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 週末、僕たちは釣りに来ていた。
 今日はとっておき。朝から気合を入れてお弁当を作ってきた! 集合してからずーっとにやにやと笑っている僕を岸沼が珍しく不審そうに見てくる。
 暑くなってきたからか、堤防にあまり人はいない。ハーフパンツにTシャツ、日よけのハットを被ってきた僕に対して、岸沼はジーンズだ。僕らも大概、釣りに来た人には見られなさそうだ。

「動きやすい服でいいって言ったのに」
「そうだっけ?」

 がはは、と笑う岸沼は相変わらず何も考えてなさそうだった。
 釣り竿の持ち方やリールの使い方を一通り教えてやって、大人しく座って待つ。僕はちょうどいい高さのクーラーボックスに腰掛けていた。岸沼は波止場に腰掛けて足を垂らしている。靴を脱いでジーンズをまくった足先に海水がちゃぷんと当たるのが気持ちよさそうだった。

「川邑くん、魚が好きなんだね」
「うん」

 捌いた時が綺麗。特に骨が若干透けてるのがいい。内臓なんかはちょっとグロいけど、哺乳類に比べたら全然マシだ。おろした時、身にびっしりとついた骨の跡なんかは本当に芸術的だと思う。

「釣れるといいねー」

 岸沼はにこにこと楽しそうだ。その横顔を見て僕もちょっと頬が緩んだ。岸沼は普段、休日何をしているんだろう。学校がなければ何を食べているんだろう。僕の作ったおにぎりがない時、岸沼には食べるものがあるんだろうか。
 ちゃぷん、水面が音を立てた。逃した。まぁいいや。

「のどかだなー」
「だね」
「こういうのもいいなー」
「うん」
「むしろずっとこういうのでもいいかも」

 岸沼の声がふと曇ったので、僕は一瞬どきりとした。少し悩んで、でも沈黙が続いてしまうのも気まずくて、当たり障りのない言葉を口にする。

「また誘うよ」
「ほんとう?」

 いつもの品のない笑い方と違って、岸沼が控えめにころころと笑った。
 水面が揺らぐ。波の揺れとは違う。手に振動はなかった。

「岸沼」

 引いて、というまでもなく、岸沼がリールを回す。いつになく真剣な顔をしている岸沼の顔につい目が行ってしまった。いつもだらけた顔をして、へらりと口元は緩んでいる。それでも十分綺麗な顔なのだけど、あまり精気は感じない。このくらい真剣な顔をしているほうが凛々しくて映えている。
 かかったのは小さな魚だったらしい。岸沼の目が輝いたのを見て海面に視線を移す。ぽん、と海面から釣り糸が跳ねていた。イワシだろうか。銀色が太陽の光に反射した。

「わぁ! 釣れた! 釣れたよ川邑くん!」
「よかったね」

 今日は妹が小さい頃、砂場遊びに使っていた小さなバケツを持ってきていた。岸沼はバケツに釣ったばかりの魚を移しかえた後も、自分の成果を反芻するようにつついて遊んでいた。

「へぇ〜楽しいね、釣り」
「でしょ」

 僕のほうは今日は全然ダメみたいだ。まぁいいや。岸沼は楽しそうだし。あまり人はいないから快適だし。

「いてっ」

 凪いだ水面を見つめていると、隣で小さな声が聞こえる。横を向けば岸沼が指先を見つめていた。

「噛まれた?」
「…………いや、まさかね」

 岸沼は指先を背中に隠してへらへら笑った。動物に噛まれるのは結構危ない。もしかしたら人に有害なウイルスや微生物を持っているかもしれないし、下手したら死んでしまうことだってある。怪訝な顔をした僕に、岸沼は大丈夫! と言って笑うと新しいエサをつけた。
 その後も岸沼ばかりが小魚を釣り上げ、その量はバケツいっぱいになるほどだった。水が足りないらしく、バケツの中でぴちぴち跳ねている。
 最初の数匹こそ楽しんで可愛がっていた岸沼も、バケツの中の魚の山を見てげっそりしていた。

「いつ終わるの、これ」

 義務じゃないのだからやめればいいものを、岸沼も狂ったように魚を釣り上げ続けている。いつまでもなくならない餌が不思議だった。
 ぱた、と水ではない何かが地面に落ちる。魚でもない。釣り糸から目を離して見てみれば、岸沼が鼻血を出していた。

「うわ、だいじょうぶ? 今ティッシュ出すよ」

 たかが鼻血で呆然としている岸沼にティッシュを渡そうと鞄に手を伸ばす。その拍子に僕はうっかり小魚がこんもりと入って重たかったバケツを倒してしまった。
 途端、コンクリートの上を魚がびちびちと跳ねまわる。なんだこれ、気持ち悪い。
 理科の授業で見た線虫の映像を思い出す。こんな風にぴょんぴょん高くジャンプをするのだ。昔駄菓子屋で買っためんこのようなおもちゃにも似ている。

 いや、たかが小魚がこんな1メートル近くも跳ねるか?
 ビチッと魚が岸沼に当たる。当たった魚は取れなかった。

「いっ」

 噛みつかれた岸沼の腕から鮮血がたらりと垂れる。岸沼の顔が引きつった。あたりはいつの間にか無人になっていた。なんだか視界が判然としない。

「嘘でしょ、ちょっと。今日はいい感じだったじゃん」
「うわ、岸沼、やばいって」

 跳ねる。跳ねる。岸沼めがけて地面から飛び上がった魚が吸収されるように岸沼に食らいついていく。僕が岸沼にくっついた魚を振り払う間もなく、岸沼は全身魚まみれになっていった。

「岸沼!」
「なんで、マジで、ほんと勘弁して……」

 いまやもう岸沼の顔すらまともに見えない。僕が必死に魚を引きはがしても、見えてくるのは人間の皮膚ではなかった。思わずその異様さに後ずさる。

「っ! き、岸沼……!」

 真っ赤な血と、皮膚の向こう。柔らかそうな肉体が照り輝いている。白い骨。
 岸沼の肉が削げていく。どんどん、どんどん。鋭い歯で岸沼を食い破っていく魚は、残虐な捕食をやめなかった。

「岸沼! 岸沼!」

 僕を見つめる岸沼の瞳はうつろだった。右目だけ。その顔の左半分はもう、人体模型のようになってしまっていた。
 そんな岸沼がゆっくりと、釣り堀から海へと落ちていき、人間一人が海へと落ちる大きな水音が鳴った。



「なんっでだよっ!!」
「うわ、びっくりした。なに? 珍しいね。岸沼がそんなに怒ってるの」

 昼休み、岸沼は牛乳パックを握りつぶし、おにぎりを力強く掴み、飛び出たシャケをぼとりと地面に落とした。
 いつもであれば、こんなことをしようものなら、地面に這いつくばってでも落ちた具を食べようとするのに、今日の岸沼は怯えたように身を縮めた。シャケなんていつももりもり食べてるのに。苦手だったっけ?

「ごめん、シャケ駄目だった?」

 握りつぶして、親の仇のように怒声を上げるほど?

「大好きだよ! 見たくもない!」

 どっちだよ。なんだか今日の岸沼は調子が悪いみたいだ。ほら、落ちたシャケを見てしくしく泣いている。情緒も不安定だ。それに今日は左目に眼帯をつけている。ものもらいだろうか。僕の妹もものもらいをしやすい体質だからよくなっている。岸沼の眼帯姿はいつもと違って儚げな美しさを出していた。

「なんで……なんでこんな目に……」
「別に何個でも食べていいよ。おにぎり落としたくらいでそんなショック受けるなよ」
「川邑くんは分かってない!」
「え、あ、ごめん……」

 岸沼にこんな声を荒げられるのは初めてで僕までしょんぼりしてしまう。でもそうか。僕にとってのご飯の価値観と、岸沼にとってのご飯の価値観は違うのかもしれない。鼻をすすりながらおにぎりを頬張る岸沼を窺う。僕はあまり空気の読める人間ではないから詮索は下手だ。

「岸沼さ」

 家でちゃんと食べてるのか?
 出かけた言葉を飲み込む。さすがにストレートすぎる気がする。そもそも岸沼にとって触れられたくない話題が存在しているのかすら僕にはよくわからない。本人はデリカシーの欠片もないのだからなおさらだ。

「なに?」

 今日の岸沼はどこか疲れている。もぐもぐと口を動かしながら、上目遣いをするように僕を見る。長いまつ毛だ。眼帯に隠された左目は窮屈なんじゃないだろうか。

「いや、えっと……好きな食べ物とか、ない?」
「えー、川邑くんのおにぎりだよ」
「米以外にないの?」

 もっとハンバーグ!とか言ってくれたらわかりやすくていいのに。それともそういうものも食べたことない? 岸沼は少し考えるように黙った。

「んー……せ」
「せ?」
「せー……ろり」

 自信なさげに語尾が小さくなっていく。珍しい。それにしても食材で来るか。難しいな。

「僕はあんまり使ったことないからレパートリーが少ないやつだ。サラダとかになっちゃってもいい?」
「えっ、作ってくれるの!?」

 ぱぁ、と笑顔になる。まぶしかった。だいぶ情緒も安定してきたらしい。

「じゃあ俺の家においで!」
「え、今日?」



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