2.Boy loses to ×××


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 なんやかんやでどれだけ家の内情を知らなくても俺は谷津田の人間だし、父親の持つ数珠に意味はあるようだった。

 さびついたカッターの刃を折って、少し迷ってから封筒に入れた。捨ててしまいたいけど、これもある意味いいデータ集めになるかもしれない。

 渡された数珠を持て余していた俺は、手にはめるのもカッコ悪いからという理由でずっとポケットの中に入れていた。代わりに持ったのがカッターだった。

 ものは試しだ。まずは奴がどうなるかを知る必要がある。もしいい兆候があれば次はもっと殺傷力の高いものにしようと思っていた。

 最終的な結果は、おそらく効力を発揮したのは数珠のほうでカッターではなかった。夜盗に突きつけたカッターは切り傷を作るのではなく、身体をどろどろに溶かしてしまった。

 とはいえ再起不能になることはなく、いったん形を失った夜盗はより人間のような姿になるだけで大したダメージを受けていなかった。

 それよりも気になるのは穂高のほうだ。

「夜盗に効果があるんじゃないのか……?」

 今日の穂高は様子が少し変だった。いつもなら俺のことをすぐに見分けて寄ってくるのに、今日は俺がどこにいるのか分からないようでずっときょろきょろと気配を探っていた。どうして夜盗だけではなく穂高まで混乱させていた?

 夜盗に触れたカッターの刃は赤黒く変色し錆のようになっている。そしてもっと問題なのは夜盗に触れた俺の指だ。

 中指の第一関節あたりまでが赤茶色に染まって戻らない。洗っても洗っても無駄だった。

 穂高は平気、というがそれは穂高だから平気なのか。それとも俺がこんな数珠を持って夜盗を切りつけたからか?

 ご丁寧にきらい、とまで宣言してくれている。お前が言うなって話だ。拒絶したいのは俺のほうだ。

 父親たちから盗み聞いた話を整理したところで奴の正体は分からない。ただ、夜盗と穂高は十年前に出会う前から既に縁があった。そして過去に谷津田が夜盗を祓おうとしたのは確かだろう。

 なぜなのか。きっと実害が出たからだ。夜盗は何かしらの危害を周囲に与えるよくないものだ。おかしくなってしまった穂高の母親、というのがその証拠だろう。そして祓えたはずのバケモノは知らずうちにちゃっかりと戻ってきている。

「意味わからん……」

 変色した指先にもう一度視線を落とす。泣きたいような何とも言えない気持ちで顔を歪めて笑うことしかできなかった。

 やっぱり危険じゃないか。こんな得体の知れないもの。アイツは友達なんかじゃないよ。明確な敵だ、穂高。

「……なんて言えるわけねえだろ」

 握った拳がパキリ、と音を立てる。たとえ夜盗がもともと穂高に派生したバケモノだったとして、夜盗が穂高にとって良心のある友達だったとして。夜盗は夜盗の意思を持っている。俺に向かって「キライ」と明言できたくらいだ。

「気に食わない」

 谷津田の勘は大抵当たるのだ。

「よし、刺そう」

 迷ったら自分の感情に従うこと。谷津田の家訓だ。





 外に行こう、と誘えば思いのほか穂高は渋った。これは少し珍しい。珍しいどころか予想外だ。

「え、嫌なの。過ごしやすい気温だし人通りも少ないよ」
「……なんか、春の風は僕の身体に合わないみたい」
「うーん、そっかぁ……」

 室内で夜盗に狙いを定めるのは少し難しい。外の方が飛び散る夜盗の体液を気にする必要がないのだ。それに室内だと、俺が何をしているのかを、身じろぎや足音で穂高に察せられてしまう。

 俺の声には少しだけ落胆が見えてしまっていたらしい。パッと穂高が顔を上げ、焦ったように眉を顰めた。別に怒ったわけでもないし、もしそうだったとしてもそんなことで嫌いになるわけでもないのに。

 こういう時黙り込むと余計に穂高を心配させる。変に取り繕った声を上げるのも、穂高を不安にさせるのだ。なんてことないように、能天気な調子でもう一度口を開いた。

「じゃあ今日は」
「あ、でも外の空気は吸いたい。僕も流石にちょっとは歩かないとなって思ってたし」

 先に気を遣わせてしまったみたいだった。慌てたように早口で言った穂高を見て、答えを探す。その僅かな間すら穂高にとっては相手の感情を読めない不安につながるんじゃないかと思って、言葉より先に手が動いた。

 穂高のこめかみあたりの伸びてきた髪を掬い、耳にかける。耳の輪郭を辿った指先でそのまま頬を撫でた。ぴくん、と動いた穂高がくすぐったそうに瞼を震わす。

「いいんだよ。別に無理はしなくても。まあ確かにずっとじっとしてるよりは歩いたほうが筋力つくとは思うけど」

 軽く触れただけだった俺の手に、穂高が猫のように頬を摺り寄せた。まぶたを閉じてしばらくの間、穂高は口を開いては閉じ、何を言うべきか定まらないようだった。

 ピンク色の舌が覗き薄めの下唇をちろ、と舐める。見られないのをいいことに、俺は穂高の口元から目を離さなかった。

「……最近、櫻がどこにいるのか分からなくなるんだよ」

 思わずポケットの中の数珠に手をやりそうになり、そういう些細な行動に穂高が鋭いことを思い出して手を止めた。

 ゆっくりと、穂高が目を開ける。ビー玉みたいに輝く無垢な瞳にしっかりと俺が映っている。動揺を悟られまいとするものの、俺の手のひらにはじんわりと汗が浮き始めていた。青白さを感じるほどに日焼けをしていない、ふっくらとした頬に俺の指が吸い込まれるように食い込んだ。

「今は分かるだろ」
「うん。櫻、指熱いね。特に、ここ」

 そう言って、穂高が俺の中指をきゅっと握る。

「あー……はは」

 君の友達に触れた場所だよ。おかげ様で熱烈な嫌悪を持って帰っちゃった。執念深さは俺並みかもしれない。穂高はろくな友達に好かれないね。

 ふいに穂高の背後からずるり、とアメーバのように不確かな形をしたものが飛び出てきた。びっくりして思わず飛び退くところだった。

 体中にある目が俺のことを睨んでいる。感情がずいぶん豊かになったように思う。つい最近までは人間離れしていた巨体も、今となっては穂高や俺と同じくらいのサイズ感に収まりつつある。

「庭の桜は咲いたかな」

 俺の指を握った櫻は急に安心したようで、打って変わって上機嫌な様子で言った。顔をほころばせる穂高を見ながら、妙な緊張に動悸がする。

「あぁ、咲いてるよ」

 バケモノ相手に二つしかない目で俺も夜盗を睨みつける。穂高の朗らかな声は俺たちの間に流れる本物の殺意には気がついていなかった。

 繋いだままになっていた手が解けて、穂高が俺の腕に手を回してぴったりとくっつく。もうすっかり外に行く気になってくれたみたいだ。

 外へ出る俺たちには、使用人のおばさんが嬉しそうな笑顔で可愛くつつんだお弁当を持たせてくれた。たかだか庭だろうと、穂高が外に出ることは滅多にない。おばさんには穂高の後ろに張り付く夜盗には目もくれなかった。
 


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