2.夏の破片
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「あ、そうそうようちゃん!」
何かを思い出したように勢いよく立ち上がった悟利くんは思い切り足元のバケツを蹴倒したが、まったく気にしていないみたいだった。また俺ばっかりがおろおろと慌てている。幸い散らばった新聞紙が中の液体を吸収してくれている。それが水なのかはわからないが。
「お、おう」
がたがたと画材を片付け始めた悟利くんが、ガソリンの臭いを全身に染みつけてぱたぱたとやってくる。高校時代の体育着のハーフパンツは、絵具で元の色が分からないくらい汚れていた。よく見れば上のTシャツも高校の体育着のようだった。かろうじて胸元の友屋の刺繍が見えるが、こっちもどろどろによごれている。
その恰好でいつものように俺にべたべたと触れようとしてくるもんだから、思わず狭い小屋の中を逃げ惑う。
「うわっちょ、汚れる汚れる」
「はぁ? 俺が汚いっての?」
「言ってない言ってない。今日も大変お美しゅうございます」
「当たり前でしょ」
後ろから腰に抱きついてきた悟利くんのせいで俺のシャツはべったりと絵具がついてしまった。まぁ別にいんだけど。特に服にこだわり持ってるわけでもないし。どうせセール品のどこのブランドでもない安いシャツくらい。
背中がやたらと熱い。ただでさえべたついていたのに、悟利くんの熱と汗で焼けるようだった。というか汗かきまくった男の背中とか普通に気持ち悪くない?
「俺汗臭くない? つか熱いんだけど離れて」
「俺も暑いんだけど」
「あ、ハイ」
いや、じゃあ離れろよ。
そのまま悟利くんを引きずって母屋へ戻ろうとしたら、悟利くんがパッと離れて棚の一角からでかい荷物を無理矢理引きずり落とした。雪崩を起こした棚の中のものが床に散らばる。
「あーあー何やってんのもう」
本人はまったくもって平気な顔をしてるけど、けっこうな大惨事だ。悟利くんは引っ張り出した袋を俺に押し付けると、その場でTシャツを脱ぎ始めた。え、なに。なにが始まるの。
悟利くんのぶちまけた物たちを拾い集めようとした手が止まる。何このストリップ。俺、とんでもない変態みたいになってない?
「さ、悟利くん? 何、どうしたの? てかこれは何すか?」
「テント」
真っ白い素肌が晒され、見たくなくても目に入ってしまう。細くて、でも骨が浮くほどじゃなくて、血の通った肉感のある身体はなんというか、まさしく芸術だった。筋肉がまったくないわけではない身体は男性的とも女性的ともとれる、中性的なものだ。昔から性別を感じさせない子ではあったけど、この成長の仕方を見ているととことん神は悟利くんを裏切らない。
無意識にじっと悟利くんの体に魅入っていれば、伏せられていた目がおもむろにこちらを向いた。
「えっち」
「ひぇ! いや決してそんな意味では」
「えーいいじゃん、ほら。思う存分見れば? あ、そこのシャツ取って」
「お、どうぞ」
脱ぎ捨てたシャツで汚れた手を拭うと、何事もなかったように悟利くんは着替え始めた。腕の中のテントの重みに今更気づく。だからこれ何に使うんだよ。
「悟利くん……どこか出かけるの?」
「そうそう、ようちゃん。キャンプに行くよ」
「へえ、珍し。悟利くん外苦手じゃん。大学の友達?」
絵具まみれのTシャツをその辺に放り、綺麗なシャツから顔を出した悟利くんがきょとんと首を傾げた。顔はかわいいんだよな、顔は。それにしても嫌な予感がするね。
「ようちゃんと行くけど」
デスヨネ。そうだと思った。次はキャンプか。
俺は好きだけど、基本野外の活動が嫌いな悟利くんを連れてくとなるとまた別だ。テントで寝れんのかな、この子。
なんだかもう、何を言われても当たり前のように付き合ってあげてる自分が怖い。この一年で俺のフットワークの軽さは天使の羽レベルに達してる。でもほら、臨機応変に対応する力って大事よね。社会で生きていくうえでね。必要なスキルを無意識につけてる俺、えらい。そして遺憾なく発揮されてるこの能力。
「いつ行くの。明日?」
この時期のキャンプ場って予約なしには泊まれないんじゃないだろうか。それに他にも準備するものいっぱいあるだろうし。食べ物とか炭とかいろいろ。悟利くんはズボンのヒモを締めながら言った。
「今日」
テントの袋を手に頭を抱えたのは言うまでもない。
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