答が聞きたかったわけじゃない。だけど結局全てはようちゃんの心の中の問題なのだから、そこにすがることしかできなかった。本人が望んでさえいれば、必ずよくなる。それが叶わないのはようちゃんが揺れているからだ。迷っているからだ。現実を直視したとき耐えられないことが分かっているから、その準備を整える時間が必要なのだ、と。

「こんにちは」

 受付をすり抜けて病室へ直行しようとしたら、引き留めるような男の声が背中越しに聞こえた。半分駆け足になりかけていた俺は、その声にピタリと止まる。落ち着きを取り戻し、穏やかな顔をした老医師を振り返った。

「……こんにちは」

 顔を隠すようにぺこりとお辞儀をする。数回しか会ったことのない医師にわずかに体が緊張した。

「よく来てくれてるんだね」
「……みんな、いろんなことが立て続けに起こって忙しいから。俺ならいくらでも時間とれるし」

 ふわり医師がほほ笑んだ。優しい笑顔に笑い返そうとしたのに、うまくできなかった。俺ってこんなに表情筋固かったっけ。石にように動かない頬を冷えた手でこする。

「そんな思いつめた顔をしないで」

 伸びてきた腕がそっと俺の手首を掴んだ。医師の力で頬から離された手がぱたりと垂れる。

「大丈夫。君のような子がいてくれるのは、彼にとってもとてもありがたいことなんだよ」
「……うん」

 本当にそうだろうか。そうであってほしいと願ってる。自分の好意が報われることを祈っているんじゃない。俺が願っているのはようちゃんの幸せだ。俺の好意も、この行動も、全て踏み台にしてくれて構わない。いったいいつになればその兆しが目に見えるのだろう。

 お日様と潮のような香りのする老医師がにこりと笑い、俺の持つ袋に目を向けた。

「見舞いに何か持ってきたのかい?」
「あ、これ。本なんだけど」
「うん、確認しておこう」

 園芸書だ。毒になるか、薬になるか。姉ちゃんは植物が大好きだった。家の庭にもたくさんの花があったはずだ。そこまで管理が大変なものじゃないから、指南書なんてなくても、なんならフィーリングで全然育ってくれている。

 ようちゃんは花にたいした興味はないし退屈するかもしれないけど、ちょっとでも気が休まればと写真の綺麗なものを選んだ。若い女性向けのものなのか、かわいらしく花言葉なんてものも載っている。そんなロマンチックなもの、ようちゃんはやっぱりどうでもいいかもしれない。俺も別に興味ないし。でもきっと姉ちゃんは好きなんだろうなと思う。
 ぺらぺらと中身を確認している医師の眼鏡には西日が反射していた。今日の廊下は静かだった。

「うん、問題はないようだね」

 ぱたんと本を閉じた医師がそのまま本を小脇に抱えたのを見て思わず顔を上げる。

「今日は会えないの?」

 困ったように眉を垂らした医師がゆっくりと腕を上げ、時計を指した。

「症状が悪いわけじゃない」
「……」
「君だって落ち着いて話がしたいだろう? またおいで」

 気づけば面会時間も過ぎていた。長く短い一日の時間感覚が最近どうにも機能しない。いったいいつからこの病院に通っているんだっけ。なんかもう、わかんないや。帰り道もわかんない。

 寄り道をして、庭の花が綺麗な家で夕飯をせがんで一緒に食べて。そんな生活をしていた頃が遥か昔のように感じられた。

 あぁ、会いたいな。また3人でご飯が食べたい。


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