← 2/10 →
🐣

 大学近くの学生マンション。ワンルーム。

 テレビと学習机、ベッド、投げ出された洗濯物。散らかった教科書に絡まったコード。
お世辞にも綺麗とは言えないが、男子大学生の一人暮らしなんてこんなものだろう。俺の部屋だって似たようなものだ。なんだったら鏡やアイロンが置いてある俺の部屋のほうが清潔感あるんじゃないかってくらい。

 この美形イケメン端正クールガイの部屋には姿見すらない。そんなものなくてもこの男は成り立ってしまうのだ。

 本当、嫌になるよね。せめて衣笠の美意識が高ければよかったのに。

「ん、着替えとタオル。シャワーはお湯が出るまで少し時間かかるから気をつけてな」
「……どうも」

 ちょっと堅いタオルと絶対にサイズが合わないであろう服を受け取って、ユニットバスに逃げ込む。正直意味が分からない。なんで俺衣笠の家に来てるんだろう。高校の友人が知ったら俺の虚言妄想だと一蹴するだろう。そのくらい俺たちは他人だった。関わりなんてあるわけがない真反対の人間だ。

 ただ一方的に俺が衣笠の存在を知っていだけで。そう、ただ一方的に。

 衣笠は有名だった。目立っていた。問題児だったわけじゃない。誰もが注目してしまうような華のある男だった。
人に囲まれてキラキラしていて、楽しそうで、周りの人間がみんな笑っていて。その場にいるだけで雰囲気を作り上げる外面的魅力と人望を持っている。

 対して俺はクラスの端でごく少数の同類と守り合うようにこそっとまとまっているだけ。発言力なんてない。影響力なんてない。ただの空気だ。誰の目にも留まらないし、興味も持たれない。

 俺が一方的に衣笠を知っているだけ。いや、ちょっと目で追っていただけ。ちょっと調べていただけ。
ちょっと、憧れてただけ。

 俺の中で衣笠という存在は、忘れてしまいたい二度と触れてはいけないパンドラの箱のようなものだった。

 黒歴史と呼ぶには生々しすぎる。過去の淡い憧れは遠い昔にすでに憎悪となっているから。そしてその気持ちは過去のものじゃない。

 悪感情は精神に悪い。衣笠が目に入る環境にいれば、俺はそのうち衣笠を刺してしまうんじゃないかと本気で思っていた。大学進学は新しく気持ちを入れ替えるチャンスだった。だから県外の大学、しかも実家から通うには無理のある大学を選んだのに。

 本当に偶然、衣笠が同じ大学だった。俺の高校からこの大学に進学したのはただの二人だった。
 なんかもう、呪いなんじゃないかと思う。

「……は? なんだこれ。ドラックストア最安値のじゃん」

 ラックに置かれた洗顔料を手に取る。こんなのであの肌維持してんのか? 俺なんかこの3倍はかけてるのに。なんであんなにつやつやなの? ニキビできないの? シミもそばかすもないの?

 湯気のかかった鏡にシャワーを当てる。映った俺の肌はニキビ跡の赤味が頬骨に散らばっていて、色むらがあって、お世辞にも綺麗とは言えなかった。鼻筋なんてなくて鼻先が丸まっていて、目も小さくて。

 食堂からの急展開にどこかへ飛んでいっていた惨めさが爆発するようによみがえってくる。

 そうだ、今日はもともと最悪な日だったんだ。家を出た瞬間から雨に打たれてセットした髪はすぐにつぶれるし、梅雨の蒸し暑さで引くくらい汗をかいてファンデは崩れて、どう見ても不自然な毛穴がぼつぼつと生まれた。

 だから目線なんて上げられなかった。誰かに見られて噂の種にされるなんてごめんだ。あいつメイクしてた、しかも落ちてた、引くわ〜とか? あまりにも簡単に想像できてしまう。一秒でも早く帰りたい。誰にも見られない場所で引きこもっていたい。

 鏡から目を逸らすと、俺は勝手にシャンプーを借りて味噌汁臭い髪を洗い流した。シャンプーは見たことがないブランドのもので、優しいいい香りがした。優しいけれど男ものならではのスパイシーさががある匂いは、衣笠によく似合う。

 もう一度シャンプーのボトルを手に取ると、俺はその銘柄を頭に叩き込んだ。

 俺が着るとやけに大きなTシャツと軽いスウェットに着替えてバスルームを出る。正直恥ずかしさよりも居たたまれなさが勝っていた。

「うっ……」

 俺が出た瞬間、変なうめき声が聞こえたけど無視をした。

「ぶわぁっくしょんっゴボゴボッ」

 続いて豪快なくしゃみと死にそうにせき込む音が聞こえたけどそれも無視した。ちらっとだけ衣笠の方を見て見ると、スマホを握って天を仰いでいる。ソシャゲでSSRでも引いたか?

「衣笠」

 呼びかけるとぐりん、と首が取れるんじゃないかってくらいの勢いで衣笠が俺を見る。目が合う前に視線を逸らした。

「服もシャワーもありがとう。服は洗って返すから」
「いいよ!? 洗わないで! 絶対洗わないで返して! っくぅ〜な、なま……名前……」

 なんだこいつキショ。そんなにSSR引いたの嬉しかったのかな。なんのゲームやってんだろ。衣笠は相変わらずスマートフォンを握りしめて呻いている。そんな衣笠に背を向けると、俺はそそくさと玄関へ向かった。

 まだ身体から立ち昇る湯気に全身が汗ばんでいる。こんな状態で水槽の中のような湿度の外へ出るのも嫌だったが、すっぴんの顔を見られたくないしこんなダサい髪型だって見られたくなかった。早く一人になりたいし、とにかく衣笠の目から離れたい。

「洗って返すよ」
「もう行くの!? もうちょいゆっくりしない? お茶飲まない? てか洗わなくていいよ。ほら、最近雨だし洗濯物乾かないでしょ。気にしなくていいから」
「俺が気になるから。じゃあ、ありがとう」
「ああ、待って!」

 衣笠が玄関まで駆けてくる気配を感じたから急いで俺は家を出た。後ろで扉が閉まった瞬間階段までダッシュする。エントランスを抜け、いい加減に道を曲がってようやく落ち着いて息を吐きだした。張り付いた前髪をかき上げ、汗で蒸れた首筋をタオルで拭う。

 授業なんて出る気にならない。レポートの比率は確かにでかいが、俺は俺の精神状態を優先する。

 俺は迷わず自宅へ帰るとカーテンを閉め切り、ベッドにもぐりこみ布団を頭から被った。借りてきた服からは部屋干しではなさそうないい匂いがする。これが衣笠の匂いか。

「〜〜〜っ……」

 肺いっぱいに吸いこんでゆっくり吐き出す。
 次に買う洗剤の種類は今決めた。



← 2/10 →

目次
Top