2.Boy loses to ×××
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異変はもとから現れていたのかもしれない。正直、俺にはもうわからない。腕にはめていた数珠はバラバラにちぎれ、辛うじて見つけたものだけを持ち帰った。
ひどい疲労感だった。大仕事をした。疲れた。誰か褒めてよ。俺、やったよ。
「いや、嘘だな」
死ぬわけがない。ナメクジみたいにはなっていたけど。まさしくゾンビ映画の死闘だった。あれは流石に穂高にバレたんじゃないかな。明日からどんな顔をして行けばいいんだ。
「……いや、見えないか」
俺がどんな顔をしてようと。
「はぁ……」
こんな時だけ都合がいいだなんて思ってしまう。最低な人間だ。
もし、穂高に俺が見えていたら、俺は穂高を直視できるだろうか。恥ずかしくて、怖くてきっとできない。俺はこんなことをする人間だぞ? 穂高の友達を八つ裂きにできてしまう。
震えた手から功労者の肥後守が落ちていった。手が痙攣して床に落ちたそれをもう取れない。あーあ、刃が真っ赤に染まっちゃってる。
「……」
ふと違和感に気が付いた。
俺の手は未だに中指の第一関節までだけが赤く染まっている。あれだけ夜盗と散々殺りあったというのに、夜盗に触れたであろう全身に変化はない。
なんでだろう。
なんて考えるほどの頭がもう足りなかった。とにかく身体が疲れ果てていた。目を開けることすら億劫だ。どうやって家までたどり着いたのかも、どうやって自分の部屋まで行ったのかも思い出せない。
視界は霞んでいる。疲れか、眠気か、うつらうつらと頭が揺れる。どさり、と柔らかい布団に倒れ込むと一瞬で意識がなくなり、俺は泥のように眠り込んだ。
次に目が覚めた時、室内はすでに暗く、階下からは母親が夕飯の支度をしている音が聞こえてきていた。包丁とまな板のぶつかる音、油の跳ねる音、慌ただしい足音。換気扇にかき回された熱気が締め忘れていた窓から入り込んできた。いい匂いがする。
襖を隔てた隣の部屋の弟は今はいないようだった。起き上がると相変わらず身体が重い。熱を出した時のように、身体が傾き布団に倒れていく。
意識はぼんやりとしていた。時間感覚も平衡感覚もすっかりどこかへ行ってしまっている。暗闇で目を開け、何を考えるでもなくぼぉっとした。
おもむろに立ちあがると部屋の電気をつけてみた。暗闇に慣れていた目には蛍光灯の灯は眩しすぎて反射的に目を瞑っていた。しょぼしょぼと目元を擦り、明るさに慣れるまで布団の上に座り込む。
手のひらが熱かった。寝起きだからだろうか。目を擦る自分の手が異常に熱い。しばらくの間顔を手で覆っていたが、次第に明るさに慣れてきたこともあって手を下ろした。
鈍い動きでだらんと垂れた両手を目で追って、視線の先に釘付けになった。ゆっくりと目を見開く。心臓が大きく飛び跳ねる音が耳元で聞こえた気がした。
「…………なに、これ」
全身が赤黒く染まり、まるでカッターで一本切り傷を入れたような線がいくつも見える。啞然として俺は自分の腕を見つめた。
日中自分のやったことなど遥か昔に思えてしまう。あれだけ鮮明だった飛び散る夜盗の体液も、今となってはスクリーンに映った映画を見ているように実感がない。全身の疲れだけが今日の出来事を覚えている。
ちら、と服の裾を摘まんで腹を覗いてみれば真っ赤に染まっていた。カッターの刃と同じ、肥後守と同じ。全部錆のように変色した。
現実を認められないのか、俺はしばらくぼぉっと変わり果てた自分の姿を見下ろしていた。何も考えられない。ずいぶん寝たと思ったけれど、存外頭はすっきりしなかった。それとも寝起きで頭が働いていないだけか。
どっちだっていい。こんな現実分かってたまるか。
なんだかむずむずする。
皮膚の内側を何かが這っているような、全身にそのむずがゆさが駆け抜けて行く。気持ち悪い。ぞっとする。自分の身体なのに自分のものではないような厭な感覚。
そろそろむずがゆさに限界が来そうになった時、ふいに体中についた傷が一斉に傷んだ。
思わず身体を抱きしめ歯を食いしばる。強く噛んだ口から歯のこすれる音と共にうめき声が上がった。
視界に入った腕は血管が浮き上がり、無数につけられた切り傷から血が吹き出しそうになっていた。じわりじわりと切り傷に血が滲んでいく。
「え……」
ぷつぷつ、と赤い染みが浮き上がりぷっくりとした球体を象る。やがてその形を維持できなくなった血がたらりと皮膚を流れていく。
めりめり、と皮膚の割ける音がした。ゆっくりと、ぱっくりと、切り傷にそって皮膚が開く。
一斉に皮膚が割け始め、見えてくるのはピンク色にぬらぬらと光った皮下組織だ。そのさらに下から薄茶色の澄んだ球体がせりあがってきて、ぽんと音でも立てそうに勢いよく表面に躍り出ると当たり前のように裂けた皮膚の中心に居座った。あちこちから目玉がぽんぽん浮かび上がってくる。
「…………」
ぎょろぎょろと綺麗な瞳があちこちを見回していた。体中、どこもかしこも、目玉が一杯。信じられないものを見て目を見開く俺に、その目玉はまるで軽々しい挨拶をするようにウインクをした。
腕を持ち上げてまじまじと自分の腕を凝視する。無数についた目玉が、俺の意思に関係なくばらばらと瞬きを繰り返している。
しばらくの間をそんな動きを無言で見ていた俺はおもむろに下を向くと、ばちゃん、と胃の中にあった全てのものを吐き出した。
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