2.Boy loses to ×××


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 翌日、俺は唐突に父から数珠を渡された。

「え、いらないよおっさんみたい」

「新しく出す商品なんだよ。まだ試作だから、お前しばらくつけててくれ」
「寺がそんな新作の化粧品出すみたいに言わないでよ」

 おかしい。絶対におかしい。

 土曜の朝だからか、流れる空気は全体的にゆったりとしている。そんな調子に昨日聞いた話など俺の夢であったように感じてしまう。

 そうだったらよかったのに、こんなものを渡されたら現実味が増してしまうじゃないか。俺がこれを持っていることになんの意味がある? 俺はもうとっくに夜盗を見てるよ。穂高はとっくにアイツを手懐けてるよ。あんたらが心配していることはもう十年も前から起きてたんだよ。

 手の中の真っ黒な数珠はすべての光を吸収してしまうようだった。いっそ禍々しいとも思えてしまう。顔を顰めてそれを見ると、俺は腕にはめることもなくポケットに突っ込んだ。

「あ、兄ちゃん! 昨日のなぞなぞ、分かったよ!」

 外の花壇を見に行こうとサンダルをつっかけた時、弟の楽しそうな声が聞こえてくる。思わずパッと振り返れば、天真爛漫な笑顔が居間の襖から覗いていた。

「え、はぁ?」

 分かったって、あれはただのバケモノだ。いや、ただのではないっぽい。かなり、とんでもないバケモノらしい。それをそう簡単に分かってたまるか。

 俺の動揺を気に留めることなく、弟はにぱっと笑った。両手を空中でふわふわと振って、自信気に俺を見る。

「もくもくさんだね!」
「な、なに……?」

 それだけ言うと弟は顔を引っ込めてしまって、俺が聞き返したところで聞こえていなかった。

 もくもくさん? 初めて聞いた。それとも小学生の間ではそんな都市伝説でも流行っているのだろうか。都市伝説であればいい。

 外に出ると空は快晴といえど、風が妙に湿っぽかった。春の嵐がそろそろ来るだろう。桜が咲くのが先か、嵐が先か。

 庭の牡丹にネットを張ったほうがいいだろう。芍薬はまだ地中に埋まっていて、芽を出し始めたばかりだ。最近咲いている春の花はもうほとんど穂高のところに持って行ってしまっている。目新しいものは見当たらない。

 穂高は今日も、今も、夜盗と一緒にいるのだろうか。あの寒気のするバケモノと触れあって笑うのか。今となっては奴は喋る。いっそ喋り相手にはちょうどいいのかもしれない。一日中家に引きこもって、俺くらいとしかまともな会話ができないのだから。

 寝不足でか、ぼんやりとしながらホースをつないだ蛇口をひねった。やけに硬い。前回閉めたのは誰だ。

 思い切り力を込めて蛇口をひねれば金属の擦れる痛ましい音がギャッと鳴った。握ったホースに水が流れ込んでる感覚が手のひらに伝わってくる。ホースの口を指で押さえて花壇に向ければ日の光を受けて虹がかかった。

「……蛇口閉めたの、俺じゃね?」

 ぱらぱらと水が葉っぱにかかる音がする。土を這う虫が花壇の柵になっているレンガに這い上がってきた。そこに鋭くしたホースの水を当ててやれば人間には真似できない反射とスピードでどこかへ消えていく。気持ちの悪い生き物だ。

 あまりにも人間とはかけ離れた生態、形態。そんな生き物に対峙した時、俺たちは既存の概念にそれらを当てはめることができない。羽を手足に見立てることで異種の動物を身近に感じるような、そんなやり方が通用しないのだ。夜盗のどこに親近感を覚えて仲良くなれるというんだ。

 片手をハーフパンツのポケットに突っ込み、ポケットの中の数珠を指先で弄ぶ。これでどうしろと? 俺には念仏は唱えられない。もっと俺に説明はないのか?

 きっと父も兄も説明する気はないのだろう。どうやら、バケモノの正体を知らないことが重要なようだから。それでも、間接的に俺を使って何かをしようとしている不快感は不信感へ変わる。

 頭を整理しに家を出たいところだけれど、家を出たって待ち構えるのはのんびりとした幼馴染だけじゃない。気色の悪い怪物も一緒だ。

「怒られっかな……今日は花がないので行きませ〜ん」

 要点を整理しよう。穂高に会うのはそれからだ。
 穂高を傷つけずに夜盗を排除する。誰にも気づかれずに、何も変わることなく。

 厚い雲がやって来ていた。向こうの空がびっくりするほど濃灰色になっている。太陽の黄色い光が空の境界面を蜘蛛の糸のように照らしていた。空を見上げて俺はぽつりと呟いた。

「水、やらんでもよかったか」


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