1.Boy meets ×××
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鐘を鳴らす音が響いている。五時の鐘に烏の鳴き声が重なった。
窓から差し込む夕日でただでさえ色素の薄い穂高の髪が金色に光っている。眩しいのか細められた瞳の奥で、薄茶色の瞳がきらり、と輝いた。
なるほど、夜盗と穂高の付き合いは俺よりも短いもののかなりの時間を一緒に過ごしてきたことになる。何なら俺よりも過ごした時間自体は多いかもしれない。解せない。というか反則だろう。夜に来る? 夜這いか? 許しちゃいけない。出頭しろ、今すぐに。未成年略取だカスが。
よりにもよって俺の干渉できない時間ばかりを狙うんじゃねぇ。分かってやってんのか? ちら、と穂高の背後に目を向けたら例のバケモノと目が合ってしまったので慌てて逸らした。
バケモノとの戯れに害がなかったとしても、ただの刷り込みだろう。こんなものにこの年になって会ってみろ。
きらきらした顔で「優しい友人」だなんて言えないだろう。せいぜい「生臭ぇデカキモ」になる。小さい頃兄に夜のトイレに付き合ってもらっていたせいで妙な忠誠心が芽生えるのと同じ現象じゃないだろうか。
話を聞いたところで俺のバケモノを見る目は変わらない。むしろ不安要素が増えただけだ。
イマジナリーフレンド。
穂高はそう言うがそれはすでに否定できる。こいつは実存している。腕にバケモノの液体が触れた時の感触を思い出すと今でも鳥肌が立つ。
じゃあなぜ夜盗は穂高の意志を理解できるのか。コイツは穂高のして欲しいと思うことを忠実に理解した上で自発的に行動するらしい。
やっぱりおかしくないか?
つい爪を噛みそうになって持ち上げた手を下ろした。
「櫻は僕をどんな人間だと思う?」
穂高の背後でうねうねと動く不気味な化け物を睨んでいれば、ふいに明るい声が聞こえて肩が跳ねた。穂高に気づかれないように溜息を吐きだす。
「穂高はすごく……綺麗な人間だよ」
「悩ましい言い方をするね」
「あー……そう?」
「そうだよ」
「……綺麗だから、羨ましいんだ」
薄く開いた瞳から赤ん坊のような無垢な瞳が覗く。本当は全部見えているんじゃないか。この瞳で見つめられるとそう思ってしまう時がある。
見えていたらどんなによかっただろう。この化け物が見えたなら、穂高はどうする?
……いや、きっと友達、とそう呼ぶのだ。そして俺の表情に不快な思いをさせることになる。
「っ、」
ふいに伸びてきた手がぴとり、と頬に触れた。穂高の手はひんやりとしている。迷いなく伸びてきた手に驚き、つい頬杖をついたまま少し身を引いてしまった。
「違うと思うよ」
ほら。やっぱり見えてるんじゃないの?
ガラス玉みたいな瞳がまっすぐにこちらを向いていた。心臓が一瞬浮くような緊張が走る。嘘なんてつけない。
「や、ちょっと別の考え事してて……」
「珍しい」
「そうでもないって。お前の後ろのば……夜盗くん見てたら、ちょっと散漫になっちゃって」
先ほどからバケモノは喉を詰まらせてうごめく老人のようにうねうねと動いていた。なんだか苦しそうにも見える。桃の枝を食ったからだ。ざまぁみろ。喉に刺さって速やかに死ね。
「夜盗?」
くるっと首を回して穂高が上を見上げた。夜盗は苦し気に体を震わせている。体中についた目玉は瞬きをしながらきょろきょろと彷徨っている。その挙句、俺と穂高を捕らえると掬いを求めるように目を細めた。どこか潤んでいるようにも見える大小様々の目。俺は気持ち悪さに吐きそうだった。
穂高が頭上に手を伸ばしてバケモノに触れた。さっき俺に触れた手で、同じように慎重な手つきでべたついた表面を撫でる。
かたかた、と奇妙な音がした。それも一瞬で、鳴子を一斉に鳴らしたような音が部屋中に響き渡った。
「夜盗? 櫻、夜盗は」
穂高の困惑した声すらその異質な音にかき消される。
「っ、」
頭が痛い。気味が悪い。脳みそを抉るような不快感に頭を抱えて蹲った。どうして穂高は平気でいられるんだ。
おかしいのは誰だ?
次第に不規則に音を鳴らしていた歯が一定のリズムを刻み始めた。なんだろう、と耳を澄ませてしまってからゾッとした。それは人間の言語として、一つの意味を持っていた。
背筋に鳥肌が立つ。穂高がいなければ、今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られる。
「……ト、トモ……ダ、ち」
くぐもった音と呼ぶのか、地鳴りのような異様な音。周波。俺は思わず口元を覆った。寸前で嘔吐反射は抑えられたようだった。酸っぱくなった唾液を必死に喉奥に押し込み、夜盗を見上げる。脂汗が頬を伝うのが分かった。
穂高も目をまんまるに見開いて目を泳がせていた。ぎこちない仕草で背後を振り返る。
「………夜盗?」
穂高の声は震えていた。だけど、その震えは俺の震えとはまったくもって意味が違う。
「話せたの……?」
さきほどまでは手でも何でもなかったバケモノの体の一部が、まるで人間を模したように体の形を作ろうともがいていた。
進化している。学習している。
再びえずきそうになって唇を噛みしめた。
「トモ、トモ…ダ」
心なしか嬉しそうに見えるのは俺の色眼鏡がかかっているのか。大小様々な目玉達が、目を細めたように下まぶたを浮き上がらせている。
動悸がした。穂高がどんな表情をしているのか、見えない。
俺に背を向けた穂高が立ちあがって両手を伸ばす。化け物に触れた途端、まるで幼い子どものようなあどけない笑い声が室内に響いた。
穂高が心の底から嬉しそうに、楽しそうに、笑っていた。
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