3.Boy gets boy
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俺がいた。
完璧なコピー。机を挟んで穂高の前に座ってる。いつも俺が座る場所。
穂高は当たり前のように偽物と会話をしていた。気づかないのか? それは俺じゃない。
出てくる言葉も俺そのもの。それは異様な気持ち悪さを持っていた。
カタン、と穂高が湯のみを机に戻す。夕暮れの日差し。閉め切られた窓。温められた空気。すべてが俺の身に馴染む日常だった。
以前、顔を上げた先には天井に届くほどの巨体が穂高の背後の影に潜んでいて、いくつもの目玉で俺を試すように見ていた。赤黒い体表がぬらぬらと光って、ヘドロのような液体を滴らせる。そんなバケモノを背後に、穂高は変わらず目を細めて笑っていた。
なんなんだ、コレは。と混乱と恐怖でそんなバケモノを見上げてから、まだひと月も経っていない。
なんなんだ、これは。
部屋に差し込む光が奥のクローゼットに影を落としていた。あの時と一切変わらない。昨日とも一昨日とも変わらない、見慣れた光景。いつもと同じ穂高の部屋。いつものと変わらない華やいだ穂高の笑顔。
だけど、穂高の背後にバケモノはいない。加えて俺の居場所もない。
「あとはチューリップも好きだよ」
穂高が浮ついた調子で言った。
あぁ、確かに好きだった。穂高には見分けがつかないことを忘れて、いろんな色を栽培しまくった。うっかりしていたせいで、次の年からは慌てて八重咲のチューリップにしてみたり品種を増やした。
お前は知らないだろう。俺の面をしてそんなところに座っても、俺になれると思うなよ。
案の定、困ったらしい俺のようなナニカがこちらを向く。皮膚はまだ人間と呼ぶには違和感の残る質感をしているが、その姿形に関しては谷津田櫻そのものだった。目玉が妙に透き通り、異様に輝いているところは俺とは違う。見慣れた夜盗の目と同じだ。
「……櫻」
いつもは俺を見るが否や睨みつけてくるのがこいつなのに、今日はやけに調子がいいようだった。俺の顔をして笑いかけられるが、自分の顔をしたバケモノにそんなことをされても気味が悪いだけだった。
「櫻」
変わり果てた俺とは大違いだ。何の意図で俺の真似をする? 俺になりたいのか? どうして。身体が欲しい? よっぽど俺のことが気に入ったのか。
「櫻ってば!」
「っ!」
穂高が机に身を乗り出して、怒ったように声を荒げていた。思わず返事をしそうになり、隣を確認する。どうして本物の櫻がこんな遠慮をしているのだろう。
俺を偽って鎮座するバケモノはついさっきまでの饒舌が嘘のように黙り込んでいた。手を出しかけて途中で引っ込めるなんて一番悪質なやり方だ。
もう一度穂高を見ると、ぎゅと目を絞って目の前を睨んでいたが、ふいに心配そうな顔つきになって視線を横にずらした。
揺れた視線が通り過ぎたと思ったら俺に留まる。目が合った。俺のふりをした夜盗じゃない。その隣、俺のいる場所を正確に見据えている。
「……」
「……」
夜盗の気配がなぜだかなくなっていた。部屋の空気と一体になったのかと思うくらい、自然と溶け込んでいる。最初に見た時とはえらい違いだ。異質としか言いようがない独特な空気を感じない。それどころか、むしろ異質なものは俺かもしれなかった。
「……なに?」
ざらついた汚い声が出た。人と会話するのも数年ぶり、とでも言うような声だ。ついさっきまでぺらぺらと喋っていた俺の声と同じだとは思えない。
「今日、全然話聞いてないでしょ」
穂高は眉を少しだけ顰めると小さな声で責めるように言った。ショックと怒りの混じった声に胸がきゅっと痛む。
お前がさっきまで話してたの、俺じゃないって。
なんて言っても言い訳にしか聞こえないよな。
「そう思う?」
さっきよりはマシな声が出た。隣で夜盗は形を無くして小さく萎んでいる。穂高の友達としてのプライドでも傷付いたのかもしれない。そんな姿に勝ち誇ったように笑ったが、俺の今の状態のほうが遥かに絶望的だった。
「……いや」
穂高は考え込むように複雑な表情をしながら浮いていた腰を下ろした。
「いつもの櫻だ」
「いつもの櫻だよ」
そうだといいな。口に出してから自虐的に笑えてしまう。
これが? いつもの俺だと言えるか?
変色した身体。自分の意思に反して皮膚に浮き上がっては開閉する瞳と口。正真正銘のバケモノになりかけてるじゃないか。
「今日は夜盗はいないの?」
なんてことないようにそう聞いた。今の夜盗が穂高にどう見えてるのかが気になった。今となっては俺のほうが夜盗に近い。
穂高は顔を上げて宙を見つめると僅かに眉を顰めて黙り込んだ。
「…………近くにいる、と思う」
「分からない?」
「……気配が、妙なんだ。最近の夜盗は櫻とよく似た気配をしているから。今日もなんだか櫻が二人いるみたいに感じる」
「あはっ」
正解。俺が二人いる。
でも二人、なんだな。俺だけを認めてよ。夜盗は偽物だ。
「なんか面白いこと言った?」
「ドッペルゲンガーって見ちゃうと死ぬんだって」
「櫻は櫻だし、夜盗は夜盗でしょ?」
「そうだね。穂高は俺のこと本当に櫻だと思ってる?」
「……櫻?」
眉を顰めて窺うように俺を見る。不安にさせてしまったみたいだった。意地の悪いことなんて言うもんじゃない。俺は自分に焦ってるだけだ。こんなことになったのは穂高のせいでもないのに。
「ごめん。夜盗くんに嫉妬しちゃった」
「なんで?」
きょとんとした顔で穂高は首を傾げた。嫉妬だなんだ、そんな汚い感情とは縁のない幼馴染だ。そんな穂高に苦笑すれば、いっそう穂高は不安げな表情を浮かべるだけだった。
「穂高と仲がいいから。いつも一緒にいるんでしょ」
「……櫻は僕と一緒にいたい?」
「うん」
「……そっか……そっかぁ」
じわじわと穂高の顔に笑みが広がっていく。俺はよっぽどいいことを言ったみたいだ。
形を無くして隣でうごめいていた夜盗が俺の膝に這い上がってきたから、湯気を上げているお茶を垂らした。じゅっと音を立てて夜盗が逃げていく。
「櫻、ちょっとこっちに来て」
「えっ……」
反射的に腕をさすっていた。皮膚に浮かび上がるこの異常な器官は、俺の意思で動かすことができない。勝手に口をあけるし、勝手に瞬きをぱたぱたと繰り返す。何か悟られやしないだろうか。
固まった俺に、穂高の笑顔が消えていく。歯を見せて笑っていた口元が徐々に不安げに下がるのを見て、慌てて立ちあがった。
「ごめん、足が……足が、痺れて」
言い訳をすると、穂高は恥ずかしそうに笑みを見せた。ほっとして隣に座ったが、微妙な間隔は空いたままだ。
「櫻、遠くない?」
「え、そうかな。そうでもないと思うけど」
俺の座る方に顔を向けた穂高がぼんやりと空を見る。すっと持ち上げられた手が俺の頬に触れそうになって、思わず顔を遠ざけた。伸びてきた指を手のひらで受け止めて握ってやる。
「急に狙いすまして目つぶしするなって」
「目つぶし? あはっ、ごめん」
安心した笑顔を見せると、穂高は子どものように俺の指を弄び始めた。額に脂汗が浮いていく。背筋を冷や汗が流れた。
こめかみあたりの皮膚の下で何かがうごめくのを感じた。額を汗が伝っていくのがこそばゆい。額から流れた汗は、目に入る直前にべろり、と生ぬるく湿ったナニカに舐め取られた。
全身が固まった。息をつめて目の前の穂高を見つめる。きっと手のひらはひどい手汗をかいているはずだ。
こめかみからカタカタ、と音がする。歯のぶつかる音だ。今の俺の体は、こんなところからも口が出現するらしい。
唐突に現れた口は、ざらついた舌で犬のように俺の額や頬を舐めていた。俺の体なのに俺の意思で動かないものがあることの奇妙さと気持ち悪さ。
ふいに穂高が顔を上げた。
「爪伸びてない?」
「あ、う……そう、かも」
一本一本の指を丹念になぞり伸びた指先を擦られる。顔中を動き回る舌は俺の目元を舐めていた。気持ち悪さで体が小さく震えている。気を抜くと穂高の手を払いのけそうになってしまう。
「切ってあげようか?」
悪戯気に笑って言った穂高に、いつもの俺ならなんて返しただろう。気が散って変なことを口走りそうだ。
「こ、こわいって」
「ひどいなぁ。大丈夫だよ! ちょっと深爪になるかもだけど」
「それが怖いんじゃん……」
ひゅ、と気道を空気が通る。いつの間にか頬を舐めていた舌が長く伸び、俺の首に絡みついている。恐ろしさに無意識のうち、穂高の手を強く握っていた。
「え、そんな怖いの?」
「いやおれ……ほら、深爪で、し、死ぬほど出血したことあるし……っ」
ねえよ。そんな阿保やらかすな。
首にまきつく舌が耳元の静脈をぐ、ぐ、と押してくる。苦しい。苦しい……
「っ、ほ……ほた」
喉のつまった俺の苦し気な声に穂高が顔を傾げた。
「どうした、櫻」
穂高の柔らかい手を縋るように強く握る。ふにゃりと溶けてしまいそうだ。だけど俺が握れば握るほど、穂高も答えるようにぎゅっと強く握りしめてくれる。そのことに密かに優越感を覚えていた時、ふいに俺の手のひらからぱくりと“口”が現れた。
「っ!」
やばい。
慌てて穂高から手を引き抜こうとしたけどもう遅い。人間の歯には見えない歪な歯が並んだ口から赤い舌が光を照
り返しながら覗き、それが穂高の指を味見するかのように舐めていった。
びくりと穂高の肩が跳ねる。目を見開いて、驚愕した表情を浮かべていた。
「え……櫻? 櫻、だよね」
「……」
「夜盗、なの?」
「……っ、」
どっちだと思う。
俺にももう、俺が何なのか分からないよ。
部屋を見回しても、夜盗らしき化け物は見当たらなかった。
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