2.夏の破片
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◇
ここらじゃメジャーなキャンプ場で悟利くんはバーベキューセットの予約をしていたらしい。変なところで行動的なのに、俺が動くこと大前提に考えてるのが生意気だよね。
けどまぁ、元登山部でアウトドアなことがそこそこ好きな俺にとっては、こうやって自然の空気を吸えるのは結構楽しかったりする。
「けっこう涼しいんだね」
「そうだな。川辺と森のマイナスイオン気持ちいいだろ。ほら悟利くん、虫よけ」
「やって」
「はいはい」
薄手のパーカーを羽織った悟利くんが両手を広げる。ん、と無言で催促する悟利くんに呆れながらも、虫よけスプレーを全身にかけてやった。
「うぇ、くっさ」
油絵の画材の匂いは平気でもスプレーの匂いは駄目らしい。ぱたぱたと両手を振って仰いでいる。俺も軽く自分にスプレーをかえると、バーベキューの準備を始めることにした。悟利くんは使い物にならないのでその辺をぶらぶらさせておく。
バーベキューなんて大学以来なんじゃないだろうか。火を起こすところから始めるのは久しぶりすぎて手順を忘れてる。どうにかあれよこれよ思い出しながら、アリの数を数えている悟利くんにあれ取って、それ取ってと指示を投げる。
「悟利くん、向こうに流しあるからこれに水入れてきて」
「うぇ〜い」
やる気のない返事だな。あいつキャンプで何を楽しむつもりだ?
近くにテントを張った家族連れは楽しそうに子供たちと野菜を切ったりと準備をしている。せめてあのくらいは働いてほしい。
ふと目があった隣家族のお父さんが笑顔で会釈をしてくれた。幸せそうな家族だった。俺に微笑みかけてくれたお父さんの笑顔はきらきらと輝いている。きっと今この時間が幸せで楽しくて。子どもたちにとっても、この夏のキャンプは楽しかった思い出として、両親に愛されていた確かな証拠としてこれからも残るのだろう。
同年代くらいのお父さんに曖昧な笑みで会釈を返した。火の調整をお父さんと一緒にやる男の子は汗だくになってとても真剣に火の様子を見ている。それを微笑ましい目でお父さんは眺めていた。
明るい笑い声をあげながら、女の子はお母さんと食材の準備をしている。絵に描いたように幸せで明るい家族。
もしかしたら、ここにもあったかもしれない未来。
そう思わなくもない。少なからず、俺も栞里も思い描いていた光景がそこにはあった。俺も栞里も、悟利くんと違ってかなりアウトドアな人間だったからきっとキャンプにだって行っただろう。もし子どもがいたらなおさらのこと。
考えずにはいられない。なんだか胸がぎしぎしと痛んだ。どことなく頭も痛い。
「……悟利くん、遅くね?」
パチパチと火の粉を上げる炎を見ながら、帰ってこない義弟を思い出した。たかが水を汲んできてもらうだけなのに、ちょっと遅すぎる。変な人に絡まれてなきゃいいけれど。
もう他の準備は済んでいるのだ。しょうがないから隣の家族にもしものことがあったらこちらの火を見ていてくれとお願いして、悟利くんを探しに行くことにした。
小学生の頃からだが、悟利くんはあの顔だからいろんな人に絡まれる。モデルのスカウトで声をかけられるなんていいほうで、それこそ不審者やらちょっとアブノーマルな性癖をお持ちの方々がほいほい釣れる。
心配したお義母さんは悟利くんに幼少から何度も護身を習わせようとしたが、運動能力皆無の悟利くんは数日で師範から投げ出されてばかりいた。なまじ頭がいいだけに、大人への反発が小生意気なのだ。
どこへ習いにいってもやる気のない悟利くんと違って、弟の付き添い(それこそ護衛)で一緒に武道を習った姉の栞里だけが上達していくという有様だった。
そんな懐かしいことを思い出し、苦笑のような笑みが漏れる。
変な人に捕まっていなければと思った矢先、なにやらガタイのいいソフトモヒカンの男と話し込むふわふわのしっぽが目にはいった。肩からずり落ちたパーカーといい、白に近い金髪といい、束ねた髪がしっぽみたいに揺れるのは見間違うことなく悟利くん。よりにもよってまた一層治安の悪そうな奴に捕まってやがる。
「さと――」
「金髪くーん!」
俺が声を上げると同時に、横をすり抜けていく人がいた。悟利くんとモヒカンがこっちを向く。あ、と悟利くんが嬉しそうに声を上げた。
「ようちゃん!」
「えっ、君このおっさんと二人で来てたの」
おっさんてなんだよ。まだ28だわ。俺をおっさん呼ばわりしたら真のおっさんから顰蹙を買うぞ。……真のおっさんってなんだよ。
とりあえず悟利くんに駆け寄り、モヒカンから悟利くんを引き離す。ふわふわした足取りの悟利くんはあっさりと俺の胸にぶつかった。相手はモヒカンにショートパンツギャルである。うわ、この山の中の河原でショートパンツとか勇者だな。
「すんません、この子うちの連れで。何かありましたか?」
なんか誤解を招く言い方だな。少女漫画とかでありがちなシチュエーションに出てきそう。言ってからしまったと思う。案の定、悟利くんが腕の中で震えている。ツボに入ったらしい。その調子でわざとらしくきゅっと胸元を掴まれた。
「あ、いや」
別に変な意味ではなく。
弁解しようと慌てて頭を振った俺に、顔を上げた悟利くんがにこっと笑う。
「ようちゃん花火を買わなかったでしょ。おすそ分けしてくれるって」
「花火?」
ギャルがおずおずと封を切っていない袋を差し出した。線香花火らしい。悟利くんが満面の笑みで受け取り、ギャルが顔を赤くして目を背けている。
「ごめんねぇ、派手な奴はもうないから線香花火しかないんだけど」
「ううん、お姉さんありがとう!」
「あは、どーいたしまして」
半歩下がったギャルが「かわい〜」と小声で悶絶している。そりゃ顔はな、可愛いんだよな。
「じゃ、ようちゃん、戻ろう。お兄さんもありがとうね」
「おう。向こうにいるから暇になったら遊びにこいや」
「うん」
治安の悪そうなバーベキュー集団の元へ帰っていく二人を見送りながら、俺は悟利くんの頭を軽く小突いた。人がいなくなることに関して俺はけっこう敏感なんだ。一瞬でもひやっとしたのだ。
「遅いからちょっと心配した」
「や〜ん。ようちゃん優しー、惚れちゃうわ」
「るさいわ」
悟利くんに何かあったら栞里に見せる顔がない。夏のキャンプなんて何があってもおかしくないのだから。肝が冷えた。
花火を手にいれた悟利くんはいっそう楽しそうにしていた。本当は別にキャンプが好きなわけでもないのだろうに。そう思う自分がひどく汚れた人間のように思えてしまう。
悟利くんが俺を連れまわすのは自分のためか、俺のためか。きっとそのどちらもなのだろう。我儘言って俺を振りまわすわりに、たいていそれは悟利くんの好きな場所ではなく、俺や栞里の好きそうなところがほとんどなのだから。
うっすらと思っていたことが頭のなかで言葉になる。
もしかしたら悟利くんは栞里を探しに来ているのではないか。今までも、今日も、いつだって。
喉がへばりつくような乾きを覚える。ご機嫌に隣を歩く義弟の体温を微かに感じながら唾液を飲み込んだ。
本当のことを聞く勇気は俺にはない。
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