2.Boy loses to ×××
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実際、本当に穂高の調子はいつもより悪そうに見えた。俺が隣にいても、少し身体が離れると、すぐに不安げな様子で辺りを探り始める。それが俺の持つ数珠のせいなのか、それとも穂高の言うように季節の変わり目の曖昧な風と相性が悪いのか。
心配ではあるけれど、むしろ今だけは都合がいいように思えてしまう。俺の目的はこのバケモノをどうにかすることなのだから。
「櫻?」
「ここにいるよ」
水筒に入った温かい緑茶を注いで持たせてやる。ホッとしたような顔をして穂高がお茶をすすった。
「日向は温かいね」
「日向ぼっこするだけでも気持ちいいや」
「普段はしない?」
「まぁそんな機会ないよね。心に余裕がないのかも」
人間には必須よね、日光浴。でもお前にはいらねぇだろ。
当たり前のように穂高の隣に居座る夜盗は気持ちよさげに陽の光を浴びていた。どうしよう、こいつがもし植物みたいに光合成をしていたら。弱るどころかパワーアップするのか? 気持ち悪いな。
いや、でも体の色はどちらかと言えば赤色に近いし、それなら葉緑体は含まれていないはずだ。
ほのぼのした顔でお茶をすする穂高を横目に俺は夜盗の背後に回った。
「……っ!」
そうだ、こいつには目玉が山ほどあるのだ。街灯の下にできる影みたいに不確かな人型を象っていた奴の背中に、それまでなかった目玉がぎょろっと急に瞬きをした。
「桜は咲いてるんだ?」
太陽のほうをぼんやりと見上げていた穂高がふいに問いかける。ぎょっとして息を飲んだ。
「いっ、あーえっと、右手側」
「櫻、いつの間にそこにいたの? さっきまで反対側にいたよね?」
「ん、こっちのほうが桜がよく見えんの」
「そっちに夜盗もいるよね」
「っ、あ、うん」
夜盗は夜盗で穂高にしがみつくように形を変えやがった。あぁもう、二人とも黙ってじっとしてろよ。
右腕に巻き付いた夜盗を見下ろして、穂高は嬉しそうに笑った。ポケットの中の数珠を弄りそうになって、じゃらじゃらと音を鳴らしてしまえば不審がられることを思い出す。今さら思いついたように、俺は数珠を腕にはめることにした。
「なぁんだ、二人とも仲悪そうだったから。よかったよ。もっと仲良くなってくれたら嬉しいけど」
「う、うん。頑張る」
「……」
胡散臭そうな目で見るな。幼児みたいに穂高の腕に抱きつくんじゃない。気色悪いぞ。
「ほ、穂高……あの、俺、夜盗……に触ってみたい」
「ほんと!?」
これでもか、というくらい穂高はきらきらとした目を向けた。気配を探るのは難しいらしいが、流石に声で位置は分かるみたいだ。
「触って触って! あったかくて気持ちいいんだよ!」
「……」
抱えた猫を渡すかのように、穂高が腕に巻き付いた夜盗は引き剥がした。嫌そうな目で見るな。仲良くしようぜ。俺もお前も穂高のことは好きだろ?
とはいえ、俺も俺で物凄いしかめっ面をしていたと思う。とてつもなく臭いものを見つけたみたいに顔を歪めてしまう。我慢だ、我慢。
「我慢……」
小声でつぶやいてしまい、慌てて穂高の様子を見る。気づいた様子はないようで、うきうきとした表情で笑っていた。
安心して視線を穂高から夜盗に戻すと、ジーンズの後ポケットの肥後守に手をやった。俺が持っているのは父親から渡された数珠だけなんだ。それをいったいどう使えばいいのか分からない。だったらもう物理に頼るしか方法がない。
カッターの刃は赤く錆びてしまった。俺の中指も赤黒いままだ。まさか包丁を持ち出すわけにもいかないから、今回は俺の幼少からの宝物の肥後守に頼ることにした。刃は昨日のうちにしっかりと研いできた。
肥後守を隠しながら、俺を睨みつけてくる夜盗に手を差し出す。
「……お、お手をどうぞ?」
いや、踊る気か。
べちゃべちゃべちゃ、と汚い音を立てながら夜盗が腕と思しきものを持ち上げる。可哀想に、その過程で粘液状の身体の一部がぼたぼたとシートに垂れていく。
「いい子、いい子。さ、握手しよう」
俺の声も妙に上ずり震えていた。脳内でイメージを繰り返す。手を握ってまずは穂高から引き剥がす。そして反対の手に持った肥後守で刺せ。いいな?
心臓が激しく胸を打っている。夜盗に向けた手の先が赤い。こいつに触れたらこうなるのか? 怖い。
「夜盗はきっと僕以外の人間に慣れてないんだよね」
明るく浮足立った声音で穂高が言う。春の風が吹き流れた。伸びてきた俺の前髪が浮き上がる。穂高は風に目を細め、少し不安そうに俺たちのいる方へ視線を向けた。
「そっか。実は俺もバケモ……夜盗みたいな友達には慣れてないんだよ」
俺が答えたことで居場所をはっきりとさせた穂高がにこりと笑う。
何か言いたげに体中の口をうごめかせていた夜盗が、俺を睨みながら手を伸ばす。皮膚が溶けたみたいな気持ち悪い粘液が俺の手を飲み込むように包み込んだ。
紳士的な握手だ。首相同士の握手のように形式的にぶんぶん振ると、俺たちは二人して許可をもらうように穂高を見た。
「じゃあいい友達になれるかもね!」
だってよ、夜盗くん。
「俺もそう思うよ」
力いっぱい夜盗を引っ張り穂高から引き剥がす。ずるっと嫌な音を立てて夜盗が庭先の芝生にべちゃりと潰れた。
スライムのように地面に広がった夜盗をすぐさま踏みつぶしていれば、靴の上から噛みつかれた。
「いぃっ……!」
「わっ、びっくりした。櫻、どうしたの?」
「う、うぅん、蜂にちょっかい出されてびっくりしただけ」
「蜂? そっか、春だもんね。刺されたの?」
こんにゃろ、クソが。スニーカーを噛まれたまま、俺は癇癪を起した子どものように芝生を蹴りつけた。気分はゾンビ映画でゾンビとでも戦っている気分だ。
「櫻?」
「さ、さされてない! 大丈夫!」
頼むから今はぼぉっとしててくれ。がしがしと地団太を踏むように地面を蹴っていれば、バキバキと音を鳴らしながら夜盗の口の一つから歯が折れる音が聞こえた。
よし、いいぞ。
べちゃりと潰れていた夜盗は怒りでか震えていた。マナーモードか? お前、今日は一言も喋らないもんね。
夜盗がわなわなと身体を震わせながらぬるりと起き上がる。完全に地球外生命体の動きだった。なんとなく既視感がある。たぶんペンギンだ。そうか、あいつらも地球外生命体だったのか。
そんな無駄なことなんて考えている暇はない。俺はすぐさま奴の一番大きい目ん玉を狙って肥後守を突き刺した。ぐにゃん、と夜盗の身体が歪み、刃物を持った右手がそのまま飲み込まれていく。
「えっ、う、わ」
変幻自在? 自由自在? 人間にも、バケモノにも、蛸にもペンギンにもなんにでもなれるってか? 刺したはずの目玉は消失し、俺はそのままの勢いで押し倒した夜盗の上に馬乗りになっていた。
夜盗に触れる箇所が火傷でもしたように熱い。股間から内腿にかけてべったりと夜盗に触れているものだから、なんだか失禁でもしたような嫌な感覚だった。
でもこの体勢は都合がいい。俺はすぐさま肥後守を引き抜くと、そのまま振りかぶって夜盗に突き刺した。もうどこを刺しても変わらない。目玉でも口でも、どうせお前は死なないんだろ。
なら、この形を維持できないくらいにしてやる。どろどろの液体なんて全部流しきれ。溶けろ、消えろ。ぼろぼろになって豆粒サイズにでもなってくれれば、俺が食ってやるよ。
「っは、」
ぶしゅ、だとかぐちゃ、だとかボキだとか。なんだかスプラッタ映画のような音が春の庭に響いている。勝手に急所だと思っていた目玉より、俺は集中的に口を狙い始めた。こいつが喋るから。こいつが喋るから余計に穂高が懐くんだ。
お前みたいなバケモンがしゃしゃり出てんじゃねぇよ。ガチン、と犬歯によく研いだ歯が突き刺さる。
「うっ、んん……! 抜けねぇ……っ」
思い切り腕を上げてやっとのことで刃を引き抜く。
「ハァ……ハァ……」
見下ろした夜盗の口は血なのかよくわからない粘液まみれで、俺が何度も何度も突き刺すものだからその液体が泡立っていた。血と肉が混ざり合い泡立ったようなその中に折れた白い歯が顔を見せている。まだ山ほどある夜盗の口が動き、何かを喋ろうと歯をかみ合わせる音が聞こえてくる。
「う……オェ」
あまりにもグロテスクな景色にせりあがってきたものを我慢できなかった。ボチャボチャ、と汚い音を立てて俺の吐瀉物が夜盗の口に呑み込まれていく。
止まるな、刺せ、殺せ。跡形もなくこいつを消せ。
「は、はっ……」
振り上げた刃をもう一度夜盗に突き刺す。腕が重かった。
「……鳥が鳴いてる」
それこそ囀りのような澄んだ声が背後からかかった。生暖かい風に全身が汗ばんでいる。日差しが熱かった。緑の芝に夜盗の赤黒い体液が飛び散っている。脳天に降り注ぐ日光で頭が焼けそうだった。
「はぁ……っ」
ぐちゃぐちゃになった身体に肥後守が刺さったままになっている。夜盗だったもの。跡形もないが未だに生きているそれを見下ろしながら、意識は穂高に向いていた。
「…………うぐいす……」
「ん?」
ちら、と視線を背後に向ければ穂高が空を見上げていた。真っ青だな。雲一つない。桜が白い。花びらがちらちらと散っていく。まるで落ちてゆく花びらを追うかのようなゆるやかな動作で穂高がこちらを向いた。
「う……うぅっ、んぐ……」
またもこみ上げてきた嘔吐物を今度は飲み込む。せっかく押しとどめたのに、なぜかそのせいで息が乱れて元に戻らない。吐き気を堪えたせいで生理的な涙がぽたぽたと夜盗の上に降っていった。
「なんていうんだっけ。春になると鳴きはじめる」
「うぐいす」
俺じゃない。なのに俺の声だった。
俺は咄嗟に声の聞こえた箇所を拳で殴った。バキ、と歯の折れる音。俺の手も折れてそう。
「そうだ、うぐいす!」
パッと笑った穂高がまた快晴の空を見上げそのまま仰向けに寝転がる。俺もばたりと倒れ込んだ。
スライムのように地面に潰れた夜盗がうごめていている。体積はずいぶん小さくなったように思う。ナメクジのように溶けているのだろうか。そのままもっと、ぎゅっと、小さくなってくれ。瓶に詰めて捨てられるくらい。夕食にこっそり混ぜてもバレないくらい。
倒れ込んだ俺の耳元で何かがカタカタと音を立てていた。鬱陶しく思いながら目をやると、どうやら俺の蛮行ですっ飛んでいった夜盗の口の一つだった。蚊を潰すように、俺は無感情にそいつを潰す。数珠をつけたほうの手だった。
「見えなくても分かるよ」
「っ」
おっとりとした穂高の言葉に一瞬で身体が固まった。ただでさえ狂ったような心拍を刻んでいた心臓が一層早打ちし始める。脂汗でびっしょりになったまま身動きがとれず、俺は首だけを動かして穂高を見た。
「空が青くて、桜がピンク。綺麗だね」
「…………」
俺は大の字になって空を見上げると、大きく息を吸い吐き出した。頭上を旋回するのは烏だろうか。頼むから糞を落とすなよ。
目を瞑り何度が深呼吸を繰り返すと、俺はごろんと横向きに寝返りを打った。
全身に力が入らない。体中が熱い。内側から発光するかのように白い穂高の肌が眩しい。
気持ちよさそうに目を閉じた幼馴染をぼんやりと見ながら、ぼそりと俺も呟いた。
「……うん、綺麗だね」
くす、と穂高が笑った。
「って、夜盗も言ってる」
そっか、と穂高はほほ笑んだ。
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