2.Boy loses to ×××
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「やっぱりさ、おかしいよね」
「…………」
櫻の話を出すと、夜盗は黙り込む。まあ元から無口な友達ではあったから返事が返ってきても僕は未だに驚いてしまうのだけど。
返事があろうとなかろうと、そこにいて僕の話を聞いてくれているのは分かるから、僕は構わず話し続けた。
「中学校に上がってから、ちょっとずつおかしいなーとは思ってたんだよ」
「……知っテル」
「あ、そっか。この話は昔からしてたもんね。やっぱり夜盗、ちゃんと話聞いてくれてたんだ!」
櫻が中学に上がったのはだいぶ前になる。その頃はまだ夜盗は喋れなかったから、僕がただ一方的に夜盗に話し散らかしていただけだ。
「僕たちの年頃ってさ、だんだん彼女ができたり異性に興味を持ったりし始めるんだ」
僕の周りにはそもそも歳の近い女の子がいないから、まず女の子がどんなものなのかよく分かってない。使用人はみんな女性の方だけど、若いわけではないし、どちらかと言えば母という感じがする。
体が覚えている母の感覚は柔らかく、いい匂いで、温かい。それが女の体に当てはまるものなのだろうか。ちょっと違う気がする。
それに自分がそんな女性を求めているか、と言われても、そういうわけでもないかな、と思ってしまう。僕が求めているものはもっと具体的なものだった。
「櫻はずっと僕と一緒にいてくれるんだと思ってた」
「……」
「ほら、僕って友達なんて君と櫻くらいしかいないじゃない? 君たちに忘れられると僕って死んじゃうんじゃないかなって思うんだよね」
「……」
「人間は二回死ぬっていう、アレだよ。ああ、でもちょっと順序が違うか。肉体が死ぬ前に死ぬなんて」
流石に夜盗はピンと来ないようだった。僕はもう少しこの友人に情操教育をするべきだっただろうか。いや、十分夜盗は僕の感情を汲んでくれる子だ。
「櫻、最近よそよそしい。前ほどうちにも来てくれなくなったし」
そういえば少し前に春休みになったと言っていたから、ひょっとしたら僕の知らないうちに休みは終わって学校が始まっていたのかもしれない。
だったとしても、今までとは何かが違う。
「口数が減った。最近、僕と距離を取る。こんなこと今までになかった」
櫻は必ず僕が手を伸ばせば届く範囲にいてくれる。それが僕に対する当たり前の気遣いになっていた。他人の親切を当たり前のものとして受け入れるなんて、僕も相当思いあがったものだ。
とはいえ今日のように僕を外に連れ出す時など、櫻は徹底していたのだ。流石に遠慮をするくらい、僕が下手に何かに触れて怪我をすることがないよう過度な注意を払う。
「別に構えって言うんじゃないけどさ。今日は少し、怖かったよ」
もともと果ての見えない外が僕は少し苦手なのだ。壁に手を触れて元の場所に戻ってこれるわけでもない。何があるのか分からない。そんな中で櫻がいるから、僕は安心していられたのに。
「まあ、そうだよね。誰にでも手を離す時は来るよ。幼稚園児じゃあるまいし」
いかにハンデがあろうと、一人の人間として自立していないと生きていけない。それは分かっていたけど、やっぱり僕は手に入れたい。
秘密の共有は人との距離を縮める簡単な方法だ。もしくは誰かを縛るための道具? 夜盗の存在を明かしたことに、そこまでの拘束力はなかったのかもしれない。
それか、櫻にとって僕にそこまでの価値がない。
自分で思ってずん、と心のどこかが沈みこんだ。
「あー……もしかして好きな子、出来たのかな。きっとほら、学校の同級生でさ、一緒に帰ったり放課後遊んだり……僕なんかよりそっちに忙しいんだ」
「……」
やっぱり夜盗は何も言ってくれない。
いるであろう場所に手を伸ばして、手なのかもわからないものを握る。それは大抵ドロドロとした形を成さないものだったが、今日の夜盗は僕が握ったのに合わせて手を象ってくれた。まるで人間と手を繋いでいるみたいに感じる。
「ダイジョウブ」
「あ、そう? 君がそう言うならそんな気もする」
ぼたぼたと重い液体がこぼれてきた。これも最近の夜盗の特徴だ。完全に熟しきった果物がぼちゃりと落ちるような、そんな頼りない感覚で体が剥離していく。
「見て、きタ」
カタカタと歯を震わせながら夜盗が言う。ずいぶんと昨日よりも流暢に喋る。声の聞こえた方を見上げてみれば、ふわりと植物のような匂いが香った。日向と木の匂い。櫻とよく似た桐のような匂いだ。
「見てきた?」
「うん」
「そうなのかぁ……じゃあ好きな子ナシ、恋人ナシ?」
本当かなぁ。櫻は優しい。僕は櫻のそれが僕にだけ向いているものだとは思わない。そこが櫻のいいところだ。でも、それじゃあ僕は櫻の一番になれない。
一番になれなかったら、櫻はここに来てくれなくなる。どんどん会わなくてもいい存在になってしまう。そうしてしばらくたってから「ひさしぶり」なんて言ってやってくるのかもしれないし、来ないのかもしれない。
本当に大丈夫なんだろうか。
僕の疑うような声音に、夜盗がぎゅっと手を握った。櫻の手を思わせる骨っぽさを感じる手だった。
固いな、なんて思っていればふいに、僕の脳内に鮮やかな景色が流れ込んできた。それはまさしく流れ込むといった感じで、無理矢理脳に視覚をつなげられたかのような奇妙な感覚だった。
不思議に思うのは僕はその景色を見たことがある、と思えたことだ。彩りだなんて僕には見ることができないはずなのに、なぜかそれに感動するでもなく心が動かされるわけでもなく、ただ見慣れたもののようにはっきりと浮かび上がった。
どこだかわからない田舎の畦道。田んぼは雪解け水で薄く水が張っていた。辺りに緑はあまりない。冬の少し寂しい風景だった。木枯らしが落ち葉を吹き上げ、田んぼから白鷺が飛び去っていく。
チリン、と自転車のベルが鳴る音がする。小学生の下校時間なのか、子どもの騒がしい声が聞こえた。砂利と落ち葉を踏みしめる音が背後から聞こえ、後を振り返って息を飲む。
櫻だ。バクン、と心臓が音を立てる。視界に黒の学生服に身を包んだ少年が映っていた。風邪でも引いたのか、真っ白なマスクに顔の半分が隠されている。
たった一人で、櫻は歩いていた。肩からずり下がったスポーツバックを鬱陶しそうにかけ直す。小学生の一団に目を向けた櫻は眉を顰めて一瞬足を止めた。
「あ! 兄ちゃん!」
小学生の一人がパッと笑って声を上げると駆け寄ってくる。楽しそうな小学生と少し鬱陶しそうな櫻。それでも歩幅を合わせて並んで歩いているあたりやっぱり優しい。息をひそめてその様子を見ていればどんどん二人の背中は遠ざかっていった。
いつかの光景、現実だろうか。それともただの虚像?
「…………」
冬の乾燥した空気が肌に当たっているような感覚を未だにはっきりと感じる。指先を包む夜盗の熱い手もしっかりと分かる。
頭が少しぼんやりとした。そういえば夜盗には僕たちと違って目がたくさんあるんだっけ。目の見えない僕と全方位怖いものなしの夜盗、なんだか僕らバランスがいいね。
冬のいつかも、櫻はうちに来なくなった。あとから聞けばインフルエンザになったとか。僕はその時、一週間も櫻が顔を見せないものだから、夜盗に不安を片っ端からぶちまけたのだ。
そう、こんな寒い時期だった。きっと田んぼには雪が積もって、それが僅かに溶け始めた頃。
不安から愚痴へ、文句から自己嫌悪へ、涙が出るほど情緒の安定しなかった僕を夜盗は抱きしめてくれた。そしてその日、櫻は7日ぶりに顔を出したのだ。
「……君は見ていてくれたんだね」
答えはなかったが、手を握る力は強くなった。まぶたの裏には今も冬の田んぼが見えている。景色の中に流れるような冷たい風を感じたかと思えば、熱い夜盗の身体が僕の頬を撫でた。
手は人間のような形を作れているのに、頬に当たる夜盗はどろどろのままだ。そのどろどろとしたものが頬を包み唇に触れる。初めて会った頃からじゃ考えられないくらい、花のようないい匂いがした。
親愛に満ちたその仕草を受け入れるように僕は唇を開いた。一層、顔を包む夜盗の熱を感じ、皮膚に張り付く粘着質な液体が僕を引き寄せる。薄く開いた唇から、這い寄るように夜盗の一部が入ってきた。僕は夜盗に額を当てて、擦り付けるように頭を振った。
「お前のこと、なんだか他人とは思えないや」
ずっと一緒にいたからかな。一緒に育ってきたようなもの。僕にとってはもはや身体の一部のよう。
咥内をゆっくりと巡る夜盗に味はしない。でもどこか懐かしい匂いがした。やっぱり櫻の匂いに似てる。勝手に動き回る夜盗の一部を牽制するように舌を動かした。
「……このままいっそ、一つになれたらいいのに。僕と夜盗。夜盗と櫻。櫻と僕。三人、ぐちゃぐちゃになって一緒くたになって……そしたらもうこんな悩みなんてなくなるのに」
閉じていたまぶたを開けても、そこにはさっきまで見えていたような鮮やかな世界はもう見えなかった。見えなくても別にいい。僕の代わりになんでも見える友達がいるから。
再び目を閉じれば、今度は瞼の裏で櫻のいなくなった田んぼの畦道に小学生の集団が映り込んだ。走りながら夜盗の脇を駆けて行く。全員がこちらを見ると目を丸くして叫んだ。
「もくもくさんだ!」
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