2.Boy loses to ×××


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「体はホットケーキミックスみたいにドロドロで目玉と口がいっぱい、体長は、うーんそうだな……横綱より大きいくらい」

 なぁ〜んだ?と呟けば、宿題の計算ドリルを解いていた弟が顔を上げた。

「なに、なぞなぞ?」
「うん」
「なにその気持ち悪い生き物」
「それな」

 放心して床に倒れ込むと、クッションを抱えて天井を見上げた。白い以外に何もない天井を見上げていれば考えていたことなんて全部どこかへ行って、間食として食べたバカでかいホイッププリンシュークリームメロンパンだとかいう胃もたれの権化が頭に浮かんだ。

 思えばあのパンはあのバケモノに似てなくもない。色味もしかり、食べるのに失敗してあちこちから中のクリームが出てきて、そこにメロンパンのチョコチップが混じるものだから目玉に見えなくもない。いや見えねえよ。

 何口で食べたっけ。あのヘビーな菓子パンを驚かれるくらいの速さで食べきってしまった。パンなら一瞬。今頃俺の腹の底でどろどろに溶かされてる。それで終わり。跡形もない。便利なものだ。

 まるで夢の断片のように意味の分からない思考が次から次へと流れていく。

 便利だって? 一体何が便利なんだ。跡形もない?

 食べればいいのか? アイツを?

「……双子を殺した殺人犯は殺した後に怖くなり死体を絶対に見つからない場所に隠しました。どこに隠したでしょう」
「なぁに、またなぞなぞぉ? さっきの答えを教えてよ」

 そもそもアイツをどう殺そう。殺したらどんな状態になるのだ? そもそも死ぬという概念があるのだろうか。

 包丁でグサッと巨体を刺すイメージをしても、プラナリアのように切っても切っても分裂する嫌な妄想が浮かんだ。あながち冗談にはならなさそうなところが厄介だ。

 それならやはり『食べる』というのは非常にうまい考えでもある。死ななくても体の中にさえ取り込んでしまえば、あのバケモノを俺たちの生きる空間から消し去ることができるのだから。どうしても汚いものには蓋をしたくなってしまうものだ。

 とはいえ実行に移すかと言われたらもちろんやりたくはない。まずは胃液をかけて奴が溶けるのかを検証しなければ。だったら堪えないでいっそゲロぶちまけたほうがよかったな、なんていよいよ知能の足りない思考になってきた。

「横綱よりでかいホットケーキミックスってなに? 食べ物なの?」
「考えろ考えろ」
「……櫻、」

 ぼんやりと瞑想していれば、妙に切羽詰まった声に名前を呼ばれた。本格的に寝に入ろうとしていたところ、意識を戻される。

「なーに」

 ごろん、と寝返りを打って横を向けば、唇を突き出して俺の出したなぞなぞの答えを考える弟の隣にいつの間にか兄がいた。硬い表情をした兄はぎこちない動きで俺の方へ首を動かした。

「お前、三家さんの所に行ってたのか?」

 兄は心配になるほど血の気が引いた顔をしていた。真っ白な顔色なのに、じっとりとした汗を感じる。夜盗が人の言葉を喋った時の俺も、きっとこんな顔をしていただろう。穂高は嬉しそうに笑っていたけど。

 なんてことを思いながらぼんやりと兄の顔を見上げていたが、ふいに頭が覚醒した。

「……」

 俺は穂高の部屋で恐怖を味わった。意味の分からないバケモノ。生理的、本能的な嫌悪感と恐怖、忌々しさを感じるあのトモダチ。ついには喋った。奴は人間と意志の疎通を可能にしようとしている。その背筋のゾッとする光景を俺は見てきた。

 だからなんとなく感じたのだ。
 上半身を起き上がらせて兄を凝視する。

「兄ちゃん……何を知ってるの?」

 兄の浮かべている表情は、確実にあのバケモノを知っている者の恐怖だ。

 恐怖を共有できる相手がいたならよかったじゃないか。あんな思いは散々だ。俺は怖かったのだ。あり得ないモノに相対して、幼馴染がそんなバケモノと戯れていて、バケモノがさらにバケモノになるところに遭遇して。

 穂高は放っておけば夜盗をますます人間に近づけてしまうかもしれない。それは行ってはならない領域に足を踏み込むことになりかねない。あんなもの人間の秩序を乱すものに他ならないのだ。

 そんな不安と恐怖を一人で抱え込まなくていいならよかったじゃないか。話の分かる人間に詳細を聞けるのはいいことだ。そう思うのに。

「……三家に行ってたことが何? 俺は穂高に会いに行ってただけだよ。それがどうしたの?」

 知られたらいけない、となぜだかそう思っていた。

 きっと俺の反応からも、兄は俺がアレを見たことを知っただろう。お互いひどい顔色をしていたと思う。しばらく探り合うように見つめ合っていたが、俺は兄が夜盗を知っていることを承知で一切を聞かなかった。そして兄は俺が夜盗を見たことを察した上でそれ以上のことを聞いてこなかった。

 ぴりぴりとした嫌な緊張の中、弟が鉛筆を机に打ち付ける音だけが耳に入る。

「ねぇ〜全然分かんないよぉ、答えは?」

 俺のバカげたなぞなぞを未だに考えているらしい弟の声を合図に、俺も兄も同時に目を逸らした。

「穂高くんが元気ならよかったよ」

 ふい、と視線を逸らしたそのままの流れで兄はふらりとリビングから出て行った。眉間にしわを寄せていた弟が顔を上げて兄を追う。

「……なんかお兄ちゃん変だったね。具合悪いのかな」
「知らん。疲労だろ」

 俺は兄が出て行った襖をその後もぼぉっと眺めていた。


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