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「昨日、結局何があったの。お前、夜電話しても出なかったじゃん」
翌日、俺は少しむくれた様子の山田にそうつつかれた。
「電話……電話……あっあれお前だったのか!!」
てっきりまた非通知設定か綾乃ちゃんだと思っていた。俺がびっくりして相手を見なかったから早とちりしていたのか。
あれ……でもどうして音牧さんは教えてくれなかったんだろう。山田の連絡先なら登録している。画面を見ればすぐに友達だと分かりそうなのに。
……あ、もしかして山田のアイコンを綾乃ちゃんだと勘違いしたのかな。
と思って山田のアイコンを見てみればコンビニの前でカブトムシを掴んでいる写真だった。そうだ、カブトムシジャンケンに負けて俺がコクワガタをもらったのだ。
そういえばコクワガタは元気かな。ちゃんと生きているかな。エサはまだ残っているだろうか。
「なんだよ、尋常じゃないくらい怯えてたから電話してやったのに」
「ごめん、ほんと。解決……はしてないんだけど、どうにかはなったよ」
「パンツの話?」
「いや、ちが……いやそれもなんだけど」
昨日、音牧さんの家に泊まったことを話せば山田は一瞬目を見開いた。垂れ目で常に眠そうな目をしているから、いつもの気だるげな印象が消えてハッとする。だけど、それも一瞬のことだった。すぐにいつも通りの眠たげな目と凛々しく整った眉をした、ただの顔のいい男に戻りやがった。あくびをかみ殺す山田を見ている女子。俺を見ている綾乃ちゃん。
寒気がした。
「ねぇ、綾乃ちゃんのSNS、見た?」
こそっと山田に耳打ちする。
「え? 見てないけど。リスカ跡でも晒してた?」
「え、リスカ跡あんの?」
「さぁ。そういうタイプには見えないけどね。図太く生きてそうだし」
「そうじゃなくて、なんかすごい俺の生活とリンクしてんだよ」
「そりゃだって、つけられて待ち伏せされて、四六時中ほぼ一緒じゃん」
講義室に教授が入ってきた。波が引くようにざわめきが小さくなる。山田が俺の話を聞こうと体を近づけてきた。肩を寄せ合うようにして、俺たちはこそこそと話し合った。
とりあえず綾乃ちゃんのSNSのホームを開いて山田に押し付ける。昨日バイトに行ってからは一度も覗いていない。何が書かれているのかは俺も知らなかったし、知るのも怖かった。一人では見ることができないから山田に押し付ければ、隣で山田の表情が固まった。
「……小屋原、昨日社員さんの家泊まったんだよね」
「え、うん……」
おかげ様で目覚めが最高によかった。起きたらなぜかベッドにいて、ベーコンが焼けるいい匂いがして、起き上がったら妙に体がすっきりとしていた。音牧さんはきっとα波とかそういうものを出しているに違いない。
穏やかな朝を思い出して和やかな気分になっていた俺とは反対に、山田はぎこちない仕草で俺を見た。差し出されたスマートフォンの画面を覗き込む。
『どうして帰ってこないの?』
『どこにいるの?』
『は?』
『誰?』
『誰、その男』
『は?』
似たような言葉が延々と怨嗟のように書き連ねられている。ぞわりと背筋に鳥肌が立った。
そういえば今日はまだ一度も綾乃ちゃんに話しかけられていなかった。もちろん音牧さんの家に泊まったから、朝綾乃ちゃんに遭遇することもなかった。さっき彼女はどんな目で俺を見ていたっけ。
「小屋原、お前顔色やべーよ」
「どうしよう、俺……」
怒らせた? でも、俺何も悪いことしてなくない? そもそも俺たちは恋人でもなんでもないのだから。
「流石にやめてくれって言ったら」
「それでやめてくれる思うか?」
「無駄だなぁ。あ、じゃあホスクラ紹介するとかは?」
「現実的か?」
「伝手がねぇなぁ。小屋原のみみっちい優しさに落ちちゃうくらいなんだから、ホストとかハマりやすいと思うんだけど。そしたら興味も小屋原から移るんじゃない?」
「今俺へのディスいる?」
「というか今日はどうすんの」
面白さ半分、恐怖半分、みたいな傍から見れば面白い顔をして山田が聞いた。俺は恐怖10割だ。
音牧さんはしばらく家を空けて様子を見たほうがいいと言っていた。俺も今あの家には帰りたくない。それに俺が綾乃ちゃんから距離を取ることで、山田の言うように綾乃ちゃんの興味が俺から逸れてくれるのが一番いいように思う。
「帰りたくは、ない」
「うん」
「でも俺のコクワガタが……」
「うっは」
それに綾乃ちゃんのSNSを見る限り、綾乃ちゃんは音牧さんを認知しているようだ。あの男、とそう言っている。また音牧さんを頼ればきっとさらに迷惑をかけてしまう。そうなれば、
「山田ぁ」
いつの間にかニヤニヤしていた山田がにこっと笑った。
「俺が一緒に帰ってあげるよ」
他人事だからって、またずいぶん楽しそうである。
今日はバイトはない。音牧さんは何かあったらすぐに連絡して、と今朝も心配そうに俺を送り出してくれた。わざわざ職場とは反対方向の駅まで、俺をバイクの後ろに乗っけて。
あんなにかっこいいんだから、もしかしたら音牧さんは俺が想像できないくらいの修羅場を掻い潜っているのかもしれない。だからあんなにも落ち着いて対応して、俺のことを気にかけてくれたのかもしれない。おっとりした人だから、それもそれでなかなか想像がつかないが。
山田も今日はバイトはないらしかった。山田はチェーンの居酒屋でアルバイトをしていて、そこそこお客さんにも可愛がられているようだった。俺には絶対無理。馴れ馴れしいネームプレートのあだ名を酔っぱらいに呼ばれて絡まれて。山田がそれに対してほいほい笑って応えられるようにも思えないが、女子学生やら若い女性、ちょっと治安の悪い男たちにはウケがいいらしい。ほら、やっぱり見目のいいものは誰だって近くに置いておきたいじゃない?
「小屋原、郵便受けすごいよ」
「え」
家の前まで来たところで服の袖をくい、と山田に引っ張られた。鍵を開けようとしていたところ、インターホンの下のポストに目をやる。
そこには昨日の夕方には空っぽだったポストに、あふれかえる量の郵便物が無理矢理押し込まれていた。
「な、んだよ、これ」
「うーん、チラシっぽくはないね」
立ちすくんでいる俺を置いて、山田が躊躇なくポストの中の郵便物を取り出す。大量のそれは全て便箋だった。どうみてもダイレクトメールではない。誰かが俺に宛てて書いたもの。山田が封筒を裏返した。差し出し人の名前も住所ももちろんない。切手も押し印もないから、書いた人間は直接ここに投函したのだろう。
「中、見る?」
「う、うぅ……」
山田が俺を振り返って聞く。見た方がいいのだろうか。もしかしたら全然関係ないものかもしれない。唐突に文通をしたくなった親とか、地元の友達とか。そうであってほしいとは思う。
山田を見て小さく頷くと、山田は糊で貼り付けられた封筒を爪を使って丁寧に開封した。白い封筒から中身を取り出す。俺が山田の手元を覗き込む前に、山田は俺から後ずさるようにして中身を隠した。
「え、な、何が入ってた? なんて?」
「…………写真」
「な、なんの? なんの?」
山田の顔が引きつっている。心なしか顔が青い。そんな山田の反応に嫌な動悸がした。
「見せてよ。確認する」
山田に手を伸ばせば、眠たげな垂れ目を瞬いて困ったように俺を見た。相変わらず引きつった顔で、ゆっくりと差し出された紙を受け取る。
何枚かの写真だった。その全てに俺が映っている。講義室で山田と話している俺。バイト先で接客している俺。通学路を歩いている俺。友達と遊びに行った時の写真。サークルの飲み会で潰れている写真。ベランダで洗濯物を干しているところ。
顔を上げれば、山田は他の封筒の中身を開けていた。
「全部写真みたい」
「……なんで」
「ストーカーの考えることなんて知らないよ」
「いつ撮ったんだよ」
「全部隠し撮りだね。綾乃ちゃん、いつも大して隠れてないのに、盗撮の才能はあるんだ」
彼女はいったい俺に何を求めているんだろう。怖いし気持ち悪い。
「…………」
家に一人になったらどうなる? 綾乃ちゃんは今どこにいる? 家の中まで見られてるのか? どこからどこまで見られてる? コクワガタを飼ってるなんてどこで知った? なくなる洗濯物は? 風なの? それとも取られてるの? どうやって?
「おい」
「……」
「小屋原。だいじょうぶか?」
「大丈夫なわけないだろ」
ぶつけようのない不安と怒りで、俺は山田の目も見ずやけに早口で言い捨てた。玄関は開けられることなく、鍵穴に鍵が刺さったままだ。バイトが休みであることをこんなに残念に思うのも初めてだ。
音牧さん……に頼りすぎちゃ駄目だ。迷惑はかけたくない。
ポケットからスマートフォンを取り出す。音牧さんの連絡先は一番上に表示されている。つい固定してしまったのだ。その名前とアイコンを見てほっと息を吐きだす。
「小屋原」
ふいに、山田が画面を隠すようにしてスマートフォンごと俺の手を掴んだ。見上げれば、流石の山田ももう面白がっているような素振りは見せなかった。
「スマホ、なんかヤバいアプリとか入れられてない?」
「ヤバいアプリって」
「追跡とか。というか一旦中入ろうぜ」
刺さったままだった鍵を山田が回す。俺は手を掴まれたまま、家主なのに山田に引っ張られるようにして靴を脱いで家の中に入った。
肌に少し触れている山田の手が熱い。べたついているように感じるのは、俺と同じように山田も冷や汗をかいているからか。
一日ぶりの家に変わったところはない。窓際のタンスの影に置いたままにしていたコクワガタも元気だ。
「お前さぁ、流石に」
山田が口を開くと同時に、電話のなる音が狭い部屋に響き渡った。どうもこの音に敏感になっている俺はびくりと肩を震わせてしまう。
「……小屋原、また電話。非通知なんだけど」
山田の声がいつもより低い。もうどうしたらいいのか分からなくて、俺は床に座り込んでしまった。
「綾乃ちゃんのSNS、なんか言ってる?」
山田に聞けば、山田は着信を止めて手に持ったままの俺のスマートフォンで綾乃ちゃんのSNSを開いた。
「う〜ん。病んでるアピールの自撮りしてる。あとなんかポエム言ってる」
俺だって今なら綾乃ちゃんに負けないポエムが作れそうだ。山田が俺にスマホを返しながら、真面目な顔をして言った。
「やっぱさ、直接やめてくれって言って駄目なら次の男見つける作戦で行こうよ。伝手ないって言ったけど、俺ホストやってる奴いないか探してみるからさ」
「そんなん、他の人にも迷惑かけちゃうよ」
「このままにしてたらお前死にそうなんだもん。ああいう相手は小屋原みたいなお人よしじゃなくて、もっと器用な人に任せるべきなんだよ」
座り込んだ俺は気づかないうちに相当ひどい顔をしていたらしい。山田が俺のシャツをたくし上げて俺の顔を拭う。そこはせめてティッシュとか取って欲しかった。
ぐいぐい擦られたシャツに透明な鼻水が糸を引いてる。自分の体液とはいえ、マジでティッシュにして欲しかった。
「ほらほら、泣くなって。山田くんがついてまちゅからね〜」
「クソが。美少女になって出直せ」
「は? 充分美少女だろ」
「乳が足りねえ」
「俺だっておっぱいくらいあるし」
「マジで?」
「俺水泳部だし。胸筋めっちゃ鍛えてるし」
「え、ちょっと触らせて!」
「は? キモ」
パッと顔を上げたらティッシュの箱で殴られた。ひどい。それなら最初からティッシュくれよ。
結局山田はその日朝まで俺の部屋に居座り、あらいぐまラスカルの最終回を見ながら号泣し、俺が買っていた酒を全て飲みつくした挙句、一限があるからと言って帰っていった。
山田が飲み散らした酒の残骸を一人で虚しく片付ける。結局朝まで一緒にいてもらったわけだし、このくらいは文句も言わない。
山田はそういうところは敏い奴だ。俺が本気で怖がっていることも、一人にしないで欲しいと思っていることも、分かっていたのだろう。俺に礼を言わせる隙も与えず傍若無人するのは、山田なりの優しさと照れ隠しだ。
きゅ、と蛇口をひねって止める。一人になった部屋に沈黙が落ちる。後ろを振り返るのが怖かった。そこには何もいないのに。たった数日で幼女並みの怖がりになってしまっている。
家を出ると綾乃ちゃんはいなかった。数週間ぶりの穏やかな通学路。黒髪ロングは見当たらないし、背後から重たいブーツを鳴らす音も聞こえない。男子便所までついてきそうなあの断固とした圧も感じない。それだけで、心なしか空気が美味しく感じるような気さえする。
一瞬のオアシスのようなものだと思ったが、そんなことはなかった。
この日を境に、綾乃ちゃんは俺の前に姿を見せなくなった。
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