第4話
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誰よりも早く出社しテキトーに健気に愛想を振りまいていれば、それなりの評判が付いて回る。異動後もその習慣は変らなかったが、隣のデスクに鞄が置いてあるのを見て盛大に舌打ちをした。
「あいつ…」
人気のないトイレやら喫煙室を見てまわり、神田の姿を探した。昨日、眼鏡の奥で見えたあの目。昔と何ら変わらない危険な香りのする目。それを思い出すと反射のように血が湧くのだ。
「…っ!」
屋上にでると、煙草の煙を吐き出しながらフェンスに寄りかかる神田がいた。一瞬で腹の底が燃える。俺を見ると、にやりと笑い体を向けた。
「早いな」
「お前もな」
相変わらず神田はもっさりした髪の毛に古臭い眼鏡姿だ。何がよくてその恰好をしているんだか、さっぱりわからない。昔の神田は短めの髪で前髪をいつも上げていて、もっと爽やかだった。その髪型の爽やかさを目つきの悪さで相殺するのだが。
近づけば緩められたネクタイで晒された首元に目がいった。胸元に赤い跡が残っている。朝一で出社と思いきや、ただの朝帰りか?女癖の悪さは変らないんだな。どうせ恋人でもない女と寝ているのだ。考えれば考えるほどムカムカする。
「相変わらず年中盛ってんのな、お前。見えてんぞ」
「ん?ああ悪い」
言われてネクタイをきつく締めたが、そういうことじゃない。俺は優しさでそんな注意をしたわけじゃない、これはただの嫌味だバカ。
「お前はほんとに変わったな」
第一ボタンまでしっかりとしめ磨かれた靴を履き、皺のないスーツを着こなす俺を眺め神田が言った。元営業だからな、なめられちゃ困る。
「髪もこれ染めてないんだろ?ああ、でもやっぱいまだに傷んでんのな。昔は派手だったもんなぁ。さっぱりしちゃって、最初見た時は気づかなかった」
そう言いながら神田が俺に手を伸ばす。顔に手を伸ばされるといまだに警戒する癖が残っていたが、このときははっと気づいた時にはすでに手が伸ばされていた。俺が隙を見せていたのか、コイツの距離の取り方が怖ろしいだけなのか。俺は息をつめ固まったようにその場から動けなくなっていた。
「あ、でもこれは変らない」
神田がゆっくりと俺の耳へ髪をかける。さっと耳を撫でられた。腹がじんと熱くなる一方で、背中にはぞわぞわと電気が走り抜ける。かさついた大きな指でピアス跡をなぞられた。大袈裟なくらい肩が跳ねたのを見て笑われる。いますぐコイツを殴り倒したいが、体は依然として動かなかった。
「神田も人のこと言えないだろ。こんな芋くさい眼鏡になって。耳が穴まみれなのはお前も一緒だろ」
「そんな睨むなよ。俺には可愛く笑ってくれないのか?犬っこキャラじゃねぇかお前」
誰が犬っこだ。俺はあわよくばアホ達をこき使うために地盤を固めてるだけだ。
「どうせ腹ン中じゃろくでもないこと考えてんだろ?俺は今くらい感じ悪い方が好きだけどな」
馬鹿にされたように笑われた時、固まっていた体がやっと動いた。足をすくいみぞおちめがけて一撃入れたが、昔のように後ろにのけぞって倒れるようなことはない。はっと上を見上げると、神田は口に手を当て笑っていた。
…当たり前だ。もう昔のように野蛮なことはしていない。俺はとうに弱くなっていたのだった。
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