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承認欲求と自己顕示欲。現代社会の大きな敵だろう。
そのどちらも満たされる様子もなかった俺は、純粋で素朴な厨二病を引きずり、肥大化した変身願望に取りつかれていたと思う。冴えない男が望む気色悪い幻想だ。
かといって俺は教室内でゲラゲラ騒ぐ派手な連中になりたいわけではない。ただ、奴らに届くほどの発言力を欲したし、奴らを見返す何かを欲したし、奴らに一目置かれる自分に焦がれた。“特別”な自分に憧れ、そして自分は特別なのだと思い込んだ。
誰かに虐げられたわけではないのに、教室の隅にいるしかない自分の情けなさと非力さに勝手に屈辱を覚えていたのだ。俺の存在のなんと薄いことか、なんと小さなことか。
なかなかに学校とは残酷な場所である。自然と上下関係が出来上がり、社会での自分の立ち位置をまざまざと見せつけられる。自分が所詮は小物程度の存在なのだということを嫌でも自覚させられる。
「……あ、また来てる」
「ん? あ〜衣笠ね」
「衣笠っていうんだ」
「斎間知らねえの? あいつ超有名でしょ。俺、去年同じクラスだった」
昼休みになるたびに、別のクラスからやってくる男がいる。そいつはこのクラスの中でも一番目立つキラキラした連中に絡んでは、体育館で遊ぼうとかグラウンドに行こうとか、俺とは程遠い青春を謳歌しに行く。その男が入ってきた瞬間、空気は一変するのだ。華やかで陽気で、顔を顰めたくなるくらいうるさくなる。
すらりとした長身、肩幅の広い大きな背中、小さな頭、長い脚。色白で透き通った肌に艶やかな真っ黒の髪。切れ長な猫目が印象的で、澄ました顔はとっつきにくく、とても綺麗だった。
だけど、笑えば目尻に皺がよって、八重歯が覗く。一気に人懐っこさと愛嬌が生まれた。
「俺、今年になって初めて見た。目立つな」
「そりゃな。あんなイケメンだし」
「イケメン……」
「いい奴だったよ。自分がカッコいい自覚が素でないっぽいし、なにより俺たちみたいなのにも超ナチュラル対応。あれで精神年齢小5くらいで止まってんのマジ好感持てねえ?」
「小5?」
衣笠は白い歯を見せ目を糸のようにして、転げる勢いでげらげら笑ってた。キラキラしてる。楽しそうだった。
「何回か一緒にデュエマしたわ」
「デュエマ? あいつデュエマすんの?」
ソシャゲをしながら購買のパンを食っていた友人は、口の端を上げてヒヒと笑った。
「悪い奴じゃないだろ?」
廊下へ出ていった衣笠たちの後ろ姿を目で追う。
俺の中で衣笠の存在をはっきりと認識した瞬間だった。
一度認識してしまえば、衣笠という男が学年どころが校内でも目立つ人間であることがよくわかった。こと行事に関しては衣笠の顔と名前が大きく知れ渡る。体育祭、文化祭、その後の衣笠のロッカーには手紙があふれた。下駄箱で見かけた時には数人の後輩に囲まれていた。困ったように笑っていて、ぎこちなく友人たちのもとへ戻っていく。
気取らず、人望もあってかっこよくて、ギャップがあって、信頼されて頼られて。いじられてるのをよく見たけど、それはそれだけ誰からも愛されてるってことだ。
確かに同性の俺から見ても衣笠は魅力的だった。それはある意味、俺の中の理想であったからかもしれない。
気づけば目で追っていた。やがて衣笠を探すようになった。衣笠を見かけたら心の中で小さくガッツポーズをする。女子たちがよく言う目の保養ってやつだ。だって好きな顔はいくらでも見ていたいじゃん? 俺は衣笠のキラキラとした雰囲気が好きだったし、衣笠に憧れていたし、衣笠に認められたかったし、衣笠のようになりたかった。話したことも目が合ったことすらなかったけど。
嫉妬や羨望とは違う、純粋で可愛い憧れだろう。
俺はよく笑うようになった。前よりも大きな声で喋るようになった。教室の隅の余りものには変わりなかったが、見える世界は前よりも鮮やかになった。
それは俺にだけ分かる変化で、きっと他の人間には俺なんて今まで通り道端の石ころくらいの認識だっただろう。ただ一緒にいた友人はその変化に少し気がついていたようだった。
「いいことあった? 最近楽しそうじゃん」
「いや、別に。特にないけど……お、衣笠だ」
「斎間、衣笠好きだろ。めっちゃ見るじゃん」
「まあメンクイなんで」
これまで大した興味も持ってこなかったけど、なんとなくファッション雑誌を手に取るようになった。陽キャへの偏見で毛嫌いしてきたSNSを始めた。目に映る莫大な量の写真には、衣笠のようにキラキラとした人たちで溢れかえっていて、でも何かが違った。
衣笠のほうがかっこいい。
それは逆に衣笠ほどのかっこよさや魅力がなくても、このくらいには俺もなれるんじゃないかというハードルを下げることになった。
ありがたいことに今の世の中、知りたいことはどんなジャンルだろうが大抵の情報が手に入る。俺はある男性アイドルのメイク動画を見たことをきっかけにメイクの研究に没頭し始めた。
カラコン、ファンデーション、パウダーはナチュラルに。アイシャドウはマットの薄付き赤。シャドウとハイライトは必須だ。
これまで以上に衣笠を目で追い観察する。あのつり目がちの目に見せるにはどうしたらいいのだろう。
俺の理想願望を詰め込んだ男になるために自己研鑽する。ポジティブで健康的なその努力に、俺は少し酔っていた。変わろうとする自分がなんだか素敵な人間のように思えていたのだと思う。今思えばどれだけ頭の中がお花畑だったかよくわかる。
俺は自分へのご褒美に、ちょっと背伸びをして欲しかったファンデーションと下地をバイト代で買った。
わくわくしながらメイクをして、鏡の中で綺麗に見える自分の肌に嬉しくなって、出来心で自撮りをしてみる。止めとけばいいのに。
「…………は? ブッッサ」
画面に映った自分の顔はただブスがイキってるだけにしか見えなかった。その日はスマホを投げて部屋を真っ暗にしてベッドにもぐりこんで、じめじめ泣いた気がする。なによりも調子に乗っていた自分と、思い切って使った1万円に悲しくなって、とんでもなく惨めだった。
いつだって衣笠は衣笠だった。
俺が夢から覚めてすっかり笑わなくなり、他人をちらちらと挙動不審に窺う陰キャに戻った時も、衣笠はみんなにいじられては笑っていたし、ヒエラルキーの頂点にいた。
「あ! 庄ちゃんじゃん! またデュエマしてんの?」
机の上に衣笠の大きな手が置かれる。ぎょっとして俺は身動きが取れなくなった。目の前の友人に目を向けたまま視線で訴える。びっくりしたのは友人も同じだったらしく、ひきつった顔でへらりと笑っていた。
「あ、あーまぁ」
「また放課後大会する時は言ってね。俺もやりたい」
ちら、と衣笠が俺を見た気がした。なんだこの陰キャきも、とか思われてんのかな。なんか妙な間なかったか? どう思われてんだろう。陰キャだな〜とか? 根暗だな〜とか? 見んなよ。
庄司と二言三言言葉を交わすと、衣笠はいつもの連中に絡みに行っていた。ドッドと脈を刻んでいた心臓は未だに落ち着かない。嫌な汗をかいていた。
「……庄ちゃん」
「いや、去年クラスの人達にそう呼ばれてて……」
「あだ名なんかあったの庄司」
「あーまあ」
「仲いいクラスだったんだ。まあ庄司けっこう友達多いよね」
なんだよ、俺と同じ陰の人間だと思ってたのに。庄司は恥ずかしそうに瞬きをして視線を逸らした。まあ確かに庄司は頭もいいし、パソコンいじりに関してはおそらく学年でも右に出るものはいない。特筆できる何かがあるっていいな。俺ってなにか持ってるっけ。
学年一位になれるほどの学力は? リレーで注目されるほどの足の速さは? 誰もが振り返る容姿の良さは? 常に人を笑わせられるユーモアさは? 誰にも譲れないこだわりは?
からっぽだ。なあにも、ない。
「いいね、そういうの。俺、去年のクラスメイト、名前も覚えてないや」
「たぶん衣笠がいたからだな。あの人悪意も他意もなく誰にでも絡むから」
……ふぅん。
もしも俺が衣笠のような顔だったら、少しは今と違っていたのだろうか。普段と笑顔のギャップで愛嬌があって、あんな風に友達がいたのだろうか。誰に舐められるでもなく、等身大の自分で周囲に認められていただろうか。
そんなことはない。所詮、俺はひねくれて可愛げのない性根の腐り切った人間だから。それでも、少しは何かが違っていたんじゃないかと思う。例えば自信。鏡に怯えることだってなかったろうし、人に顔を見られることに恐怖を覚えることもなかったろうし、こんな劣等感だって抱かなかっただろう。
生まれ変われるものならあいつになりたい。
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