第5話


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「麦ちゃん笑うと目なくなって垂れ目になるよね」

 どうしてこいつは悪気なく俺のコンプレックスというコンプレックスを刺激してくるんだ。
 近づいてくる成瀬との距離はもう30センチもない。マスクをしているにも関わらず焦ったように鼓動が早くなる。

 俺が成瀬の目を手でふさぐのと、成瀬が俺の腰に腕を回すのが同時だった。瞬間、ぐいっと腰を引かれる。片手でふさいだだけでは成瀬の目も片方しか隠れていない。空いたもう片方の手で成瀬の目を完全にふさいだ。
 
「麦ちゃん見えないよ」
「な、何、なんなの。離れて成瀬」

 笑えるくらい震えた声が出た。男が同性相手に何を怯えてるんだか。こんな自分が嫌になる。

そっと成瀬の指が頬の輪郭をたどった。口の中は乾燥してもうカラカラだ。酸素を求めて開いた唇が震えている。湿度の高さに入ってくる空気さえ重たい。
こんな至近距離に他人の顔があるなんて耐えられない。なのに両手が塞がっているから成瀬の手を払いのけることもできない。顔は見られてない、大丈夫、大丈夫。言い聞かせるも例えようのない不安が押し寄せてくる。

 成瀬がマスクに手をかけた。息が止まる。見えていないはずなのに迷いのない動きと口元のいやらしい笑みに体さえも固まった。ゆっくりと顎の下へマスクが下ろされた。
 
「ほら、麦ちゃん。ちゃんと押さえて。じゃないと見えちゃうよ?麦ちゃんの素顔」

 余裕そうな声が小さな停留所に響く。成瀬の目を押さえる手が震え始めていた。今すぐ突き飛ばしたいのに、そしたら顔を見られてしまう。
 
「な、なるせ…」
「ん?どうしたの?」

 成瀬の顔がどんどん近づいてくる。

 唇に温かいものがあたった。形を確かめるように柔らかく押し付けられ、角度を変え何度も何度も触れられる。何が起こったのか理解できず、ただされるがままに固まっていた。一瞬にしては長すぎた。自分の感覚が正しいのかも分からない。

 満足したかのようにマスクをもとに戻すと、腰に回された腕が離れ成瀬が離れていく。湿っぽい体が離れても、まとわりつくような熱気は残っていた。どくどくと心臓が痛いくらいに波打つのが聞こえる。

 だらりと俺の両腕が垂れ下がると、成瀬は細い目をさらに細め、ひどく淫猥にほほ笑んだ。
 唇にはいつまでも成瀬の体温が残っていた。




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