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 昨日、如月の母親が来てさ。
 お前んとこも? うちにも来た!
 マジ? なんか変な話して、怪しい冊子押し付けてってさ。
 あー、あれね! うちの親怒ってそのままゴミ箱に突っ込んだわ。
 ははっ、そうだよな。俺んとこも。もう来ないでくださいって。
 あははっ
 ははは!



「――ははっ」

 唐突に声を上げて笑った俺を見て、小さな子供を連れた中年の母親は訝しげに眉を顰めた。暗い目をした子どもがぎゅっと母親の服を握りしめる。おっと、と慌てて子どもに優しく微笑みかけるが、泣きそうな顔をして下を向いてしまうだけだった。恥ずかしいよな。惨めだよな。嫌になるよな。全部、わかるよ。

 表札にちらりと視線をやった母親が口を開いた。

「如月さん、あなたも」
「うちは結構ですので」
「わたしたちの開祖様は」

 結構だって言ってんだろ。そろそろ扉を閉めさせろ。まぁ開けてしまったのは俺なのだが。宅配かと思ったら日曜日の朝から勧誘だ。精が出ますね。子どもは健全にニチアサでも見てろ。

「本当はお友達と遊びたいんじゃない?」

 つい、口をついて出てしまった。まだ小学校低学年くらいであろう少女は、はっと俺を見上げた。なんとも言えない顔をして、大きな瞳にはもうすでに膜が張っている。余計なことを言ってしまった。俺は今、こんな子どもを傷つけた。

「なんちゃって。朝からご苦労様です。では」

 せめてもの償いとして、母親の手からパンフレットをもぎ取ると俺は無理やり玄関を閉めた。

 もしあの子どもが俺の一言のせいで親から責められるようであれば、本当に申し訳ないことをした。親を嫌いになれない子どもの代わりに、俺が盲目な大人を呪おう。余計なお世話かもしれない。だってこれはエゴだから。稚劣だがあまりにも純粋な子どもの恨みより、よっぽどタチが悪いかもしれない。

「膳心会……」

 パンフレットの表紙にはそう書いてある。嫌だな。聞き覚えがあるぞ。

 いてて、と腹をさする。以前、桃尾が言っていたのがここだったはず。

 桃尾はあのあとどうしただろうか。水を飲んだか、ものを食べたか。パワフルな下部だっけ? なんだったけか、そんなやつをちゃんと抜けられたのかな。抜けたい、とそう思えただろうか。

「……無駄かな」

 第三者が口を出してどうにかなるんだったら、そもそもとっくに抜け出せている。俺はそのことをよく知っているはずだ。

 俺の母親はカルトに狂っていた。死ぬまで熱狂していた。葬儀だって、お寺さんではなく見知らぬ連中がやってきて、とんでもない金額を要求し、よくわからない宗教葬を行った。金をもぎとるだけもぎとって、奴らはろくな追悼も示さなかった。

 故人は口を聞けないし、俺は本望ではなかったが、きっと母は幸せだったんだろう。あれが本人の意であったのだから、それでよかったのかもしれない。

 だけど、俺は生まれてこの方、一度も母親と意思が通じ合ったことはなかった。風邪をひけば悪魔がついてる、予防注射は穢れるから打つな、学校行事には参加するな。おまけに土日は勧誘に振り回される。

 俺がどれだけ遠巻きにされ、孤独な思いをしてきたか、あの人は一度も理解しようとすることもなかった。

 桃尾と目が合う度、俺は一度も心が繋がらないまま死んでいった母を思い出す。生き生きとしているようで、何も見えていない目。

 俺が嫌いで、嫌いで、そして渇望してきたものだ。ずっと、俺のものにはなってくれなかった。その目に映りたかった。俺を見て欲しかった。

 桃尾の目に、俺は映るだろうか。

 神なんて、いないんだよ。


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