1.Boy meets ×××
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・・・
「櫻?」
唐突に黙ってしまった幼馴染が心配になって首を傾げる。
微かに布の擦れる音がして、彼が動くことなく目の前に座っていることを辛うじて認識した。だけど沈黙はどこか、つんとした鋭さを持っている。
「どうかしたの?」
「いや……」
いつもは明るい櫻が妙に静かだ。
友達の話をすると誰もが同じ反応をする。どうやらあの友達は僕にしか見えていないようだった。
幼い頃こそ、寝込んだ時に見た夢だと片付けられていたけれど、いくつになっても僕が同じような話をするものだから本格的にどこかが悪いと思われてしまったらしい。僕もすでに何度か医者に見られてしまっている。
だからもう大人の前で友達の話はしない。
確かに僕の友達は櫻や父とは違う。櫻の手はすべすべとしていて最近は少し骨ばってきた。汗ばんでいる時もあれば、温かかったり凍えるほどに冷えきってしまっている時もある。
だけど、僕の友達はいつだって熱くてぺとぺととした不思議な手触りなのだ。櫻のように手を握れば握り返してくれるわけでもない。彼には指という概念がないようだ。そもそも僕が握っているものが手なのかも分からない。
それに友達は僕が両手を回しても手が届かないくらい大きな体をしている。僕はこんなに大きな人には会ったことがない。それでも彼が存在していることは確かなのだ。
「あ、櫻も信じてないんでしょ。お父さんも誰も信じないからさ、誰にも言えないんだよね。本当のことなのに」
「……」
櫻はさっきからずっと黙っている。滅多に感じない気まずさを感じてしまって、僕は感覚を頼りに机の上の湯飲みに手を伸ばした。飲みやすくなった温度に冷めた緑茶を啜って湯飲みを戻す。コン、と思いの外大きな音が鳴ってしまった。
「……茶柱、立ってる?」
あんまりにも黙り込んで話さない櫻に怖くなって、つい突拍子もないことを聞いてしまった。
「茶柱は揺らせば立つもんじゃないんだよ」
溜息混じりに言った櫻が僕のすぐ側に来る気配を感じた。律儀の僕の湯飲みを覗いてくれているらしい。鼻先に櫻の匂いがふわりと香った。
「立ってない」
「そっか」
「……穂高」
「なに?」
櫻の声はどうしてか硬く緊張していた。息を飲む音、手をぎゅっと握りしめる音。櫻は緊張すると指先を弄る癖がある。皮膚の擦れる音に櫻が焦っているのが分かった。
「お前のトモダチって……その、今、お前の後ろにいる奴?」
「っ! 櫻、夜盗が見えるの!?」
「っ、ちょ、あんま俺に寄らないで……その、トモダチが……湯飲みに入りそう」
「え、何? どういうこと?」
「だから……」
「僕には見えないんだよ。ね、夜盗はどんな姿? 教えてよ」
ぎゅむぎゅむ、と櫻が指先をいじくりまわす音が聞こえる。よっぽど緊張しているらしい。指の腹の皮が剥けてしまうんじゃないだろうか。
「えっと、でかい」
「それじゃ分かんないって」
「天井につきそう。で、お前の4倍くらい横幅がある」
「そっんなに大きかったのか!」
僕はつい頭上を見上げて手を伸ばした。指先に温かい感触が触れて、夜盗が応えてくれたのが分かる。
「他は? どんな顔なの?」
「か、顔? 顔は……いや、分かんないけど、体はねばねばした液体で覆われてる」
「わぁ! やっぱりそうなんだ! 何色?」
「えー……赤っぽい肌色? あ、バカ穂高、前のめりになるな。お前が動くとそのお友達の液体が垂れるんだよ」
「へぇ〜! そうなんだ、そうなんだ! 体はどんな形してるの?」
矢継ぎ早に質問を投げかける僕に櫻が狼狽えながら答えていく。10年近く付き合いのある夜盗の姿をようやく脳内に思い描くことができて、僕は大変うれしかった。
反対に可哀想な櫻は、その後一時間近く僕から質問攻めにされ、息も絶え絶えだった。ゼーハー言っている櫻がもう無理、と口を開くと同時に五時の鐘が聞こえてくる。
「帰らないと」
「え、うそ、もう? まだいいじゃん」
「いや今日はちょっと、ほら」
「ほら?」
「宿題とか」
「持ってくればよかったのに」
櫻は毎日のように庭の花木を持ってきては、ついでに僕の部屋で宿題をしていく。僕は櫻が持ってきてくれた花を触ったり匂いを嗅いだり、興味本位で齧ってみたり、櫻にちょっかいをかけてみたりする。
僕に邪魔されようと、櫻は黙々と鉛筆を走らせているのが常だった。流石に僕が草を噛み始めると怒るけど。
だから今日みたいに櫻が宿題をするでもなく僕に構ってくれるのは珍しいのだ。つい嬉しくなって友達のことを話してみてしまった。僕以外に夜盗が見える人は初めてだからすごく嬉しい。
もっと櫻に夜盗のことを知って欲しい。夜盗にも櫻のことを知って欲しい。
生まれてこの方、僕にはこの二人の友達しかいないのだ。隣のお寺さんの櫻と、山から降りてきた夜盗。仲間が増えたら嬉しいじゃないか。それに――
「また明日来るから」
焦れたように櫻が言う。櫻を追うように僕も急いで立ちあがったが、慌てていたせいか目測を誤ってしまった。足元の机を思い切り蹴ってしまって、湯飲みとポットが派手な音を立てる。割れるんじゃないかと心配した僕は慌てて手を伸ばした。
だけど今度は卓上と伸ばした手の距離を盛大に見誤っていたようで、思い切り空振りをした挙句体のバランスを崩した。
櫻が「あっ」と声を上げ、僕の胸に腕を回す。それと同時に背後から温かい感触が僕の腰のあたりを引っ張った。
「ごめんごめん。二人ともありがとう」
どうにか机の上にダイブすることを免れてホッと肩を撫でおろす。櫻と夜盗がいる方向を交互に見ながらお礼を言えば、僕の顔のすぐ近くで櫻がヒッと声を上げた。
「櫻?」
「ま、また明日!」
声を裏返らせながらそう言うと、櫻は驚くほどの速さで部屋を出て行ってしまった。廊下を走る足音がどたばたと聞こえてくる。使用人が暢気に櫻へ声を掛けていた。玄関の引き戸がピシャンと閉まる音が聞こえ、辺りがシンとする。
お湯が沸けるしゅんしゅんとした音。使用人が廊下を歩く音。夕飯を仕込む包丁の音。
僕は頭上を見上げて夜盗に首を傾げた。
「急ぎの用事でもあったのかね」
後ろの夜盗に背中をあずけてもたれかかる。温かくて気持ちがいい。西側の窓のほうに顔を向けると、視界がちかちかと明るくなった。夕暮れ時の色だ。
「僕さ、友達いないじゃん? お前と櫻だけなんだよ」
おまけに櫻は学校が忙しくなると僕のところにあまり来なくなる。運動会とか、移動教室とか、テスト前とか。そういう話は僕から聞かないと教えてくれないから、学校行事というものは僕が思っているよりも楽しくないものなのかもしれない。それならよかったと思う。僕のことを忘れられたら困るから。
頬にねとりとした感触が触れる。櫻の言ったように、夜盗の一部が僕に垂れているのかもしれない。もう一度顔を上げると、僕はにっこりと笑った。
「だからさ、夜盗。櫻と仲良くしてね。僕以外でお前のことが見える人間、初めてじゃないか」
僕だけの友達。誰にも見えなかった僕の秘密。秘密の共有なんてわくわくする。ね、知ってる? 秘密の共有って人との距離を縮める最も手っ取り早い方法なんだよ。
「粗相は駄目だよ?」
夜盗は機械音のような不思議な唸り声を上げるだけだった。
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