2.Boy loses to ×××
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谷津田は祓いに強い寺族だ。起源は知らん。歴史も知らん。実家でありながら俺は自分の家がいったい何をしているのか少しも把握していない。何なら宗派すら興味がない。
詳しい仕事なんてものは知らないけれど、父がいつも忙しくしているのは知っている。ついでに一回り年上の兄も、最近は本職と平行して寺の業務をこなしている。寺ってそんなに繁盛するもん?
小学生弟ですら祭事に忙しくなるとえっさほっさと働いている。俺はといえば、またしてもそんな家族を横目に穂高に会いに行くだけだ。
俺がそんなでも家族は何一つ口を出さないのだから、別に問題はないのだと思う。むしろ谷津田にとって、穂高に会いに行く人間がいることに意味があったのかもしれない。考えてみれば、俺はなぜ自分がこんなにも日課のように毎日穂高に会いに行っているのか分からないのだ。
穂高に初めて会ったのがいつのことだか思い出せない。ただずいぶん小さな頃だったとは思う。やっと幼稚園に入ったくらいの歳からか、物心ついた頃にはもう一人で穂高のところまで行っていたように思う。よくよく考えればそれを一般的と言い切るのも無理があるのではないか。
たかだか3歳、4歳の子どもを親がつきそうことなく他人に家に向かわせるのか?
やっぱり俺の知らないところで何かがあるんじゃないか?
今までそんな卑屈な考えを疑うことなどなかった。家族の言うことをいちいち疑ってかかるほど、俺の家庭は荒んでない。そんな思い込みも、物事の一つ側面に過ぎないのかもしれないけれど。
一階の居間から聞こえてくるテレビの音が今日はなぜだか聞こえなかった。木造で広くもない家では、二階にいても話声などが聞こえてくるのが常だ。すっかり寝入っている弟に気を遣っているわけでもないだろう。
暗闇の中でぱちりと目を開けると、俺は隣の部屋の弟を起こさないようにそっと布団を抜け出した。音を立てないように階段を降りてリビングを覗くが、とっくに電気は消えている。廊下を振り返るとダイニングから灯が漏れていた。
そろりと壁伝いに扉の近くまで寄れば、父と兄が小声で会話しているのが聞こえてきた。何を話しているのかまでは聞き取れない。いけないことをしているわけでもないのに動悸がする。息をつめてダイニングの扉を音を立てないように小さく開いた。
「……櫻がいたのにか?」
「その櫻が見てるんだ、たぶん」
父の驚いた声と兄の静かな声。二人して俺の名前を口にしている。ごくりと唾を飲みこんだが、そんな音すらも聞こえるんじゃないかとどきどきした。
「戻ってきた気配なんてしないが。櫻が接触したなら俺たちが気づくだろう」
「接触したと言っても、まだ完全には認識してないのかも」
「でもあれは確実に穂高くんのところに戻るぞ」
あれ。
指示語を使うな。もっとはっきり、俺にも分かるように言ってくれよ。そんなに口にも出せないものなのか?
父も兄も異様に切羽詰まった緊迫感があったが、聞いてるこっちはいつまでたっても真相に踏み込んでくれないもどかしさに苛々していた。
アレとは一体なんなのだ。夜盗のことだろう? あの気持ち悪くて目玉がいっぱいで口がいっぱいで、でろでろの液体を垂れ流すバケモノのことだろう?
なんで二人が夜盗を知っている。どうしてそこに穂高の名前が出てくる。もともと夜盗と穂高には繋がりがあったのか?
「櫻に話を聞くのは?」
「櫻は駄目だ」
父が重々しくそう言うのが聞こえた。事の本質を理解していない俺は、問答無用で自分を否定されて眉を顰めた。父が重い溜息を吐く音がここまで聞こえる。
「櫻が知ったら穂高くんに近づける谷津田の人間がいなくなる」
どうにかして絞り出した、苦し気な声だった。
「……」
あぁ、ほら、やっぱりそうなのか。
俺は好きで穂高に会いに行っている。それは父の意思でも兄の意思でもない、俺の意思だ。俺と穂高の友人関係は誰かのためのものじゃなし、誰かに強制されたものでもない。
これまで自分の意思で大切に磨き上げてきたものが、実は他人の手の内で踊らされていただけのように思えてくる。なんとも言えないやるせなさと苛立ちが湧いてくるのを感じた。
だけど俺がこんなに感情的になっていても、聞こえてくる兄たちの声には聞いたことがないくらいの絶望感が滲んでいる。そのことに俺は違和感と妙なちぐはぐさを覚えていた。
「……俺もお父さんもやっぱり無理かな」
呟いた兄の声に父は答えることなく、ダイニングにはただ沈黙が広がっていた。しばらくして大きく息を吐きだす音が聞こえてくる。
「俺もお前も過去にアレに関わってる。正体を知ってる以上近づけないどころか……」
鼓動が全身に響き、頭がじんじんとした。立ち聞きをしてる身なのに苛立ちで激しく指先をこすり合わせていた。肌の擦れる音が耳に入るくらい大きくなってしまい、慌てて手を開き深呼吸をする。室内をそっと覗いてみたが、俺がいることはバレていないようだった。
「俺たちも、三家のおばさんみたいになる……?」
まるで幼い子どもが怖い話を聞いた時のような不安そうな声だ。兄のそんな子どものような呟きに父は答えなかった。いや、本当は頷いていたのかもしれないし、首を横に振っていたのかもしれない。
そんなことよりも、俺は兄の言葉のほうが気になっていた。
三家のおばさん、もとい穂高のお母さんのことだ。
三家の屋敷にいるところも見たことないし、俺が会ったこともない。あの家には穂高と穂高のお父さん、そして使用人が数人住んでいる。
狭い田舎であれば噂の一つや二つは即座に広がる。過去に三家の屋敷について噂が流れた頃があった。確か俺がまだ小学校に上がってそこまで時間が経っていない頃だっただろう。
三家の屋敷には幽霊が住んでいる。それは俺たちと同じ年の男の子で、目を隠すように顔に包帯が巻かれているらしい。そんな幽霊と目があったら呪われる。
そんな穂高を傷つけるような噂話にばかり俺は憤慨していたが、今思い返せばあの噂にはもう一つ話があった。
実際に三家の幽霊と目があってしまったことで気が狂ってしまった人がいる。それがその幽霊の母親なのだ、と。
こそこそと帰り道に身を寄せ合ってそう囁いていたクラスメイトの声が蘇る。みんなの帽子のつばが当たって足元に影を作っていた。擦り切れたスポーツシューズさえもが鮮明に思い返される。
穂高のことじゃないか、穂高は幽霊なんかじゃない、呪われたりなんてしない。
むくむくと抑えられない怒りが湧いてしまった俺は、手に持っていた給食袋で同級生をしばいて回ったが、小学男子たちはそれに喜んで逃げ回り、すぐに別の遊びになってしまった。
「……、」
あれは本当のことだったのか? 穂高のお母さんは今屋敷にはいない。病気で体を壊している、とどこかで聞いたことがあった。
それは夜盗が原因なのか? 夜盗に関わると、夜盗の正体を知ってしまうと、正気でいられなくなってしまうのか?
アイツの正体って、なんなんだ……? 俺は大丈夫なのか?
「っ……」
いくつもの目玉がまばたきを繰り返す。溶けた赤黒い皮膚みたいな液体を全身に滴らせながら、カタカタと歯をかみ合わせ、嬉し気にまぶたを持ち上げる。トモダチ、トモダチ。
手のひらがべっちょりと濡れていた。浅くなった呼吸を隠すように、口元を手で覆う。汗で濡れていて気持ち悪い。片手を服に擦り付けてごしごし擦った。
俺はその場をそっと離れると音を立てないように階段を登り、再び布団に潜り込むと頭から布団を被った。
俺は大丈夫だ。正気を失ってなどいない。
俺は大丈夫。大丈夫。
じゃあ穂高は? バケモノを平然と友達と言い切り、身を預けるほどに心を許している。見えないから問題ないのか? 姿を認識できないから平気なのか?
「……いや」
兄たちは「夜盗が穂高の元に戻る」と言っていた。ということは夜盗はもともと穂高の元にいたものということになる。
穂高は一体、何者なんだ?
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