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星座占いは1位だった。
果たしてこれが今日の幸運か?
「あ、はい……はい。承知いたしました、それでは……」
俺は電話を切ると、何も考えずに目に入ったケーキ屋にふらりと入っていった。
持ち帰りもできるが、イートインも可能らしい。店内は主婦層が占めていた。スーツを着たいかにもな営業マンがそこに投下されれば、どうせサボりだどうだと旦那の悪口の話題を提供してしまうだろう。俺はショーケースの中の一番高いフルーツタルトを持ち帰りで頼んだ。やべぇ、どこで食べよう。
「〜♪〜♪」
一番嫌いな取引先のおっさんはギックリ腰で休みだったし、先月から交渉していた新規のお客様からは契約を取れた。
俺ツイてね? いや、日頃の頑張りか?
スキップでもしそうな気分でウキウキと公園に入る。このあたりでゆっくりできる場所など限られるし、しょうがないから公園の東屋で食べよう、と。そう思ったのに、
「う、わ……」
ぎぃこぎぃこと聞こえてくるブランコの音。揺れるピンク髪。
奴だ。
「お! サラ男っちおっつかれー!」
いい年こいた大人が何全力でブランコ漕いでんだよ。いや、年齢知らないけども。
ぶぉん、と勢いよくブランコを漕ぐとそのまま桃男はブランコからすっ飛んで俺の目の前で着地した。シュタッと華麗な着地を決めた桃男に、ぱちぱちぱち、とお粗末な拍手を送る。
「なに食べるの?」
「あ、あげねぇぞ!」
「聞いただけじゃん。あ、ぶどう? ボク、ぶどうは食べられないから」
「あ、そう」
「サラ男もぶどうは食べなくていいよ。それは悪魔の実だから。ほら頂戴な。ぶどうに触れちゃったサラ男も一緒に行こう。広がる前に導師様に清めてもらわないと、楽園に行けないよ」
悪意のない眼差し。寒気がする。
「やめろ、俺は食べるんだよ」
「おい」
手首を掴まれた。低くなった声にヒュ、と息を飲みこむ。
「食べんなって言ってるだろ」
「そ、そんなの俺が決めることだろ!!」
自分でもびっくりするくらい大きな声がでた。若干裏返った声はヒステリーを起こしたみたいで、ちょっと引いてしまう。でも正直けっこう怖かった。相手は桃男だ。
自分では道を見いだせない男は、ただ曖昧で危うい信仰の光で照らされた道だけを進んでいる。それを否定された時、桃男に残された道はなくなってしまう。そんな存在は桃男にとって悪なのだ。
桃男を否定した俺は桃男にとって悪と認識されるだろう。先週、激しい怒りをゴミ箱に向けていた桃男を思い出す。冷や汗が流れた。
やっちまった、という焦りと恐怖で、鼓動がどんどん早くなる。しかし桃男は一向に何も言わず、何をしてくることもなかった。
「……?」
俺の手首を掴んでいた桃男の手が力が抜けたように離れていく。見上げるとふらついた桃男が肩を震わせていた。
「…………、さい」
「ん?」
すとん、と俺の前に座った桃男はぼぉっとしたまま呟いた。徐々に、その体がふるふると震えはじめる。あ、あ、あ、と小さく桃男が声を上げた。
「ご、ごご、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「え、え、ちょっとなに、え、どうしちゃったの?」
「怒鳴らせて、っ、ごめんなさい!」
わあぁっと桃男が声を上げた。ベンチから転げて地面に膝をつく。祈りをささげるように空に手を向けた。
「どうか、許してください……っ!」
「ゆ、許すよ、ごめんって。え、怒鳴っちゃったのが駄目だった? ご、ごめん。俺もなんかちょっと、テンションが高かったものだから。ちょっと、ほら、声が大きくなっちゃって」
はぁ、はぁ、と桃男は涙を流しながら肩で息をしていた。はらはらと金色の瞳から涙がこぼれ落ちる。つくづく恐ろしいな。
「ごめんなさい……ごめんなさい……あ、あの、お、お仕置きを」
「ハァ!?」
ぎゅう、と桃男が両手で俺の手を握り込んだ。俺を見つめるその目は真剣そのものだ。ぐちゃぐちゃになったアンバーの目が追い詰められたように俺に縋る。異常だ。
「お、お仕置きって……」
「お、お願い、します」
過呼吸でも起こしたように、ヒュイ、と桃男が息を吸う。俺の手を握る桃男の手は尋常じゃないくらいがたがた震えていた。一体何をそんなに恐れるのだろう。
「お願いします、お願いします……」
「な、何がいけなかったの……」
厳しい戒律でもあったのだろうか。人を怒鳴らせてはいけない、とか? これはどう宥めるのが正解なんだろう。軽率に桃男が信じるカルトを否定してはいけないように感じた。
「え、ええっと」
「お願いします。お仕置きをしてください。反省しています。反省しています。お仕置きを受けるので、どうか、ボクを見捨てないでください」
視線がふらつく。金色の光が蛍の光のようにゆらりと揺れた。
ああ、もうコイツ俺のこと見えてねえな。
クスリでもやってんじゃないか、と思えるくらいの心酔っぷりだ。俺にはそんなものないから桃男が宗教にのめり込んでしまうその心境がわからない。
「っ……は、は……」
浅く息を吐き始めた桃男の身体がぐらりと揺れる。あ、と思った時には、俺の膝の上にぱたりと倒れてしまった。
「え……ちょ、おい。おい……おい!」
肩をゆすっても反応はない。え、うそ。本当にショックで人って死ぬの?
「おい! 桃男! おい!」
180をゆうに超えるであろう長身なのに、掴んだ肩はやけに薄い。体を起こしたとき、その軽さにびっくりした。口元に耳を近づけるとすー、と微かな吐息がかかる。よかった。あぶねえ。生きてる。
とりあえずベンチに大男を寝かせた。最悪だ。せっかく人がウキウキしながらタルトを食べようってときに。
ベンチの下には桃男のポケットから滑り落ちたらしいものが転がっていた。拾って見ると、学生証と小さなノートだった。
「桃尾……え、すご。ミラクル起きてんじゃん。本名、桃尾なんだ」
しかもずいぶん頭のいい大学通ってんだな。でも、そうだよな。規模がでかくて頭のいいところほど、この手の怪しい新興宗教は付け入りやすい。
学生証の写真の桃尾はピンク髪ではなく、金に近い茶髪だった。地毛だとしてもあまり日本では見ないような色だ。名前は純日本人だが、もしかしたらどこかで外国の血でも入っているのかもしれない。あのアンバーの珍しい瞳も、裸眼なのかな、と思った。にこりともしていない証明写真でも、桃尾の顔面の造形美は存分に発揮されている。
ベンチに寝かせた桃尾に視線をやると、目の下は濃いクマができていて、顔は涙で濡れていた。せっかく綺麗な顔なのにもったいない。ケーキ屋さんがつけてくれた紙ナフキンで顔を拭いておく。ぶどうは地雷らしいから見てないうちに食べてしまおう。
見てはいけないかな、とは思ったが、桃尾のポケットから出てきたノートの表紙には怪し気な紋章が書いてあったからちらっと中身をのぞいてみた。教典のようなものらしかった。
「ポラリスの守部……えぇ……こないだのなんとか会は?」
とんでもないスピードで改宗してんな。教典には何ページにも渡って、教えと戒律が書かれている。
「神に尽くす兄弟を増やし……やっぱり勧誘ノルマでもあるのか?」
ぺらり、とページを捲る。
信徒の睡眠は聖なる時間である午前3時から午前6時とし、口にできるものは導師により清められたもののみとする。正午までは写経により大御神の教えのさらなる理解に努め……
まるでマインドコントロールの見本市だ。こうやって正気を失わせていくんだな。
恫喝に対するページもある。俺がさっき踏み抜いてしまったのはここだろう。なるほど、信者が絶対に逆らえないようにあらゆる網を戒律の中に張り巡らしているようだ。
どうやらこのポラリスのなんたらは、ほぼ飲まず食わず、睡眠も十分に与えない状況下で修行? をさせることで新しい世界を見ることができ、楽園とやらに行けるらしい。まあ分かりやすいなと思う。むしろもっと深い設定を持ってきてくれないと、読み物としてもつまらない。
食べ終わったタルトの残骸を公園のゴミ箱へ捨てに行き、帰った時には、桃尾が起き上がっていた。いまだにぽぅっとしてしまっている。そりゃ体を酷使していたのだろうから当たり前だ。
「なんか飲むか?」
「……」
「食べ物もあるけど」
食わないだろうな。そうは思うが、放って帰るのも良心が痛む。口をつけていない天然水と小腹を満たすために常備してるサラリーマンのお供、栄養調製食品の残りの袋を置いてやった。
桃尾はぼんやりとした目でそれを見て、水中を漂うような不慥かさでこちらを向いた。こんな透明感のある人間を、俺はテレビでも雑誌でも見たことがない。
桃尾はまたペットボトルに目をやると、複雑そうな表情をして呟いた。
「……おなかすいた」
「でしょうね」
だらんと垂れた桃尾の手に触れる。しゃがんで俺は桃尾と視線を合わせた。
「食べていいよ」
「……」
「俺は、見捨てないから」
「…………」
今日は会社に戻ってやらなければならない仕事が残っている。新規の契約も取れて、報告はもちろん、作成しなければいけない書類もたくさんある。
動かない桃尾の手に、俺は名刺を握らせると公園を後にした。
かなり危ないことをしてしまった自覚はある。俺の同情心はどうも、危険なモノは回避すべきという本能を上回ってしまったようだ。
俗世において慈悲を与えるのは、残念ながら神でも仏でもなく、生身の人間なのである。
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